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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「おすわどん」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/09/22


落語声劇「おすわどん」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約35分


必要演者数:4名

      (0:0:4)

      (4:0:0)

      (3:1:0)【性別準拠人数比率】

      (2:2:0)

      (1:3:0)

      (0:4:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


徳三郎(とくさぶろう):上州屋(じょうしゅうや)という呉服屋(ごふくや)を営(いとな)む旦那(だんな)。

    若いがよく店の経営を切り盛りしている。


おそめ:徳三郎(とくさぶろう)の最初の妻。

    人並(ひとなみ)外れた器量(きりょう)よしで、徳三郎(とくさぶろう)にも良く尽(つ)くしていたが、

    それがもとで病(やまい)に倒れる。


おすわ:徳三郎(とくさぶろう)の後妻(ごさい)。

    おそめにも我が子のように可愛(かわい)がられ、同じ奉公人(ほうこうにん)からの信頼も

    厚い。


番頭(ばんとう):上州屋(じょうしゅうや)の番頭(ばんとう)。

   旦那(だんな)から毎夜聞こえる声の正体を暴(あば)くよう頼まれるが、恐れをなし

   て、断ってしまう。


荒木(あらき)又(また)ずれ:元ネタは作中にも書いてある、江戸初期の武士で、

      鍵屋(かぎや)の辻(つじ)の決闘で名高い、柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)の剣士、荒木又右衛門(あらきまたえもん)を

      もじり、子孫という設定で登場させている。

      町で剣術を教えており、徳三郎(とくさぶろう)から依頼を受けて、

      毎夜聞こえる声の正体を暴(あば)くべく、上州屋(じょうしゅうや)に泊まり込む。


蕎麦屋(そばや):江戸時代に大人気となったソウルフードの一つというべき蕎麦(そば)。

    昼となく夜となく売り歩き、最盛期には江戸だけで三千軒を数え

    るほど、右を向いても左を向いても蕎麦屋(そばや)があったとか。


語り:雰囲気を大事に。



●配役例


徳三郎・蕎麦屋・枕:

おそめ・おすわ:

番頭・語り:

叔父・荒木:



枕:江戸(えど)の昔、下谷(しもや)の阿倍川町(あべかわちょう)に呉服商(ごふくしょう)を営(いとな)む、上州屋(じょうしゅうや)という大店(おおだな)がござ

  いました。旦那(だんな)の名は徳三郎(とくさぶろう)といい、妻のおそめと共に他の人が羨(うらや)む

  ばかりの仲睦(なかむつ)まじさで日々を暮らしておりました。

  松の双葉(ふたば)はあやかりものよ、枯れて落ちても夫婦連(めおとづ)れ、てな都都逸(どどいつ)が

  ございます。

  これは夫婦(ふうふ)は枯れて落ちる事はないが、貧乏な時も大変な時も決して

  別れないという意味ですが、正にこれを地(じ)でいっていたわけですな。

  実際、おそめさんの器量(きりょう)は人並外(ひとなみはず)れており、亭主(ていしゅ)の徳三郎(とくさぶろう)にはよく

  つくす、店の奉公人(ほうこうにん)や出入りの者への気遣(きづか)いたるや、

  なみなみならぬものがございました。

  しかしそんな気遣(きづか)いしすぎるのが災(わざわ)いしたか、

  体をこわして寝込(ねこ)んでしまいます。

  さあ旦那(だんな)の徳三郎(とくさぶろう)、八方(はっぽう)手を尽(つ)くし、名医という名医に診(み)てもらい、

  果ては神仏(しんぶつ)へ願掛(がんか)けする有様(ありさま)。

  そんなある日、いつものように徳三郎(とくさぶろう)は妻おそめの枕元(まくらもと)へ、

  看病(かんびょう)にやって参ります。


おそめ:ごほっ、ごほ…。


徳三郎:おそめ、具合はどうだい? 大丈夫かい?

    お医者様がね、飲み薬を置いていっただろう?

