恋のウワサ 1
「お互いに愛し合っていると理解していても、その熱量は違うものさ」
気だるげに彼はそう言った。
「穏やかに寄り添う愛もあれば、狂うほど燃え上がる愛もある。温度感の違いから心が離れてしまうことも良くあることだろう?」
そして心底うんざりしたような声で
「だからといって、愛し合った相手を裏切るような行為が許されるわけがない」
軽蔑するような目で、そう言った。
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事務所内に昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。静かだった事務所も喧騒で溢れかえり、何人かは連れだって外へランチへと出かけていく。
私も椅子に座ったままうーんと両手で伸びをしてから、昼食にありつこうと足元のカバンからお弁当箱を取り出す。
「なつみせんぱ~い、お昼一緒に食べましょうよぉ」
言いながらコンビニ袋を片手に歩いて来るのは後輩の染谷涼香だ。私の返事も待たずに隣の席に着き、袋の中身を広げていく。いつものことなので私も特に何も言わないが。
「染谷、お昼はいつもコンビニ飯よね。毎日だと健康に良くないわよ」
「もうそれ聞き飽きましたってぇ」
なんていつものやり取りをしつつ、昼食を食べ始める。
染谷は1つ下の後輩で、入社4年目の同僚だ。新人研修後に現場配属された彼女に最初に仕事を教えたのが私…という間柄で、それ以降やたらと懐かれるようになり、以来こうしてよく昼食を共にしている。
食べながらする話は仕事の愚痴や休日の過ごし方などのありふれた話題も多いが、一番多いのが…
「そう言えば先輩、あのウワサ聞きましたぁ?」
この前置きで始まる、社内のウワサ話だ。
染谷は社内での交流がかなり広く、トイレや給湯室、喫煙室なんかで様々な人達から仕入れた社内のウワサ話をよく私に披露してくる。私はあまり仕事中に同僚と世間話に興じるようなタイプではなく、染谷もそれを知っているのでこの話題の時はいつもより得意気だ。
「今度は何のウワサ?」
社交辞令として興味ありげに聞いてみると、染谷は満足げに口の端をニンマリさせながら話しだす。
「ここだけの話ですけど、営業部の木下課長が新卒の娘とデキてるんじゃないかってウワサがあるんですよぉ。木下課長は独身ですけど、年齢的にはもうアラフォーですからねぇ。仕事一筋を絵に描いたような課長がそんな歳になって一回り以上も歳が離れてる娘にお熱か、って話題になってるんですよぉ」
「ふうん…」
聞いておいて何だが、私はこうしたウワサ話にさして興味があるわけではない。しかも男女の色恋の話、さらに他部署の人間の話なんて全然どうでもいい。
「確かに珍しいことなのかもしれないけど、恋愛は個人の自由なんだから放っておけばいいのに。みんなそういう話題に飢えてるのかしら」
呆れたようにそう言うと、染谷はこれ見よがしに溜め息を吐いて見せる。
「…既に優良物件捕まえてる勝ち組で新婚の先輩には興味の無い話でしたかねぇ…」
「いやだからその言い方止めてってば。べつに勝ち組でもなんでもないから」
「え~、将来有望な作家さんと結婚できたんだから十分勝ち組ですよぉ。いつも惚気話してくるくらいには仲睦まじいみたいですしぃ。将来安泰って感じじゃないですかぁ」
何度も説明しているはずなのに、事実誤認も甚だしい。
「確かにデビュー作は一時期話題になったけど、別に大ヒットって言えるような作品は無いわよ? これまでの2人の貯金もこの前マンション買う時の頭金でほぼ消えたから今は夫婦で1から貯金し直している状態だし、言うほど勝ち組ってわけじゃないわよ。
…っていうか、え? 惚気話? いつも? 私そんなに彼の話してたっけ?」
そんなワケはない。これでも私はクール系女子を自認しているのだ。そんな新婚ってだけで浮かれて旦那のことばかりベラベラ話すなんて浮かれポンチみたいなことはしないはず…。
