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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「おすわどん」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「おすわどん」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約35分


必要演者数:4名

      (0:0:4)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


徳三郎とくさぶろう上州屋じょうしゅうやという呉服屋ごふくやいとな旦那だんな

    若いがよく店の経営を切り盛りしている。


おそめ:徳三郎とくさぶろうの最初の妻。

    人並ひとなみ外れた器量きりょうよしで、徳三郎とくさぶろうにも良くくしていたが、

    それがもとでやまいに倒れる。


おすわ:徳三郎とくさぶろう後妻ごさい

    おそめにも我が子のように可愛かわいがられ、同じ奉公人ほうこうにんからの信頼も

    厚い。


番頭ばんとう上州屋じょうしゅうや番頭ばんとう

   旦那だんなから毎夜聞こえる声の正体をあばくよう頼まれるが、恐れをなし

   て、断ってしまう。


荒木あらきまたずれ:元ネタは作中にも書いてある、江戸初期の武士で、

      鍵屋かぎやつじの決闘で名高い、柳生新陰流やぎゅうしんかげりゅうの剣士、荒木又右衛門あらきまたえもん

      もじり、子孫という設定で登場させている。

      町で剣術を教えており、徳三郎とくさぶろうから依頼を受けて、

      毎夜聞こえる声の正体をあばくべく、上州屋じょうしゅうやに泊まり込む。


蕎麦屋そばや:江戸時代に大人気となったソウルフードの一つというべき蕎麦そば

    昼となく夜となく売り歩き、最盛期には江戸だけで三千軒を数え

    るほど、右を向いても左を向いても蕎麦屋そばやがあったとか。


語り:雰囲気を大事に。



●配役例


徳三郎・蕎麦屋・枕:

おそめ・おすわ:

番頭・語り:

叔父・荒木:



枕:江戸えどの昔、下谷しもや阿倍川町あべかわちょう呉服商ごふくしょういとなむ、上州屋じょうしゅうやという大店おおだながござ

  いました。旦那だんなの名は徳三郎とくさぶろうといい、妻のおそめと共に他の人がうらや

  ばかりの仲睦なかむつまじさで日々を暮らしておりました。

  松の双葉ふたばはあやかりものよ、枯れて落ちても夫婦連めおとづれ、てな都都逸どどいつ

  ございます。

  これは夫婦ふうふは枯れて落ちる事はないが、貧乏な時も大変な時も決して

  別れないという意味ですが、正にこれをでいっていたわけですな。

  実際、おそめさんの器量きりょう人並外ひとなみはずれており、亭主ていしゅ徳三郎とくさぶろうにはよく

  つくす、店の奉公人ほうこうにんや出入りの者への気遣きづかいたるや、

  なみなみならぬものがございました。

  しかしそんな気遣きづかいしすぎるのがわざわいしたか、

  体をこわして寝込ねこんでしまいます。

  さあ旦那だんな徳三郎とくさぶろう八方はっぽう手をくし、名医という名医にてもらい、

  果ては神仏しんぶつ願掛がんかけする有様ありさま

  そんなある日、いつものように徳三郎とくさぶろうは妻おそめの枕元まくらもとへ、

  看病かんびょうにやって参ります。


おそめ:ごほっ、ごほ…。


徳三郎:おそめ、具合はどうだい? 大丈夫かい?

    お医者様がね、飲み薬を置いていっただろう?

    せんじたあれを飲んだら近頃だいぶ良くなっていると、

    そうおっしゃってたよ。


おそめ:いいえ…私はもう、ダメです…。

    そろそろあの世からお迎えが来そうな気がいたします。


徳三郎:何を言うんだい、おそめ。

    お前、やまいは気からって言うじゃないか。

    気分を変えなきゃダメだよ。


おそめ:そんなことはありません。

    自分の命くらい、よくわかっています。


    こちらにとついできて三年という間、一生ぶんに感じるほど、

    おまえ様にとても可愛かわいがっていただきました。

    おまえ様と夫婦めおとちぎりをわせて、おそめは本当に幸せでした。

    

    ただ、一つだけ気にかかる事は…、私が目をつぶった後、

    おまえ様はまだまだお若いですから、後添のちぞえをお持ちになるで

    しょう。

    それについてやきもちがましい事は申しません。

    その時は、おまえ様によくくして奉公人ほうこうにん面倒見めんどうみの良い、

    立派な人をむかえて下さいね。

    そうすれば、私も思い残す事なくあの世とやらへ参れますから。

    ごほっ、ごほっ…。


徳三郎:バカなことを言うんじゃないよお前は。

    なぜそう弱気になるんだい。

    お前にもしもの事なんてない!