    煎(せん)じたあれを飲んだら近頃だいぶ良くなっていると、

    そうおっしゃってたよ。


おそめ:いいえ…私はもう、ダメです…。

    そろそろあの世からお迎えが来そうな気がいたします。


徳三郎:何を言うんだい、おそめ。

    お前、病(やまい)は気からって言うじゃないか。

    気分を変えなきゃダメだよ。


おそめ:そんなことはありません。

    自分の命くらい、よくわかっています。


    こちらに嫁(とつ)いできて三年という間、一生ぶんに感じるほど、

    おまえ様にとても可愛(かわい)がっていただきました。

    おまえ様と夫婦(めおと)の契(ちぎ)りを交(か)わせて、おそめは本当に幸せでした。

    

    ただ、一つだけ気にかかる事は…、私が目をつぶった後、

    おまえ様はまだまだお若いですから、後添(のちぞ)えをお持ちになるで

    しょう。

    それについてやきもちがましい事は申しません。

    その時は、おまえ様によく尽(つ)くして奉公人(ほうこうにん)の面倒見(めんどうみ)の良い、

    立派な人を迎(むか)えて下さいね。

    そうすれば、私も思い残す事なくあの世とやらへ参れますから。

    ごほっ、ごほっ…。


徳三郎:バカなことを言うんじゃないよお前は。

    なぜそう弱気になるんだい。

    お前にもしもの事なんてない!

    いや、仮にあったとしてもだよ、お前がいなくなったら私は、

    もうこの世の中に女なんてものはいないと思うよ。

    とにかくね、そんな事は考えずに、さあさあ、養生(ようじょう)しておくれ。


語り:と、医者の処方していった薬を勧(すす)めてみたが、人間には寿命(じゅみょう)という

   ものがございます。与えられた天寿(てんじゅ)というものがある。

   その次の日の明け方、血相(けっそう)を変えた店の番頭(ばんとう)が飛び込んできました

   。


徳三郎:おぉ番頭(ばんとう)さん、今日も朝早いね。


番頭:だ、だ、だっ、旦那(だんな)様ッ!!

   お、おかみさんが…!!!


徳三郎:えっ!?

    【走り出す】

    おそめ…おそめ…そんな…そんなっ…!

    【障子を勢いよく開け放つ】

    おそめっ!!

    おそめっ! しっかりしなさい!

    おそめっ!!

    おそめぇぇっっ…!!

    おおぉぉぉぉッッ…!

