彼のウワサ 2
私と渉の出会いは大学生の時だ。
私の大学入学直後の4月、新入生だった私・水野菜瑞は当時ゲームやアニメにハマっていたこともあり、語り合える仲間が探そうと大学の合同サークル説明会で所謂オタクサークルへ見学へ行った。だがブースにいたのは男性ばかりで、しかもブース内ではすでに新入生と上級生が当時放映中のロボットアニメについて熱心に語り合っていて、非常に入りづらい雰囲気だった。どうしたものかとブース前で二の足を踏んでいると
「興味あります?」
と突然背後から声をかけられた。
驚いて振り返ると、そこにいたのはボサボサの髪で気だるげにこちらを見る黒縁の眼鏡をかけた猫背の男性。右手に勧誘チラシ、左手に案内のプラカードを持っていることからサークルの上級生だろうと思った。
「あー、なんか来てみたけど合わなそうなんで…」
そう言ってそそくさと帰ろうとする私を、彼はじっと見ていた。私の顔に何か付いてるのだろうか、なんて考えていると彼はチラシを1枚差し出し
「興味あったらどうぞ」
とぶっきらぼうに言って去っていった。
結局そのサークルには入らなかった。
後日、その男性とは大学内の図書館で再会した。
たまたまレポート用の資料を探しに図書館に寄ったところ貸出カウンターで大量の本を積み上げている男性を発見し、良く見るとそれが先日サークル勧誘してきた上級生だと気づいた。ちょうど彼が手続きを終え振り返った時に目が合ったので会釈をして、その後少しだけ彼と話をした。
聞けば1年先輩だという彼・秋本渉氏は、入学以来図書館内の文学作品を片っ端から借りまくっては毎日講義を聞き流しつつ読みまくっているという変わった人だった。サークルは友人に請われて入会届だけ出した幽霊部員で、新入生勧誘も「ヒマなら手伝え」と友人に言われ仕方なくやっていただけらしい。
「本の中の物語が好きなんだ。だから興味のない事にはやる気も出なくて」
そう話す彼の目が、冒険に憧れる小さな男の子のように見えて印象に残った。
それ以来、彼とは時々話をした。彼とは私が図書館に行く度に遭遇したので、会うと毎回談話スペースに移動して最近出た小説やお互いのお気に入り作品について語り合った。私も元々読書が好きでそれなりの量を読む方だったので、彼に触発されて定期的に図書館に寄り本を借りては読んだ。彼との話でおすすめされた本も何冊か読んだが、これがどれも面白かった。自分では選ばないようなジャンルも多かったので、読むたびに自分の世界が広くなったような気分だった。
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「へぇー、そこから旦那様とのお付き合いが始まったってことですか!」
やや興奮した声でそう言うのは須崎さんだ。見ると顔も少し赤らんでいる。まぁそっちはアルコールのせいだろうが。
私達がいるのは職場の最寄り駅近くにあるイタリアンレストラン。結局昼休み中はまともに渉の話を聞けなかった須崎さんは「今晩飲みに行きましょう! そこで旦那様のこと、ちゃんと聞かせてくださいよ!」と言ってきた。途中から良く分からない言い合いを繰り広げていた私と染谷は、その勢いに呑まれ素直に頷くしかなかった。今は食事をしながら私と渉の馴れ初めについて語っていたところである。
それなりにワインを頂いたからか、須崎さんは熱っぽい表情で目をキラキラさせながらこちらを見ているが、私は冷静かつ端的に彼女の発言に返答する。
「いや、違うけど」
「あれ?」
予想と違う答えに一瞬ポカンとした須崎さんだが、めげずに訪ねてくる。
「卒業後も連絡を取り合っていて、ちょくちょく会ってたとか?」
「いや、その時は連絡先交換してなかったし、何なら在学中も会ってたのは1年くらいだったと思うわ」
「え? じゃあどうして付き合い始めたんですか?」
「…それは…えーっと…」
うう、やっぱりそれを言わないとダメか。正直ここから先の話は、自分で言うのも何だが創作じゃないのかと疑うくらいにはドラマチックな話なので恥ずかしくてあまり話したくない。
ふと見ると須崎さんの隣では染谷がニヤニヤ笑いながらワイングラスを傾けている。ヤツは私が結婚した直後に浮かれて渉との馴れ初めを話してしまったので、この先の展開もほぼ知っている。黙っていれば脚色し放題で勝手に須崎さんに話してしまうだろう。それなら恥を捨てて自分で正しい情報を提供した方がマシか。
諦めの境地へ至った私は、今か今かと話の続きを待つ須崎さんに向けて続きを語り出した。
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入学から少し経過し大学生活にも慣れた頃、私は同学年だという知らない男子学生から告白された。真面目で誠実そうだったその男子からの告白に私はその場で頷いた。
