彼のウワサ 9
三島雄正は中高一貫の男子校出身だった。多感な青春時代の全てを剣道に注力し県大会では上位常連になるほどの実力を手にした彼だったが、そんな彼にある日突然悲劇が訪れた。
高等部3年の冬、大きな大会を終え大学へのスポーツ推薦入学も決まっていた彼は放課後の学校で後輩への指導を行っていた。中等部の生徒も見学に来ている中で雄正は打ち込みのお手本を見せることになり下級生相手に実演をしたのだが、そこで踏み込みをした瞬間に彼は足に激痛を感じその場で倒れ込み悶絶した。
搬送された先の病院で医師から下された診断は『左足アキレス腱断裂』。すぐに手術となりそれは無事成功したものの、残りの高校生活は全てリハビリに充てることになった。3ヶ月に及ぶリハビリのおかげで卒業式までに退院は叶ったものの、スポーツへの復帰にはあと3ヶ月ほどリハビリを続ける必要があり、一度全治したとしても再発リスクはゼロではないと告げられた雄正は、そこで一気にこれまで続けてきた剣道への情熱を全て失ってしまった。
大学に入学するも剣道を続ける気力を失くした雄正は、無気力に日々を過ごしながらも何か打ち込めるものはないかと探していた。そこで出会ったのが、水野菜瑞だった。
雄正が彼女に惹かれたのはなんてことのない、彼女が小学校の時の初恋の相手に似ていたというありきたりな理由だった。しかし中高と男所帯で過ごしてきた雄正にとって、小学生ぶりに呼び起こされる恋愛感情は強烈だった。
当時の雄正と菜瑞にはほとんど交流が無かったが、菜瑞に一目惚れした雄正にとってそんなことは些細な問題だった。彼女の後を追って同じ授業を受け名前や学部を把握すると、その翌週には彼女に声を掛け告白していた。拒否された場合については何も考えていなかったが、幸いなことに菜瑞からはOKの返事が返ってきたので結果オーライだった。
元々剣道一筋だった雄正は一つのことに熱中すると自身の全てをそれにつぎ込む性分だったようで、告白後の彼は生活の全てにおいて菜瑞のことを中心に考えるようになった。朝夕は彼女にメールを送り、講義は可能な限り同じものを取るようにした。バイトは菜瑞と合えない日時のみのシフトにし、バイト代は菜瑞とのデートやプレゼントにつぎ込んだ。雄正にとってはそれらが苦であったことはなく、むしろ当たり前のことと考えていた。
だが雄正の望みは少しずつエスカレートしていく。菜瑞が自分以外の男性と会話しているのを見るだけで気分がムシャクシャするようになったり、自分のことだけを考えて欲しいと思うようになった。しかし竹を割ったような性格で社交性もあり交友関係もそれなりに広い菜瑞にそれを伝えたところで、素直に頷いてくれるとは思えなかった。何より自分の発言を鬱陶しく感じた菜瑞が自分から離れていくのではと考えると、そんなことは言い出せなかった。
だから雄正は、自力でそれらの問題を解決しようと思った。
まず雄正が考えたのは、これまで以上に菜瑞に尽くすことだった。彼女が自分だけを見てくれるよう、自分の全てを彼女に捧げようと決めた。そのために菜瑞には時間の許す限り直接会いに行ったし、何かと理由をつけてこれまで以上にプレゼントを贈るようにした。メールや電話の頻度も増やし、彼女が喜んでくれそうなことは率先してやった。皮肉にもこれらの行為は菜瑞にとって「束縛が強い」として雄正を避けるようになる要因になってしまったのだが。
段々と菜瑞が自分と距離を置くようになったと感じた雄正は、次に菜瑞に言い寄る男達を自力で排除しようと考えた。彼女に言い寄る男がいなくなれば、自分だけを見てくれると思ったからだ。
最初に排除候補に上がったのは学祭サークルの千葉とかいう男だった。千葉は菜瑞に何度か学祭サークルに入るよう勧誘していて、断る菜瑞にしつこく言い寄る姿は雄正からすれば非常に目障りだった。菜瑞に近寄るなと雄正から言ったこともあったが、笑って聞き流していたので罰を与えることにした。大学からの帰り道を尾行し、人がいないタイミングを見計らって駅の下り階段で千葉を突き落とした。
次に候補としたのは東海林という男だ。東海林は2年になり菜瑞と同じフランス語の授業を選択してからというもの、何度か菜瑞に言い寄っていると聞いた。しかもウワサでは過去に女子2人と同時に付き合っていた浮気男だというではないか。早々に縁を切らせなければと雄正は東海林に土下座までして会わないよう頼み込んだが、その願いは東海林に一蹴された。なので仕方なく自分の車で東海林を追い回し軽く接触して怪我を負わせることにした。車には若干の傷が残ったが、実家が自動車整備工場で自身も手伝いをしていた雄正にとってその程度の補修は朝飯前だった。
