彼のウワサ 7
「昨晩ウチの3年の先輩が交通事故を起こしちゃったんだって」
会うなり私にそう話してきたのは莉緒だった。今は2限のドイツ文学史研究の講義前で、莉緒とはクラスが一緒だった。先に席に着いていた私の隣に座りながらそう言う莉緒に私は
「へぇ、それは災難ね」
と適当に答えたのだが「真面目に聞いてよー」と莉緒は食い下がってくる。
「何よ、それ以外どう反応しろって言うのよ」
別に知り合いの先輩が事故ったワケでもあるまいし―――なんて考えたところで、ふとしばらく会っていない秋本先輩のことが頭に浮かんだ。
(いやいや何で急に先輩のことなんか…先輩とは別に大した関係じゃなくて…それに私には雄正という恋人が…)
そんな私の脳内の葛藤など知る由も無い莉緒は、難しい顔でむむむと唸る私を怪訝な目で見ながら話を続ける。
「それが撥ねられた歩行者の人、突然道路脇の雑木林から車の前に飛び出してきたらしいの」
「…は? 何それ?」
莉緒の話す内容に唖然となり、思わず手にしていたペンを落としてしまった。
突然車の前に飛び出すなんて、自殺志願者だったのだろうか。自殺なら人様の迷惑になるようなことはしないで頂きたいな…なんて考えていると
「それでさ、運転してたウチの学生が慌てて救急車を呼んだらしいんだけど、その直後に今度は雑木林から黒ずくめの男が飛び出してきたんだって」
「く、黒ずくめ?」
「そうそう。上下黒い服装でフードも被ってマスクもしてたんだって。しかも手にはバットみたいな物も持ってたって。ねぇ、なんだか怪しくない?」
「いや怪しいというか…」
それはもう不審者そのものなのでは…?
莉緒の話に興味が出てきてもっと詳しい話を聞きたかったが、そこで丁度チャイムが鳴り講師も入室してきたので、続きは昼休みまで一旦お預けとなった。
2限が終わり昼休み、私と莉緒は食堂へ向かった。今日は講義が午後からの優希が先に席を取っておいてくれたので、私達はそれぞれ昼食を購入して席についた。ちなみに私は鶏ささみのグリーンサラダ、莉緒はきつねうどん。優希は自前のお弁当を持参していた。
「それで莉緒、さっきの話詳しく聞かせなさいよ」
席について早々に私は莉緒に先ほどの話の続きを急かした。優希が何の事かわからず頭にハテナマークを浮かべていたので、改めて最初から話していくことになった。
「昨日の夜の7時半頃、ウチの3年生の男子学生が2年の女子学生と車で近くの道を走っている途中に起きたことなんだけど。
大学から駅までの道で脇に雑木林がある辺り、分かるでしょ? その雑木林の中からいきなり男の人が車道へ飛び出してきたんだって。それで運転していた先輩は急いでハンドル切って避けようとしたんだけど、避け切れなくて飛び出してきた男性を撥ねちゃったんだって。」
ここまでの内容は講義前の話で知っているので生返事で返す。優希は考え事をする時のクセなのか、顎に手をあて半目になって俯いていた。私は初見ではないが、正直その顔はちょっと怖いと思う。
「…それだけ聞くと、飛び出してきた男が不注意だったか故意に飛び出してきたかという見立てになりそうだけど。でも菜瑞がああまで興奮していたということは、何かあるのね」
優希がそう言うと「そのとおり!」と莉緒はドヤ顔で肯定したが、私そんなに興奮していたんだろうか…? 若干納得いかない気分だったが、とにかく莉緒に話の先を促す。
「で、運転してた男子は撥ねた男性の救助のためにすぐに駆け寄って行ったんだけど、女子の方は目の前で人が撥ねられたショックで車から動けなかったんだって。そうしたら雑木林の方からガサガサと音がして、驚いた女子がそっちを見ると………………」
意味深に溜めを作り、身を乗り出して私と優希に顔を近づけてくる莉緒。雰囲気に気圧された私達2人は思わず生唾をごくりと飲み込む。
「…雑木林から、今度は上下黒の服装でフードもばっちり被って、更に黒のマスクまでした黒ずくめの男が現れたってことらしいよ。しかも手にはバットみたいな棒状のものも持ってたんだって」
一転してけろりとした顔で軽く言う莉緒。私達が重い雰囲気で詰まっていた息をはあーっと吐き出すと、莉緒はケラケラと笑っていた。
「なになに? 莉緒さんの演技力に圧倒されちゃったワケ?」
「うっさいわ、変な溜めなんかするからでしょ」
「でも確かに、今のはかなりの演技だったわ。莉緒って演劇とかやってたっけ?」
「ないない、怪談話が好きだから見よう見まねでやってみただけよ」
(見よう見まねで、あそこまでの迫力が出るものなのだろうか…?)