    【しばらく号泣する】


語り:おまえ百までわしゃ九十九(くじゅく)まで、共に白髪(しらが)の生えるまで、という

   都都逸(どどいつ)があります。

   あわれ共(とも)に歳を重(かさ)ねる事かなわず、おそめはこの世を去りました。

   徳三郎(とくさぶろう)、金に糸目(いとめ)をつけず立派な葬式(そうしき)を上げて弔(とむら)い、

   初七日(しょなのか)・二七日(ふたなのか)・三十五日(さんじゅうごにち)、四十九日(しじゅうくにち)・百箇日(ひゃっかにち)、

   やがて一周忌(いっしゅうき)を迎えたころ、こんな話が持ち上がります。


徳三郎:おかげ様で、無事に一周忌(いっしゅうき)の法要(ほうよう)も済みました。

    叔父御(おじご)も、誠(まこと)にありがとうございます。


叔父:早いものだね、あれから一年だ。

   …徳(とく)さん、実はさっきみんなと話したのだが、これだけ大きな店を

   構(かま)えていて、女手(おんなで)が無いというのはどうも具合(ぐあい)の悪い話だ。

   だいいち店の信用にもかかわる。

   何よりまだ26という若さじゃないか。

   そろそろ、後添(のちぞ)えを考えてくれないと困るよ。


徳三郎:…いろいろと、ご心配をおかけして申し訳ございません。

    確かに、皆様のお気持ちも、叔父御(おじご)のおっしゃることも分かりま

    す。

    実はおそめが今(いま)わの際(きわ)に、これこれこういう事を言って逝(い)きまし

    て、それが未(いま)だに耳の底に残っているんです。

    なので、まだ後添(のちぞ)えという気には…。


叔父:いや、お前さんの気持ちが分からないわけじゃないよ。

   短い縁(えにし)だったけど、おそめさんを忘れる事ができないってのはね。

   けどね、亡くなった人の事は一日も早く忘れてやらないと、

   仏が浮かばれないよ。

   軒端(のきば)を離れられないと言うよ。

   それにね、一つの家に女というものがいないと、

   どうも殺風景(さっぷうけい)でいけない。色気というものが無い。

   だからね、後添(のちぞ)えを迎えるといい。

   おそめさんの事は、ちゃんと季節ごとのお墓参りをして、供養(くよう)してあ

   げればいいじゃないか。


徳三郎:ですが、しかし…。


叔父:何もこれはお前さん一人だけの事じゃないよ。

   この上州屋(じょうしゅうや)に奉公(ほうこう)している者達みんなの事も考えてのことだ。


徳三郎:…。


番頭:旦那(だんな)様、私からもお願いいたします。

   差(さ)し出(で)がましい事も、口幅(くちはば)ったい事を申しているのも分っているつ

   もりです。

   旦那(だんな)様とおかみさんの間柄(あいだがら)はよく存じております。

   ですが、店の事、私ども奉公人(ほうこうにん)の事を案じてくださるのでしたら、   

   なにとぞここは、まげて…!


徳三郎:…。

    わかりました…。

    では叔父御(おじご)、お頼み申します。


番頭:! ありがとうございます、旦那(だんな)様!


徳三郎:店の為、おまえ達の為…と言われては私も考えないといけないか

    らね…。


叔父:徳(とく)さん、よく決心してくれたね。

   じつは番頭(ばんとう)さんとも話したんだが、

   気心(きごころ)の知れない者をあちらこちらと探すよりも、どうだろうな。

   今まで奥で働いていた、おすわという女中(じょちゅう)なんだが、

   たいそう気立(きだ)てが優しく、器量(きりょう)も十人並(じゅうにんな)みの上だ。


徳三郎:おすわ…そういえばおそめもよく話していました。

    細かい所によく気が付くと。


番頭:亡くなったおかみさんは、自分の子供のように可愛(かわい)がっていました

   。

   何をするにも、どこへ行くにもおすわ、おすわと…、

   おすわもおかみさんによく懐(なつ)いておりました。

   奉公人たちも、”おすわどん”と親しみを込めて呼んでいるくらい

   で。


徳三郎:そうか…そんなに…。


叔父:あれを後添(のちぞ)えにするのが、一番丸く収まると思うのだが、

   徳(とく)さんはどう思うな?


徳三郎:ありがとう存じます。

    それでは叔父御(おじご)にお任せいたしますので、

    なにぶんよろしく、お願いいたします。


叔父:うむ、分かった。

   …実はな、おすわさんにはさっきから次の間(ま)で控(ひか)えてもらってる。

   入ってきなさい。


おすわ:は、はい…失礼いたします。


    おすわでございます。


徳三郎:おすわ、おそめの生前(せいぜん)は良くつくしてくれたね。

    私にもおそめの時と同じように、力を貸してくれるかい?


おすわ:も、もったいないお言葉です。

    これから幾久(いくひさ)しく、よろしくお願いいたします。


叔父:ようし決まった!

   あとのもろもろの事は番頭(ばんとう)さんにお願いしよう。

   おすわさん、徳三郎(とくさぶろう)のこと、頼んだよ。


おすわ:は、はい!


番頭:お任せください。

   所持万端(しょじばんたん)、滞(とどこお)りなく整えておきます。

   おすわさん…いえ、おかみさん、まずは先代(せんだい)のお部屋へご案内しま

   しょう。


おすわ:はい、よろしくお頼みいたします、番頭(ばんとう)さん。


語り:いささか押しの強い感が無くもないが、末(すえ)は徳三郎(とくさぶろう)も納得しての事

   、話はとんとん拍子(びょうし)にまとまり、おすわは上州屋(じょうしゅうや)の後添(のちぞ)えとなった

   のであります。

   さぁこのおすわさん、先代(せんだい)のおかみのおそめにも増(ま)して旦那(だんな)に

   はつくす、奉公人(ほうこうにん)には気を配る。出入りの者からの評判は上(じょうじょう)々と、

   非(ひ)の打ち所がありません。


徳三郎:おや番頭(ばんとう)さん、どうしたんだね?