彼は見た目通りそこそこ真面目で、それでいて堅苦しいというほどではない付き合いやすい人だと思った。男子校出身で女性との交流が少なかったという彼は付き合い始めこそ初心な反応も多かったが、付き合って半年が経つ頃には自然な距離感で触れ合うことも出来ていた。
その頃も私は定期的に図書館に通っていて、そこで秋本先輩に会うと以前と同様に話をしていた。だが先輩と楽しそうに談笑する私を見た誰かが彼氏にそれを伝えたらしく、ある日彼氏は私に「もうその男と会わないで欲しい」と切実な表情で言ってきた。彼氏がいるのに軽率な行動をしたと反省した私はそれを承諾し、以来私が図書館に行く頻度は激減した。結局、その彼氏とは色々あって1年ほどで別れたのだが。
漠然とだが出版業界への就職を希望していた私は、印刷会社としては中堅規模の百代印刷から内定を貰い就職した。仕事は覚えることが多かったが、周囲に親切な人が多かったこともありそれなりに楽しく続けてられていた。
就職から数年経ったある年の末、とある大手出版社の創立記念パーティーが開かれるとの話が上がり、百代印刷からも数名が参加することとなった。社長や営業部長辺りが出席することはすぐに決まったが、若い女性を帯同させたいとかいうよく分からない理由で、何故か私にも白羽の矢が立った。私はそんなパーティーなんて行きたくはなかったが、上の命令には従わなくてはならないのが会社員というものだ。
パーティーは主催者側の有難いお話を聞きつつ、関係各所に上司とひたすら挨拶回りという退屈極まりないものだった。顔面に笑顔を張り付けてヘコヘコ挨拶するのに段々疲れてきて「早く帰りたい」とばかり考えていた私だったが、不意に「水野さん?」と(当時の)私の名を呼ぶ声があった。振り返るとそこには、スーツ姿がまるで似合っていない、猫背でくせ毛で黒縁眼鏡を着けた秋本先輩がいた。
聞けば秋本先輩は大学在学中、以前から続けていたインターネット上の自作小説投稿サイトに投稿していた作品がヒットして、それがパーティーの主催である出版社の目に留まり書籍化の話が出たらしい。その縁で今回のパーティーにも参加したのだとか。
久しぶりの再会を喜び合った私達はその場で連絡先を交換し、後日また会おうと約束した。余談だが、2人で話が盛り上がっている間の周囲の視線の温かさに後になって気付き、その夜ベッドで1人悶絶することになったのは私だけの秘密だ。
1週間ほど経ってから秋本先輩と2人で食事に行き、お酒も入れつつ色々なことを話した。私は先輩に、当時挨拶もなく会えなくなったことを数年ぶりに詫びたが、彼は気にしていないと言ってくれた。先輩はデビュー作以来同じ出版社から本を出し続けているらしく、部数はそこそこだがファンもついてくれてありがたいと話していた。
食事のあと、先輩の提案で夜の公園を2人で散歩した。そこで先輩は「さっきは気にしていないと言ったけど、実は水野さんのことが気になっていて、急に会えなくなって残念だと思ってた」と言った。突然の告白に戸惑う私に、先輩は続けて私の手を取り目を真っ直ぐ見て「今からでも、俺と付き合って欲しい」と言った。私は真っ赤になった顔で俯きながら小さく「はい…」と答えた。
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「すごい!! 運命的な再会じゃないですか!!」
須崎さんは先ほどにも増して熱っぽい声できゃあきゃあと騒ぐ。
(ああもうだから話したくなかったんだよ)
自分で話しておいてなんだが、途中から羞恥で顔から火が出るかと思った。
改めて説明しても作り話かと疑うレベルの内容だ。色々と出来過ぎている。
私は火照った顔と頭を冷ますようにグラスに残ったワインを一気に飲み干す。干したグラスを勢いよく置くと、対面からニヤニヤ顔の染谷が追加のワインを注いできた。
「いや~ロマンチックですよねぇ。須崎も憧れちゃうよねぇ~」
「はい! 数年ぶりの再会から『実は昔から君のことが…』なんて、ドラマみたいな展開でとっても素敵です! いいなぁ…素敵だなぁ…」
須崎さんは私の話がよっぽど心に刺さったのか、うっとりしたような表情を浮かべている。心なしか染谷まで同様に熱っぽい表情をしている気がするが、酒のせいだろう。多分。
「いやー『運命の出会い』ってあるんですね!! 憧れちゃうなぁ…」
そう笑顔で言う須崎さんだが、私は引きつった笑顔で曖昧に頷く。
(言えない…)
実はこの話の裏には、染谷にも話していないとんでもない秘密があることなど…この2人には言えるはずがなかった。