私と優希は思わず怪訝な顔で莉緒をじっと眺めていたが、そんな事には構わず莉緒は続ける。
「ま、気を取り直して話の続きね。その黒ずくめの男は周囲をキョロキョロ見回してたんだけど、撥ねられた男性の方を見ると慌てた様子で雑木林の中へ戻っていっちゃったんだって。その後は運転してた男子が呼んだ救急車が来て、撥ねられた男性は搬送されていきましたと。あ、ちなみに撥ねられた男性もウチの学生だったって話よ」
以上でーす、と莉緒は両手をパンと打ち合わせた。
簡単にまとめると、ウチの男子学生が運転中に雑木林から飛び出してきた男性を撥ねて、運転手が轢かれた男性の救助活動を行っている最中に、同乗者の女子学生が雑木林から現れた黒ずくめの不審人物を見た…という感じか。その黒ずくめの男が一体何者だったのか、謎が深まるばかりである。
しかし、事故については大体わかったのだが一つ新たな疑問が生じる。
「…ところで莉緒、あなた何でそんなに事故の詳しい事まで知ってるワケ?」
テレビや新聞では事故があったことは報道されたとしても、普通今聞いたような詳細な情報は伏せられるだろう。警察も情報統制を行っているだろうし。もしかして車に乗っていた女子学生っていうのが、実は莉緒本人だったとか…?
そんな私の考えが伝わったからかは分からないが、莉緒はちょっと困ったような顔をすると再度話し始めた。
「いやー、実は車に乗ってた2年の女子っていうのが私の友達でね。運転してた先輩とは付き合っててドライブデート中だったんだって。そのデート中に事故が起きて病院行ったり警察行ったりで大変だったみたい。それで夜中の11時過ぎに急にその子から電話がかかってきて『怖かったよ~』って言いながらその事故の話をしてきたワケよ」
「ああ、そういう事だったの」
なるほど、確かにそれならダイレクトに事故の詳細まで聞くことができるわけだ。
「それでその子は警察にも黒ずくめの男の話はしたらしいんだけど、彼氏の方は撥ねた人の容態を確認したり救急に連絡したりで精一杯だったからその男は見てないんだって。だからその子が気が動転して幻覚を見ていたのかも、って真面目に聞いてくれなかったらしいんだよね」
「確かにそう捉えることもできるか…」
女子の方は事故後動揺して車内から動けなかったということだし、警察がそう考えるのも無理は無いか。
「その子は『見間違いじゃない!』って言ってるし『事故と関係あるはず!』とも言ってるんだけど、警察が信じてくれないのが悔しいとかで私に話してきてね…菜瑞や優希はどう思うかなって聞いてみたくて話したんだ」
どうかな?と身を乗り出してくる莉緒。
「うーん、現場にいたわけじゃないし、その黒ずくめの男が実際にその場にいたか断言はできないわよね。実際居たとしても、事件に関係無い人だったかもしれないし。優希はどう思う?」
「私も同意見ね。実際にその男が事故現場にいたかなんて確証は無いだろうし。でも警察も一応、雑木林に残った足跡とかは調べているんじゃないの?」
優希は再度顎に手をあて思案しているようなポーズを取ると話を続ける。
「その男が実際に現場にいて、事故に関与しているとすれば…バットのような物を持っていたって事だし撥ねられた男性に恨みがあって襲い掛かっていた…っていうところかしら?」
「雑木林からいきなり車道に飛び出してきたって話だし、襲われて逃げている最中に…ってこともあるかもね」
「どうあれ、撥ねられた方にも話を聞かないとなんともね。莉緒、何か聞いている?」
「それが事故直後は意識不明だったみたいで、飛び出してきた理由については分からないんだって。運転してた先輩は警察への説明があるからってことでその場を離れられなくて、私の友達が救急車に同乗して病院で事情を説明したらしいんだけど、一通り状況説明をしてその子が病院を出る時も男性の意識は戻ってなかったらしいよ」
「それは…大変ね。早く意識が戻ることを祈るわ」
悲痛な面持ちで優希が言う。
現状その黒ずくめの男についての最大の手掛かりは撥ねられた男性の証言になると思われるので、なんとか意識が戻って欲しいところだ。そうでなくても同じ大学の学生なのだ。早期の回復を望まずにはいられない。
…何となく空気がしんみりして、話も一段落したかと思われたその時
「…そういえば、撥ねられた男性もウチの学生だって言ってたけど、それって結局誰だったの?」
優希が思い出したようにそう呟いた。
「ああそっか、まだ言ってなかったか」
そう言いながら莉緒は手を後頭部にあてウインクをしながら舌を出す「いっけねー」みたいなポーズを取っていた。なんか腹立つポーズだな…なんて考えていた私だったが―――
「事故に遭ったのは3年の秋本って人。『図書館のヌシ』って呼ばれてる有名な変わり者だったから、撥ねた先輩もすぐにその人だって気づいたんだって。…そういえば、菜瑞その人と知り合いだったでしょ?」
「…ふぇっ?」
その莉緒の言葉に、思いっきり間の抜けた声が出てしまった。