「してますよぉ。彼の作るご飯めっちゃ美味しいんだ~とか、休みに彼と一緒に散歩して見つけた店が~とか、色々話してくれたじゃないですかぁ~。めちゃくちゃラブラブそうでいいですよねぇ~」
…していたらしい。一生の不覚だ。
「いやぁ、先輩ってクール系のイメージだったんですけどねぇ~。彼氏がいるのは聞いてましたけど、結婚前はガード堅くてあんまり話してくれなかったじゃないですかぁ~。
それが結婚後は旦那様が作家さんってことも、趣味とか普段の過ごし方とかのプライベートなことも、聞いたら何でも教えてくれるようになっちゃってぇ~。しかも旦那様の話をする時の先輩ってば「にへっ」って感じで目尻が下がるんですよぉ? 最初見た時は結構衝撃的でしたねぇ」
マジかよ。そんなん正真正銘の浮かれポンチじゃないか。
「…ありがとう、以降気を付けるわ。話題についても、表情についても」
「えぇ~、ふにゃって笑う先輩かわいいのにぃ~。旦那様についてももっと教えてくださいよぉ~」
不満げにこっちを睨んでくるが迫力は一切ない。気にせずお弁当を口に運ぶことにした。
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私・秋本菜瑞は3か月前に結婚した。
相手は若手の小説家。小説家というよりはライトノベル作家と言うべきだろうか。
大学在学中に作家デビューして早5年。デビュー作はそこそこヒットしたものの、その後は細々と執筆活動を続けている。
私達の出会いは大学時代だが、当時は少し仲がいい程度で恋愛関係には発展せず。
大学卒業後に業界では中堅くらいの規模である百代印刷に就職した私は、一昨年大手出版社が開催する創立記念パーティーに参加した。その会場で偶然彼と再会し連絡先を交換、その後デートから告白、同棲からプロポーズと順当に関係を深め、先日見事ゴールインとなった。
1つ年上の彼だが、長身ではあるものの猫背でひょろひょろした体形のため何とも頼りない感じである。
私の両親への挨拶に実家へ行った時は、小説家という仕事に加えその見た目も相まって「大丈夫なのか?」と大層心配された。両親としても収入面や精神面などで頼りになるのかと気がかりだったのだろう。
彼も必死に両親を説得していたが、両親は眉間に皺を寄せ険しい顔になるばかり。埒が明かないので「私が自分で選んだ旦那だ! 文句あんのか!」と私が啖呵を切ると、そこまで言うならと両親も納得したようで、その後は4人笑顔で酒を酌み交わし和やかに顔合わせを終えた。
まぁそんな一見頼りない彼ではあるが、私としては結婚するくらいには大好きなのだ。周囲から新婚ほやほやで未だ浮かれているように見えるのは大変遺憾だが、大好きな相手と結婚できて今とても幸せだ。
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「今日も疲れた…」
電車を降り駅から自宅へ歩く道すがら、思わず愚痴が出る。
終業間際に立て続けに来た電話の対応で定時退社とはいかなかったが、大した要件ではなかったので少々の残業で済んだのがせめてもの救いだ。
疲れた体を引きずりつつ駅から10分ほど歩くと、購入したてでまだ新築ピカピカの自宅マンションへ到着。自分たちの部屋の前まで到着し、鍵を開け中に入ると今日も夕飯のいい匂いが漂ってきた。たまらず急いで靴を脱ぎ、速足で廊下を駆けてリビングへ。
「ただいま!」
「おかえり。今日もお疲れ様。今夜はカレーだよ」
飛び込んできた私に、キッチンに立っていた彼は穏やかな笑顔でそう返してくれる。
秋本渉。お料理上手な私の愛しの旦那様だ。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
1話から3話までは同時公開ですので、引き続き読んで頂ければと思います。
1章は12話程度を予定しております。
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。