    いや、仮にあったとしてもだよ、お前がいなくなったら私は、

    もうこの世の中に女なんてものはいないと思うよ。

    とにかくね、そんな事は考えずに、さあさあ、養生ようじょうしておくれ。


語り:と、医者の処方していった薬をすすめてみたが、人間には寿命じゅみょうという

   ものがございます。与えられた天寿てんじゅというものがある。

   その次の日の明け方、血相けっそうを変えた店の番頭ばんとうが飛び込んできました

   。


徳三郎:おぉ番頭ばんとうさん、今日も朝早いね。


番頭:だ、だ、だっ、旦那だんな様ッ!!

   お、おかみさんが…!!!


徳三郎:えっ!?

    【走り出す】

    おそめ…おそめ…そんな…そんなっ…!

    【障子を勢いよく開け放つ】

    おそめっ!!

    おそめっ! しっかりしなさい!

    おそめっ!!

    おそめぇぇっっ…!!

    おおぉぉぉぉッッ…!

    【しばらく号泣する】


語り:おまえ百までわしゃ九十九くじゅくまで、共に白髪しらがの生えるまで、という

   都都逸どどいつがあります。

   あわれともに歳をかさねる事かなわず、おそめはこの世を去りました。

   徳三郎とくさぶろう、金に糸目いとめをつけず立派な葬式そうしきを上げてとむらい、

   初七日しょなのか二七日ふたなのか三十五日さんじゅうごにち四十九日しじゅうくにち百箇日ひゃっかにち

   やがて一周忌いっしゅうきを迎えたころ、こんな話が持ち上がります。


徳三郎:おかげ様で、無事に一周忌いっしゅうき法要ほうようも済みました。

    叔父御おじごも、まことにありがとうございます。


叔父:早いものだね、あれから一年だ。

   …とくさん、実はさっきみんなと話したのだが、これだけ大きな店を

   かまえていて、女手おんなでが無いというのはどうも具合ぐあいの悪い話だ。

   だいいち店の信用にもかかわる。

   何よりまだ26という若さじゃないか。

   そろそろ、後添のちぞえを考えてくれないと困るよ。


徳三郎:…いろいろと、ご心配をおかけして申し訳ございません。

    確かに、皆様のお気持ちも、叔父御おじごのおっしゃることも分かりま

    す。

    実はおそめがいまわのきわに、これこれこういう事を言ってきまし

    て、それがいまだに耳の底に残っているんです。

    なので、まだ後添のちぞえという気には…。


叔父:いや、お前さんの気持ちが分からないわけじゃないよ。

   短いえにしだったけど、おそめさんを忘れる事ができないってのはね。

   けどね、亡くなった人の事は一日も早く忘れてやらないと、

   仏が浮かばれないよ。

   軒端のきばを離れられないと言うよ。

   それにね、一つの家に女というものがいないと、

   どうも殺風景さっぷうけいでいけない。色気というものが無い。

   だからね、後添のちぞえを迎えるといい。

   おそめさんの事は、ちゃんと季節ごとのお墓参りをして、供養くようしてあ

   げればいいじゃないか。


徳三郎:ですが、しかし…。


叔父:何もこれはお前さん一人だけの事じゃないよ。

   この上州屋じょうしゅうや奉公ほうこうしている者達みんなの事も考えてのことだ。


徳三郎:…。


番頭:旦那だんな様、私からもお願いいたします。

   がましい事も、口幅くちはばったい事を申しているのも分っているつ

   もりです。

   旦那だんな様とおかみさんの間柄あいだがらはよく存じております。

   ですが、店の事、私ども奉公人ほうこうにんの事を案じてくださるのでしたら、   

   なにとぞここは、まげて…!


徳三郎:…。

    わかりました…。

    では叔父御おじご、お頼み申します。


番頭:! ありがとうございます、旦那だんな様!