2人の男を手に掛けた雄正は、段々と感覚が麻痺し始めていた。その次に候補となったのは、以前図書館で親しげに菜瑞と話をしていたという1年先輩の秋本という男だった。雄正はその話を聞いた当時、菜瑞に「もう会わないで欲しい」と頼み込み、菜瑞もそれを聞き入れそれ以降秋本とは会っていなかったのだが、雄正にとっては過去のことであっても菜瑞と親しげな仲だったという事実が受け入れ難く、制裁を下すべきと考えた。
秋本には自分の手で直接制裁下さなければと、人気の無い場所で待ち伏せして自分の竹刀で滅多打ちにする計画を立てた。秋本の行動パターンを把握し、行動予測を立てて移動ルート上の人気の無い場所をピックアップし待ち伏せをした。しかし待ち伏せをしている日に限って奴はいつもと違う経路で移動していたため何度も計画が空振りした。業を煮やした雄正は暗くなってから秋本を尾行し、駅までの人気の無い道で背後から襲おうとしたが、それも察知したのか襲撃を決めた直後に全速力で逃げ出した時には驚かされた。結果として秋本は逃走中に道路へと飛び出した所を車に跳ねられ負傷したので、雄正としては気が晴れたのだが。
・・・・・・・・・・
そして雄正は現在、秋本を尾行していた時と同じ上下黒のフード付きジャージに黒マスクといういかにもな格好で、次のターゲットとした沢渡という男を尾行していた。沢渡は自分や菜瑞と同じ2年の中肉中背の男で、来年から入る予定のゼミが菜瑞と一緒だからと何度か親しげに話していたのを見た。それで今夜、制裁としてヤツを竹刀で滅多打ちにしてやろうと画策していた。
時刻は夜の7時過ぎ。日はすっかり落ちて周囲は暗闇に包まれている。
原付バイクで大学に通っている沢渡は現在、大学内の駐車場に向かいゆっくりと歩いている。この時間の駐車場は人気が無く、最近は電灯がいくつか切れて薄暗くなっていたので襲撃にはおあつらえ向きだった。
沢渡が駐車場に入って少ししてから、雄正は建物の影から薄暗い駐車場の端にあるバイク置き場を凝視する。沢渡と思われる人影は1台の原付の前で、鍵を探しているのかポケットをまさぐる仕草をしていた。
(よし…)
それを好機と捉えた雄正は、足音を殺しながら素早く男の背後に近づき脳天目掛けて全力で竹刀を振り下ろした。初撃で相手を昏倒させ倒れたところを滅多打ちにするつもりだったが、しかし―――
(なっ…!?)
薄暗いせいで最初わからなかったが、沢渡は既にヘルメットを着用していた。そのため初撃は入ったものの相手を昏倒させることは叶わない。驚いて振り返った沢渡は竹刀を手にした雄正の姿を見ると驚愕の表情を浮かべ、一目散に逃げだした。
(まずい! まずいまずいまずいまずい―――!!)
変装しているとはいえ、姿を見られた以上は無傷で逃がすことはできない。雄正は逃げ出す沢渡を必死に追いかけた。だが沢渡は動揺からか数メートル進んだところで足をもつれさせて転倒。倒れた沢渡に追いついた雄正は上段に竹刀を構え、今度こそと全力で振り下ろそうとしたが―――
「はああああああああっ!!」
(へっ?)
突然、吠えるような声が背後から迫ってきた。驚いて反射的に振り向こうとするが
「がっ…!?」
一拍遅れて、今度は背中に強い衝撃を受けた。前屈みになっていた雄正はそのままバランスを崩し、前方へゴロゴロと数回転してから停止する。
(だ、誰だ!? こんな時間に一体…!?)
沢渡以外の人間にも目撃されていたという事実に半ばパニックになる。
突然の事態に理解が追い付かず、慌てて立ち上がり声の方向を見据えると
(…え?)
予想外の事態の連続に心拍は上がり思考はぐちゃぐちゃになっていた雄正だったが、そこに立っている人物を見て、今度は思考も体も凍り付いた。
「ふぅ…危機一髪だったわね」
そう言ってジーパンに付いた土埃をはたきながら悠然と立ち上がったのは、雄正も良く見知った女性。そして、雄正としては―――この場に一番居て欲しくない人物。
「…何のつもりか知らないけれど、ちょっとおイタが過ぎるんじゃないの? 雄正」
「………なっちゃん………」
雄正の愛する彼女、水野菜瑞がそこに立っていた。