番頭:旦那(だんな)様、お忘れ物です。


徳三郎:おぉ、これは粗忽(そこつ)だったよ。

    番頭(ばんとう)さん、よく気が付いてくれた。


番頭:いえ、気づいて私に持たせてくだすったのは、おかみさんです。


徳三郎:なに、おすわが?


番頭:はい。

   いや、実に恐れ入りました。

   ご先代(せんだい)以上に気の付く方です。


徳三郎:おすわのおかげでお前たち奉公人(ほうこうにん)や、出入りの者の一人まで笑顔

    が絶えない。

    ありがたいことだよ。


番頭:いや、こんな事を申してはお叱(しか)りを受けるかもしれませんが、

   旦那(だんな)様ほど女運(おんなうん)の良い方はいらっしゃらないのではないかと、

   最近しみじみ思うようになりまして…。


徳三郎:ふむ…。

    いや、番頭(ばんとう)さんの言う通りだ。

    私は幸せ者だね。

    ありがたいことだよ。


語り:徳三郎(とくさぶろう)をはじめ、店の奉公人(ほうこうにん)たちも良かった、良かったと、

   すっかり喜び、ほっと一安心しました。

   ところが、おすわさんが正式に徳三郎(とくさぶろう)の後添(のちぞ)えになって、数えて二十日(はつか)めの

   真夜中すぎ。俗(ぞく)にいう、丑三(うしみ)つ時(どき)でございます。


徳三郎:ううむ、夜中はやはり冷えるな…。

    さて、小用(しょうよう)も済んだし、寝所(しんじょ)に戻ってもうひと眠りーーん?


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


徳三郎:?はて、いま誰かうちの妻の名を呼んだような気がしたが…、

    それに表(おもて)の戸を叩(たた)くような音も聞こえたような…。

    空耳(そらみみ)だったかな…?


語り:その時は聞き間違いか空耳(そらみみ)で済ませた徳三郎(とくさぶろう)でしたが、

   それから毎晩同じ時刻の真夜中すぎに聞こえてくるようになったの

   です。


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


徳三郎:や、やっぱり空耳(そらみみ)じゃない!

    おすわの名前を呼んでる…!?


おすわ:お、おまえ様、おまえ様、聞こえましたか…!?

    あ、あれは…私の名を呼んでおります…!

    ! ま、まさか、おそめさんが私を恨んで…!?


徳三郎:そ、そんなはずはないだろう!

    だいいち、おそめはお前を可愛(かわい)がっていたはずじゃないのか?

    それなのに、どうして迷って出てくるって言うんだ!?


おすわ:わ、わたし、もしかして知らないうちに何かして…?

    う、うう…気分が…っ。


    【倒れるSEあれば】


徳三郎:あっ、お、おすわ、おすわ!

    これ、しっかりしなさい!


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


語り:身に覚えはない、しかしあれあの通り毎晩毎夜(まいばんまいよ)自分の名を呼ぶ。

   その為おすわはすっかり気に病(や)んで床(とこ)に伏(ふ)してしまいます。


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


徳三郎:ううう、今夜も…!

    おそめ、いったいお前は、何を訴えたいんだ…!!


おそめ:おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


語り:奉公人(ほうこうにん)たちもすっかり怯(おび)えてしまい、夜になると奥の一間(ひとま)に集まっ

   て、頭から布団(ふとん)をかぶってガタガタ震(ふる)えている。

   そしておすわの病状(びょうじょう)も日増(ひま)しに悪くなる一方。

   すっかり貧乏(びんぼう)くじを引いた形になってしまった徳三郎(とくさぶろう)ですが、

   このままでは暖簾(のれん)に傷がつく、これはいけないとばかりに、

   事態(じたい)の収拾(しゅうしゅう)へ向けて動き出します。


徳三郎:番頭(ばんとう)さん! 番頭(ばんとう)さんはいるかい!?