徳三郎:店の為、おまえ達の為…と言われては私も考えないといけないか

    らね…。


叔父:とくさん、よく決心してくれたね。

   じつは番頭ばんとうさんとも話したんだが、

   気心きごころの知れない者をあちらこちらと探すよりも、どうだろうな。

   今まで奥で働いていた、おすわという女中じょちゅうなんだが、

   たいそう気立きだてが優しく、器量きりょう十人並じゅうにんなみの上だ。


徳三郎:おすわ…そういえばおそめもよく話していました。

    細かい所によく気が付くと。


番頭:亡くなったおかみさんは、自分の子供のように可愛かわいがっていました

   。

   何をするにも、どこへ行くにもおすわ、おすわと…、

   おすわもおかみさんによくなついておりました。

   奉公人たちも、”おすわどん”と親しみを込めて呼んでいるくらい

   で。


徳三郎:そうか…そんなに…。


叔父:あれを後添のちぞえにするのが、一番丸く収まると思うのだが、

   とくさんはどう思うな?


徳三郎:ありがとう存じます。

    それでは叔父御おじごにお任せいたしますので、

    なにぶんよろしく、お願いいたします。


叔父:うむ、分かった。

   …実はな、おすわさんにはさっきから次のひかえてもらってる。

   入ってきなさい。


おすわ:は、はい…失礼いたします。


    おすわでございます。


徳三郎:おすわ、おそめの生前せいぜんは良くつくしてくれたね。

    私にもおそめの時と同じように、力を貸してくれるかい?


おすわ:も、もったいないお言葉です。

    これから幾久いくひさしく、よろしくお願いいたします。


叔父:ようし決まった!

   あとのもろもろの事は番頭ばんとうさんにお願いしよう。

   おすわさん、徳三郎とくさぶろうのこと、頼んだよ。


おすわ:は、はい!


番頭:お任せください。

   所持万端しょじばんたんとどこおりなく整えておきます。

   おすわさん…いえ、おかみさん、まずは先代せんだいのお部屋へご案内しま

   しょう。


おすわ:はい、よろしくお頼みいたします、番頭ばんとうさん。


語り:いささか押しの強い感が無くもないが、すえ徳三郎とくさぶろうも納得しての事

   、話はとんとん拍子びょうしにまとまり、おすわは上州屋じょうしゅうや後添のちぞえとなった

   のであります。

   さぁこのおすわさん、先代せんだいのおかみのおそめにもして旦那だんな

   はつくす、奉公人ほうこうにんには気を配る。出入りの者からの評判はじょうじょう々と、

   の打ち所がありません。


徳三郎:おや番頭ばんとうさん、どうしたんだね?


番頭:旦那だんな様、お忘れ物です。


徳三郎:おぉ、これは粗忽そこつだったよ。

    番頭ばんとうさん、よく気が付いてくれた。


番頭:いえ、気づいて私に持たせてくだすったのは、おかみさんです。


徳三郎:なに、おすわが?


番頭:はい。

   いや、実に恐れ入りました。

   ご先代せんだい以上に気の付く方です。


徳三郎:おすわのおかげでお前たち奉公人ほうこうにんや、出入りの者の一人まで笑顔

    が絶えない。

    ありがたいことだよ。


番頭:いや、こんな事を申してはおしかりを受けるかもしれませんが、

   旦那だんな様ほど女運おんなうんの良い方はいらっしゃらないのではないかと、

   最近しみじみ思うようになりまして…。


徳三郎:ふむ…。

    いや、番頭ばんとうさんの言う通りだ。

    私は幸せ者だね。

    ありがたいことだよ。


語り:徳三郎とくさぶろうをはじめ、店の奉公人ほうこうにんたちも良かった、良かったと、

   すっかり喜び、ほっと一安心しました。

   ところが、おすわさんが正式に徳三郎とくさぶろう後添のちぞえになって、数えて二十日はつかめの

   真夜中すぎ。ぞくにいう、丑三うしみどきでございます。


徳三郎:ううむ、夜中はやはり冷えるな…。

    さて、小用しょうようも済んだし、寝所しんじょに戻ってもうひと眠りーーん?


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


徳三郎:?はて、いま誰かうちの妻の名を呼んだような気がしたが…、

    それにおもての戸をたたくような音も聞こえたような…。

    空耳そらみみだったかな…?


