彼のウワサ 6
その日、俺―――秋本渉は図書館にノートPCを持ち込みレポート作成を行っていた。近代文学研究の講義のレポート作成だったので、該当する著書や関連資料を読み漁りながらレポート作成をしていたのだが、いつの間にか閉館時間を告げる音楽が流れてきたため急いで荷物をまとめて図書館を出た。
そのまま大学を出て帰路へつく。時刻は午後7時過ぎ。春の大型連休も過ぎて日も大分長くなったとはいえ、この時間になれば空は一面真っ暗だ。大学から最寄り駅のまでの道は徒歩で20分ほど。大学から駅まではシャトルバスも運行しているが、6時台で営業を終えているためこの時間になると駅までは歩くしかない。
街灯も少ないため往く道は暗く、道の両側は農地や雑木林、空き家などが大半なので人気もほとんどない。そんな静かな道を1人歩いていたのだが…
(…誰かいるな…)
大学を出てからずっと、俺は自分を追う気配を背後から感じていた。気のせいなどではない。俺には他の人よりちょっと特別な『人の感情が色となって見える』という特技がある。その特技の延長で、自分に向けられた感情を(大まかにだが)感覚で感じることができた。
(赤黒い色…怒り、だけじゃないな)
感情を表す色はそれぞれだが、今見える赤混じりのどす黒い色は強い怒りと恨みを表していた。自身に向けられた強い憎悪に背筋が凍るような冷たさを感じる。
思えばここ最近、夕方になるとよく同じ気配を感じた。大学内で人気のない通る道に差し掛かると、物陰から同様の色の感情が漏れ出ているのを見ることが数回あった。その時は胸騒ぎがしてその道を避け回り道をして移動していた。
もしかしたら今背後にいる人物は先日から大学内で見かけた気配の持ち主と同一人物で、数日前から俺を狙っていたのかもしれない。待ち伏せが何度も空振りしたからか、痺れを切らせて今夜暗闇に紛れての襲撃に乗り出したのだろうか。
「さて…どうするかな…」
溜め息を吐きながらこの状況をどう切り抜けるか考える。
追手が男か女かも分からない。動機や目的も一切不明の状態だ。どうして尾行なんてしているのか問い質したいところだが、相手は刃物等の武器を持っているかもしれないのでまずは逃げるのが一番だろう。人通りも多い駅前近くの大通りまで出れば、人目もあるし相手も不用意に襲ってはこれないはずだ。
だが体力に自信があるわけでもない俺が、駅前まで追手から逃げ切れるかどうかが最大の問題だった。ここから人が多い駅前通りの辺りまでは歩いて15分ほど。走っても7~8分はかかるだろう。道中にはあまり民家や飲食店は無い。俺に7分間走り続けられる体力があるかどうかは怪しいし、俺より追手の速度が早ければ追い付かれて終わりだ。なので安全に逃げ切るためには一計を案じる必要がある。
そんなことを考えていると、背後からの気配が一層強くなるのを感じた。恐らく襲撃を決めこちらへ踏み込んでくる予兆だろう。緊張で体が強張るのを感じる。こちらも覚悟を決めなければなるまい。
(…来る!!)
そう感じた次の瞬間、俺は大きく息を吸ってから全力で前方へ向かって走り出した。とにかく駅前通りまで一刻も早く辿り着かねばと必死に走った。背後の追手は俺の突然のダッシュを見て一瞬慌てたようだったが、すぐに全速力で追いかけてきた。
(速い!?)
どうやら追手の脚力は俺より上だったようで、最初は15メートルほどあった俺との距離はどんどんと縮まっていく。やはりこのままでは追い付かれると判断した俺は、覚悟を決めて道路脇に生い茂る雑木林へと突っ込んだ。それが俺が急遽考えた策だった。
暗い夜間、更に背の高い草が茂る雑木林の中ともなれば視界は限られる。それを利用して追手を撹乱できれば、自分の足が追手より遅くとも逃げ切るチャンスがあるのではと俺は考えた。雑木林を突っ切れば駅前通りまでのショートカットにもなるため一石二鳥だ。方向は遠くに見える街の灯りが目印になるので迷うことはない。
俺は雑草に隠れるように中腰の状態で、雑木林をジグザグに曲がりながら出せる限りの速度で走った。俺は何度かこの雑木林を通った経験もあり、いくつか獣道があることも知っていたためあまり速度を落とさず進むことができた。しかし追手はこの道は初めてだったようで、一度振り返って見てみると進むだけでも一苦労の様子だった。相手が悪態をつきながら雑草を踏み越えるのに苦戦している様を見て、俺は自分の策が上手くハマったことに内心ガッツポーズをしていた。
(これならいける…!)
彼我の距離は少しずつ離れていく。雑木林を抜ければ駅前通りまではあと僅かだ。このまま行けば逃げ切れるはず―――!
そう確信した俺はスピードを緩めることなく前進していくと、やがて前方の景色が段々と開けてきた。雑木林の終わりが見えたと確信したことで気持ちが逸ってしまい、そこから思い切って速度を上げて眼前の道へ飛び出すと…
「なっ―――!?」
なんと右方向から車が猛スピードで迫って来ていた。どうやら俺が勢いよく飛び出した場所は雑木林の中でも車道に隣接していた部分らしい。急いで身を躱すため体を動かそうとするが、ここまでの全力疾走の疲れからか咄嗟に体が動かない。
危機に瀕しているからか、一瞬全ての動きがスローモーションに見える。眼前に迫る車から発せられるクラクションとブレーキ音が響き渡り、ヘッドライトの光が視界を染め上げ―――
(あ、ダメだ)
そう思った次の瞬間、強い衝撃と共に俺の意識は断絶した。