番頭:旦那(だんな)様、お呼びでございましょうか?


徳三郎:あぁ、あとを閉めて入ってくれるかい。


    【二拍】


    番頭(ばんとう)さん、私は今日ね、お前さんに手をついて頼みたいことが

    一つあるんだ。


番頭:だ、旦那(だんな)様!

   どうか顔を上げてくださいまし!

   何を野暮(やぼ)な事をおっしゃられますか。

   旦那(だんな)様は私どもの主(あるじ)で、私どもは奉公人(ほうこうにん)でございます。

   口幅(くちはば)ったい事を言うわけではありませんが、

   ご当家には先代(せんだい)の頃から奉公(ほうこう)させていただいているんですよ?

   主従(しゅじゅう)の間柄(あいだがら)というのは、そんな冷たいものじゃないはずです。

   俗に言うでございましょう。

   親子は一世(いっせ)、夫婦は二世(にせ)、主従(しゅじゅう)は三世(さんせ)、間男(まおとこ)はよせ、と。

   私は旦那(だんな)様の為、お店の為とあればたとえ火の中水の中、

   飛び込む覚悟(かくご)はいつでもできております。

   旦那(だんな)様はただ私どもに、ああしろ!こうしろ!と命じて下されば

   良いのです。


徳三郎:番頭(ばんとう)さん…よく言ってくれたね。

    私はその一言を聞いてほっとひと安心しました。

    お前さんみたいな忠義者(ちゅうぎもの)をもって、幸せ者だよ。

    それならね、番頭(ばんとう)さん、私はお前さんに命令します。


番頭:はいっ、承(うけたまわ)ります。


徳三郎:ここのところ、毎晩真夜中すぎになると表(おもて)の戸をバタバタ叩(たた)いて

    、うちのおすわの名を呼ぶ者がいる。

    すまないけどね、今晩その正体を見極(みきわ)めてくれないかい?


番頭:……長(ながなが)々、お世話になりました。

   本日ただいま限りで、お暇(ひま)を頂戴(ちょうだい)いたしとうございます。


徳三郎:な、なんだい、だしぬけにお暇(ひま)を頂戴(ちょうだい)するって。


番頭:旦那(だんな)様の前でございますが、私は昔から化物(ばけもの)と茄子(なす)が大嫌いな性分(しょうぶん)

   でして。


徳三郎:茄子(なす)なんかと一緒にするんじゃないよ。

    だいいち番頭(ばんとう)さん、お前さんさっきなんて言ったんだい?

    たとえ火の中水の中でも飛び込む覚悟(かくご)がある、そう言ったろう。


番頭:火の中水の中に飛び込む覚悟(かくご)はできておりますが、まだ化物(ばけもの)の中に

   飛び込む覚悟(かくご)はできておりませんで…。


徳三郎:何を薄情(はくじょう)な事を言っているんだ。

    まったく…なら、どうすればいいんだい…。


番頭:あの…旦那(だんな)様、それでしたら同じ町内に住んでおります、あの、

   だいぶお年は召(め)してらっしゃいますが、

   やぎゅうの流れを汲(く)んでいる一刀流(いっとうりゅう)の使い手、荒木(あらき)又(また)ずれ先生に

   お頼みしてはいかがでしょう?


徳三郎:荒木(あらき)先生にかい?

    でもたしか、やぎゅうと言っても柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)の新陰流(しんかげりゅう)ではなくて

    、野(の)の牛(うし)と書く方の野牛(やぎゅう)だそうじゃないか。

    たいそう荒っぽい剣術だそうだね。


番頭:はい。

   ですが、荒木(あらき)又(また)ずれ先生はかの荒木又右衛門(あらきまたえもん)の子孫にあたる方で、

   腕は二段も三段も上だとか。

   ただ、名前が悪かったために世に出られなかったと聞き及(およ)んでいま

   す。


徳三郎:ふ、ふうむ…そう、なのかい…?

    まあこの際だ、藁(わら)にもすがる思いだよ。

    番頭(ばんとう)さん、荒木(あらき)先生を呼んできてくれるかい?