語り:その時は聞き間違いか空耳そらみみで済ませた徳三郎とくさぶろうでしたが、

   それから毎晩同じ時刻の真夜中すぎに聞こえてくるようになったの

   です。


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


徳三郎:や、やっぱり空耳そらみみじゃない!

    おすわの名前を呼んでる…!?


おすわ:お、おまえ様、おまえ様、聞こえましたか…!?

    あ、あれは…私の名を呼んでおります…!

    ! ま、まさか、おそめさんが私を恨んで…!?


徳三郎:そ、そんなはずはないだろう!

    だいいち、おそめはお前を可愛かわいがっていたはずじゃないのか?

    それなのに、どうして迷って出てくるって言うんだ!?


おすわ:わ、わたし、もしかして知らないうちに何かして…?

    う、うう…気分が…っ。


    【倒れるSEあれば】


徳三郎:あっ、お、おすわ、おすわ!

    これ、しっかりしなさい!


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


語り:身に覚えはない、しかしあれあの通り毎晩毎夜まいばんまいよ自分の名を呼ぶ。

   その為おすわはすっかり気にんでとこしてしまいます。


おそめ:おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


徳三郎:ううう、今夜も…!

    おそめ、いったいお前は、何を訴えたいんだ…!!


おそめ:おそめ:ぉすわ~ど~~~ん…ぉすわ~ど~~~ん……。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


語り:奉公人ほうこうにんたちもすっかりおびえてしまい、夜になると奥の一間ひとまに集まっ

   て、頭から布団ふとんをかぶってガタガタふるえている。

   そしておすわの病状びょうじょう日増ひましに悪くなる一方。

   すっかり貧乏びんぼうくじを引いた形になってしまった徳三郎とくさぶろうですが、

   このままでは暖簾のれんに傷がつく、これはいけないとばかりに、

   事態じたい収拾しゅうしゅうへ向けて動き出します。


徳三郎:番頭ばんとうさん! 番頭ばんとうさんはいるかい!?


番頭:旦那だんな様、お呼びでございましょうか?


徳三郎:あぁ、あとを閉めて入ってくれるかい。


    【二拍】


    番頭ばんとうさん、私は今日ね、お前さんに手をついて頼みたいことが

    一つあるんだ。


番頭:だ、旦那だんな様!

   どうか顔を上げてくださいまし!

   何を野暮やぼな事をおっしゃられますか。

   旦那だんな様は私どものあるじで、私どもは奉公人ほうこうにんでございます。

   口幅くちはばったい事を言うわけではありませんが、

   ご当家には先代せんだいの頃から奉公ほうこうさせていただいているんですよ?

   主従しゅじゅう間柄あいだがらというのは、そんな冷たいものじゃないはずです。

   俗に言うでございましょう。

   親子は一世いっせ、夫婦は二世にせ主従しゅじゅう三世さんせ間男まおとこはよせ、と。

   私は旦那だんな様の為、お店の為とあればたとえ火の中水の中、

   飛び込む覚悟かくごはいつでもできております。

   旦那だんな様はただ私どもに、ああしろ!こうしろ!と命じて下されば

   良いのです。


徳三郎:番頭ばんとうさん…よく言ってくれたね。

    私はその一言を聞いてほっとひと安心しました。

    お前さんみたいな忠義者ちゅうぎものをもって、幸せ者だよ。

    それならね、番頭ばんとうさん、私はお前さんに命令します。


番頭:はいっ、うけたまわります。


徳三郎:ここのところ、毎晩真夜中すぎになるとおもての戸をバタバタたたいて

    、うちのおすわの名を呼ぶ者がいる。

    すまないけどね、今晩その正体を見極みきわめてくれないかい?


番頭:……ながなが々、お世話になりました。

   本日ただいま限りで、おひま頂戴ちょうだいいたしとうございます。


徳三郎:な、なんだい、だしぬけにおひま頂戴ちょうだいするって。


番頭:旦那だんな様の前でございますが、私は昔から化物ばけもの茄子なすが大嫌いな性分しょうぶん

   でして。


徳三郎:茄子なすなんかと一緒にするんじゃないよ。

    だいいち番頭ばんとうさん、お前さんさっきなんて言ったんだい?

    たとえ火の中水の中でも飛び込む覚悟かくごがある、そう言ったろう。


番頭:火の中水の中に飛び込む覚悟かくごはできておりますが、まだ化物ばけものの中に

   飛び込む覚悟かくごはできておりませんで…。


徳三郎:何を薄情はくじょうな事を言っているんだ。

    まったく…なら、どうすればいいんだい…。


番頭:あの…旦那だんな様、それでしたら同じ町内に住んでおります、あの、

   だいぶお年はしてらっしゃいますが、

   やぎゅうの流れをんでいる一刀流いっとうりゅうの使い手、荒木あらきまたずれ先生に

   お頼みしてはいかがでしょう?


徳三郎:荒木あらき先生にかい?

    でもたしか、やぎゅうと言っても柳生但馬守やぎゅうたじまのかみ新陰流しんかげりゅうではなくて

    、うしと書く方の野牛やぎゅうだそうじゃないか。

    たいそう荒っぽい剣術だそうだね。


番頭:はい。

   ですが、荒木あらきまたずれ先生はかの荒木又右衛門あらきまたえもんの子孫にあたる方で、

   腕は二段も三段も上だとか。

   ただ、名前が悪かったために世に出られなかったと聞きおよんでいま

   す。


徳三郎:ふ、ふうむ…そう、なのかい…?

    まあこの際だ、わらにもすがる思いだよ。

    番頭ばんとうさん、荒木あらき先生を呼んできてくれるかい?


番頭:承知しょうちしました、さっそく行って参ります。


   【二拍】


   たしか先生の道場は…ここだな。

   たのもう!


荒木:むっ、道場破どうじょうやぶりか!?

   当道場とうどうじょうの看板は渡さんぞ、そこを動くなッ!!


番頭:あわわわ、しまった、挨拶あいさつ間違まちがえた!

   荒木あらき先生、上州屋じょうしゅうや番頭ばんとうでございます!!


荒木:なにッ!?

   なぁんじゃ、番頭ばんとうさんではないか。

   何ぞ、ご用かの?


番頭:じ、寿命じゅみょうちぢんだ…。

   あ、そ、それで今日こちらに参ったのは、お頼みしたいことがありまして。


荒木:なに、わしに頼みたい事とな?


番頭:はい、詳しくはあるじ徳三郎とくさぶろうに会っていただければと…。


荒木:ふうむ…何やら深刻なわけがあるようじゃな。

   相分あいわかった!共に参ろう。


語り:気軽きがるに引き受けてくれた荒木あらき先生、番頭ばんとうさんと共にお店に戻ると、

   徳三郎とくさぶろうから事の次第しだ事細ことこまかに説明を受けます。


旦那:…というわけでして、家内かないとこせってしまうし、奉公人ほうこうにんどもも

   夜も眠れずおびえているせいで昼のあきないにも影響が出ているしで、

   困り果てている次第しだいです。


荒木:なるほどの。拙者せっしゃも武士のはしくれ、

   心得こころえた、拙者せっしゃがその化物ばけものの正体をあばき、退治たいじてくれよう!


旦那:おお、お引き受けくださいますか!

   ありがとうございます!


荒木:夜になったら、皆は奥の一間ひとまに集まっておるがよい。

   わしは例の化物ばけものの声が聞こえ次第しだい、いつでも飛び出せるように

   表玄関おもてげんかんで待ち受けよう。


旦那:よろしくお願い致します!

   先生がお力を貸して下さるなら百人力です!


荒木:では、支度をして参る。


語り:やがて日が暮れまして、すっかり支度したくを整えた荒木あらき先生が上州屋じょうしゅうや

   現れます。

   店の者すべてが奥へ引っ込んだ後、刀のを外し、たすき十字じゅうじ

   にあやなしまして、店のがりかまちにどっかと腰を下ろします。

   今か今かと待つうちに、東叡山寛永寺とうえいざんかんえいじで打ち出すやっつのかねが、

   ごぉ~ん…ごぉ~んと鳴ります。

   草木も眠る丑三うしみつの、矢の胸三寸むねさんずん下がり、

   川の流れもピタリと止まる。

   世間せけんがまるで死んだように、針を落としても音が聞こえるような。


荒木:そろそろ真夜中だな…。

   さぁ化物め、いつでもござんなれ!

   野牛やぎゅう流は荒木あらきまたずれが、相手つかまつる…!