番頭:承知(しょうち)しました、さっそく行って参ります。


   【二拍】


   たしか先生の道場は…ここだな。

   頼(たの)もう!


荒木:むっ、道場破(どうじょうやぶ)りか!?

   当道場(とうどうじょう)の看板は渡さんぞ、そこを動くなッ!!


番頭:あわわわ、しまった、挨拶(あいさつ)を間違(まちが)えた!

   荒木(あらき)先生、上州屋(じょうしゅうや)の番頭(ばんとう)でございます!!


荒木:なにッ!?

   なぁんじゃ、番頭(ばんとう)さんではないか。

   何ぞ、ご用かの?


番頭:じ、寿命(じゅみょう)が縮(ちぢ)んだ…。

   あ、そ、それで今日こちらに参ったのは、お頼みしたいことがありまして。


荒木:なに、わしに頼みたい事とな?


番頭:はい、詳しくは主(あるじ)・徳三郎(とくさぶろう)に会っていただければと…。


荒木:ふうむ…何やら深刻なわけがあるようじゃな。

   相分(あいわ)かった!共に参ろう。


語り:気軽(きがる)に引き受けてくれた荒木(あらき)先生、番頭(ばんとう)さんと共にお店に戻ると、

   徳三郎(とくさぶろう)から事の次第(しだい)を事細(ことこま)かに説明を受けます。


徳三郎:…というわけでして、家内(かない)は床(とこ)に伏(ふ)せってしまうし、奉公人(ほうこうにん)どもも

    夜も眠れず怯(おび)えているせいで昼の商(あきな)いにも影響が出ているしで、

    困り果てている次第(しだい)です。


荒木:なるほどの。拙者(せっしゃ)も武士の端(はし)くれ、

   心得(こころえ)た、拙者(せっしゃ)がその化物(ばけもの)の正体を暴(あば)き、退治(たいじ)てくれよう!


徳三郎:おお、お引き受けくださいますか!

    ありがとうございます!


荒木:夜になったら、皆は奥の一間(ひとま)に集まっておるがよい。

   わしは例の化物(ばけもの)の声が聞こえ次第(しだい)、いつでも飛び出せるように

   表玄関(おもてげんかん)で待ち受けよう。


徳三郎:よろしくお願い致します!

    先生がお力を貸して下さるなら百人力です!


荒木:では、支度をして参る。


語り:やがて日が暮れまして、すっかり支度(したく)を整えた荒木(あらき)先生が上州屋(じょうしゅうや)に

   現れます。

   店の者すべてが奥へ引っ込んだ後、刀の下(さ)げ緒(お)を外し、たすき十字(じゅうじ)

   に綾(あや)なしまして、店の上(あ)がり框(かまち)にどっかと腰を下ろします。

   今か今かと待つうちに、東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)で打ち出す八(やっ)つの鐘(かね)が、

   ごぉ~ん…ごぉ~んと鳴ります。

   草木も眠る丑三(うしみ)つの、矢の胸三寸(むねさんずん)下がり、

   川の流れもピタリと止まる。

   世間(せけん)がまるで死んだように、針を落としても音が聞こえるような。


荒木:そろそろ真夜中だな…。

   さぁ化物め、いつでもござんなれ!

   野牛(やぎゅう)流は荒木(あらき)又(また)ずれが、相手つかまつる…!


   【二拍】


   むぅ…、まだ現れぬか…?

   いかん、上の瞼(まぶた)と下の瞼(まぶた)がそろそろ仲良(なかよ)うし始めたわ…。


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん、ぉすわ~ど~~~ん。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


番頭:ひ、ひいい、せ、先代(せんだい)様、わ、わたしどもは決して先代(せんだい)様を邪魔に

   思っていたりなんかしてません…!

   なんまいだ、なんまいだぁ…!!


徳三郎:お、おそめ…

    い、いったいなにがそんなに未練(みれん)があるというんだ…!?


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん、ぉすわ~ど~~~ん。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


荒木:現れたな!

   化物(ばけもの)め、そこを動くなッッ!!