   【二拍】


   むぅ…、まだ現れぬか…?

   いかん、上のまぶたと下のまぶたがそろそろ仲良なかようし始めたわ…。


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん、ぉすわ~ど~~~ん。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


番頭:ひ、ひいい、せ、先代せんだい様、わ、わたしどもは決して先代せんだい様を邪魔に

   思っていたりなんかしてません…!

   なんまいだ、なんまいだぁ…!!


旦那:お、おそめ…

   い、いったいなにがそんなに未練みれんがあるというんだ…!?


おそめ:ぉすわ~ど~~~ん、ぉすわ~ど~~~ん。

    【バタバタと戸を叩くような音のSEあれば】


荒木:現れたな!

   化物ばけものめ、そこを動くなッッ!!

   【表の戸を勢いよく開け放つSEあれば】


蕎麦屋:!!?ひッ!!

    な、なんですかいったい?

    あぁ驚いた…!


荒木:そのほうかッ!

   毎晩毎夜まいばんまいよ、ここのご家内かないの名を呼ぶのは!


蕎麦屋:え…?

    いや、あっしはここのおかみさんの名前なんざ、

    呼んだ覚えはございませんで。

    ただ毎晩、この時間帯にここへ参りまして、

    あきないをさせていただいておりますが…。


荒木:商いじゃと?

   ではそのほう、何者だ!


蕎麦屋:何者もなにも、ご覧になる通りの蕎麦屋そばやでございまして、

    毎晩ここへ来て、お蕎麦そばうどんとれておりやすが…。


荒木:………、なに?


蕎麦屋:お蕎麦そばうどん、とれておりやすが。


荒木:お蕎麦そば、うどん…?

   おすわどん…。

   おそばうどん…。

   や、おもての戸をバタバタたたいておったであろう!


蕎麦屋:いいえぇ、バタバタ言わしておりますなァ、この渋団扇しぶうちわでもって

    七輪しちりんのケツをあおいでるんでございますが。


荒木:そうか…「幽霊の 正体見たり 尾花おばな」、

   蕎麦屋そばやであったか…。

   世の中というのは不思議なもの、聞いてみれば他愛たあいのないものよ。

   怖い怖いと思えば白帚しろぼうきが鬼、やかんが天狗てんぐに見えるというが、

   なるほど、そんなものか。

   いや、実はこれこれこういうわけで、拙者せっしゃはここの店のあるじに頼まれて、

   化物退治ばけものたいじ出張でばって参った。

   武士たるもの、頼まれてこのまま手ぶらで帰るわけには参らん。

   あかしのために、そのほうの首を手土産てみやげに持って帰る!

   そこになおれィ! 撃ち落としてくれよう!


蕎麦屋:ちょちょちょっと待っておくんなせェ! 言う事が乱暴だな。

    …いくら手ぶらでけえれねえのは分かりやすが、

    いちいち蕎麦そば売ってて首がどうから離れてたんじゃあ、

    江戸えどじゅうの蕎麦屋そばやみぃんな首無くびなしであきないしなくちゃならねェ。

    おさむらい様が手ぶらでけえれねえわけは分かりやすが、

    かと言ってあっしも、

    【首の根を叩く】

    一つしかねえこの首はさしあげられやせん。


荒木:ならばそのほう、なんといたす!


蕎麦屋:…いかがでございやしょう、身代わりを立てますので、

    それでお許しのほどを。


荒木:なに、身代みがわりじゃと?


蕎麦屋:へい、あっしのせがれを差し出しますので、

    ちょいとお待ちになってくだせえ。


荒木:なんじゃと!?

   蕎麦屋そばや、そのほうせがれ身代みがわりに差し出すと申すか!?


蕎麦屋:ええと…こっちだ。

    へい、これでございやす。


荒木:引き出しから何か取り出したの…。

   なんじゃこれは!?


蕎麦屋:そばでございやす。


荒木:そばがなにゆえその方のせがれになる!


蕎麦屋:へい、蕎麦屋そばやの子ですから、そば

    せがれになりやすな。


荒木:何ィ…蕎麦屋そばやの子でそばでそのほうせがれ…たわけた事を申すな!

   してこれを何とするのだ!


蕎麦屋:へぇ、手打ち(手討ち)になさいまし。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂歌丸

三遊亭圓楽(五代目)



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