   【表の戸を勢いよく開け放つSEあれば】


蕎麦屋:!!?ひッ!!

    な、なんですかいったい?

    あぁ驚いた…!


荒木:その方(ほう)かッ!

   毎晩毎夜(まいばんまいよ)、ここのご家内(かない)の名を呼ぶのは!


蕎麦屋:え…?

    いや、あっしはここのおかみさんの名前なんざ、

    呼んだ覚えはございませんで。

    ただ毎晩、この時間帯にここへ参りまして、

    商(あきな)いをさせていただいておりますが…。


荒木:商いじゃと?

   ではその方(ほう)、何者だ!


蕎麦屋:何者もなにも、ご覧になる通りの蕎麦屋(そばや)でございまして、

    毎晩ここへ来て、お蕎麦(そば)うどんと触(ふ)れておりやすが…。


荒木:………、なに?


蕎麦屋:お蕎麦(そば)うどん、と触(ふ)れておりやすが。


荒木:お蕎麦(そば)、うどん…?

   おすわどん…。

   おそばうどん…。

   や、表(おもて)の戸をバタバタ叩(たた)いておったであろう!


蕎麦屋:いいえぇ、バタバタ言わしておりますなァ、この渋団扇(しぶうちわ)でもって

    七輪(しちりん)のケツを扇(あお)いでるんでございますが。


荒木:そうか…「幽霊の 正体見たり 枯(か)れ尾花(おばな)」、

   蕎麦屋(そばや)であったか…。

   世の中というのは不思議なもの、聞いてみれば他愛(たあい)のないものよ。

   怖い怖いと思えば白帚(しろぼうき)が鬼、やかんが天狗(てんぐ)に見えるというが、

   なるほど、そんなものか。

   いや、実はこれこれこういうわけで、拙者(せっしゃ)はここの店の主(あるじ)に頼まれて、

   化物退治(ばけものたいじ)に出張(でば)って参った。

   武士たるもの、頼まれてこのまま手ぶらで帰るわけには参らん。

   証(あかし)のために、その方(ほう)の首を手土産(てみやげ)に持って帰る!

   そこになおれィ! 撃ち落としてくれよう!


蕎麦屋:ちょちょちょっと待っておくんなせェ! 言う事が乱暴だな。

    …いくら手ぶらで帰(けえ)れねえのは分かりやすが、

    いちいち蕎麦(そば)売ってて首が胴(どう)から離れてたんじゃあ、

    江戸(えど)じゅうの蕎麦屋(そばや)みぃんな首無(くびな)しで商(あきな)いしなくちゃならねェ。

    お侍(さむらい)様が手ぶらで帰(けえ)れねえわけは分かりやすが、

    かと言ってあっしも、

    【首の根を叩く】

    一つしかねえこの首はさしあげられやせん。


荒木:ならばその方(ほう)、なんと致(いた)す!


蕎麦屋:…いかがでございやしょう、身代わりを立てますので、

    それでお許しのほどを。


荒木:なに、身代(みが)わりじゃと?


蕎麦屋:へい、あっしの倅(せがれ)を差し出しますので、

    ちょいとお待ちになってくだせえ。


荒木:なんじゃと!?

   蕎麦屋(そばや)、その方(ほう)、倅(せがれ)を身代(みが)わりに差し出すと申すか!?


蕎麦屋:ええと…こっちだ。

    へい、これでございやす。


荒木:引き出しから何か取り出したの…。

   なんじゃこれは!?


蕎麦屋:そば粉(こ)でございやす。


荒木:そば粉(こ)がなにゆえその方の倅(せがれ)になる!


蕎麦屋:へい、蕎麦屋(そばや)の子ですから、そば粉(こ)、

    倅(せがれ)になりやすな。


荒木:何ィ…蕎麦屋(そばや)の子でそば粉(こ)でその方(ほう)の倅(せがれ)…たわけた事を申すな!

   してこれを何とするのだ!


蕎麦屋:へぇ、手打ち(手討ち)になさいまし。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂歌丸

三遊亭圓楽(五代目)



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