88 楽しい解読3
静まり返った宿に殺気立ったかのようなカイの大きな声が響いた。リュディガーがいつの間にか私とカイの間に体を滑り込ませ、護衛として待機していたイーロが反射的に腰を低くして臨戦態勢に入った姿が見えた。どっちを止めようとしてるんだか。
「まぁ落ち着け。もう一度確認すれば良いではないか?」
平民である私とカイの間を取り持つように子爵が静かな落ち着いた声で割って入る。なんだかんだ言って平民と一緒に解読するのも本来のお貴族様にはあり得ないことだろうに、こんな気遣いをしてくれるなんて。これもオジジのおかげかな。
「申しわけございません、ランベルティーニ子爵様」
すかさずリュディガーが子爵に謝罪する。
「かまわない。解読する上で意見がぶつかるのはよくあることであろう」
子爵の口添えに立ち上がっていたカイも我に返ると謝罪を口にし、イスに座り直した。
「だけどエメラルド、根拠のない事で混乱させるなよ」
「根拠がないのはまだ試してないから確証がないだけで、これからそれを探せばいいだけだよ。とにかく引っかかることは納得するまで調べたほうが良いってオジジがいつも言ってた。『解読は根気が命!』ってね」
いつも私が解読中イライラしている時に宥めるようにオジジが言ってくる言葉を口にした。
「なに!?ゼバルド殿がか!けだし名言であるな」
「クソッ、俺はまだまだだな……」
感動する子爵とアッという間に落ち込むカイをリュディガーが生暖かい目で見ている。
なんでかな?良い言葉だよね。
私はそこから疑問に思った事を丁寧に説明していった。
「実は昔からずっと思ってたんだけど、解読するに当たってどうしても現代語に訳す時に過不足する文字が出てくるじゃない?これってなんでなのかなって」
解読中の文をノートに写したものを指さし、どうしても浮いてしまう文字に丸をつけて見やすくしていく。解読を進めていくと時々出てくるこの文字を避けるとすんなり訳せるのでこれまではそうしていた。
「ここと、これと……あぁ、ここも」
指し示す文字をカイは興味なさげに見て言う。
「それは恐らく複数と単数の違いや現代と単語の言い回しが違うせいだってなってるじゃないか」
「そうだな、私もそう聞かされていたしそれに則ってこれまで解読しても差し支えなかったように思われるが?」
子爵もカイに同意し、夜も深くなり少しよれてしまった鼻髭を指でなぞっている。
「私もずっとそうだったんだけど、これまでと同じやり方じゃどうしても後半部分が進まないじゃない?『ヴィーラント法』に限ってそういう浮いた文字がやけに多い気がするし、中盤辺りから法則通りに解読してもしきれない部分がどんどん増えていく」
『ヴィーラント法』の本をパラパラ捲り後半の殆ど解読出来ていないページを開いて見せる。するとカイも子爵も苦い表情を浮かべまぁそうだなという風に頷く。
「でもそれは誤差の範囲内というか、過去と現代の文を綴る上での常識の違いと写本の特性のせいだろうと言われているだろ?」
「写本だから写し間違いもある。それも勿論わかっての事だよ。でも『ヴィーラント法』を書く人がさ、前半と後半の文章を違う法則でわざわざ書く事に意味が無いとは思えない」
一瞬の間があき二人は文面に落としていた視線をゆっくりとあげた。
「意味が無いと思えない……確かに言われてみればそうであるな。『ヴィーラント法』はかつて星まで行ったという夢物語にしか出て来ぬような魔導具を発展させてきた者が記していると言われている。それが事実だというであるならとてつもなく頭脳明晰な者であることは必至」
「そういう人が本を残すのにそんな非常識な事をするのかって事か」
自分が口にした言葉なのにそのせいで二人が考え込んでしまう。さっきまでの騒がしい部屋の中に雨がざあざあと降る音だけが響いていた。
「今日はここまでにしましょう」
リュディガーが急に言い出し驚いて時計を見ると深夜二時を過ぎていた。
「まだ二時だよ」
「もう二時だ」
睨み合っていると子爵がゴホンと咳払いをする。
おぉ!そうだ、今夜は子爵という味方が居るんだった!
解読をしていれば気がつけば朝なんて事があると言っていた子爵にすればまだ序の口のはず。嬉しくて子爵を振り返るとそこにはノートを纏めて立ち上がる姿があった。
「子爵様?」
驚いているとカイまで素早く立ち上がる。
「わかった、わかったから睨むな」
睨むな?
直ぐにリュディガーの顔を見たがスンとしている。
「すまぬ、婦女子をこのよう深夜まで引き留めるような事をしてしまい非常識であったな」
「そんな!子爵様、まだ朝まで時間があります。それに折角解読の糸口が見つかりそうなのに」
縋ろうとする私をリュディガーが捕獲し肩に担ぐ。
「御前失礼致します」
「構わぬ。だがエメラルドは納得しておらぬようだが?」
「大丈夫です。コレの扱いは慣れております」
「もぉ~離してよ!まだ眠くないー!」
リュディガーは暴れる私を担いだまま子爵を見送りそのまま部屋へ連れて行かれる。カイはアクビをしながらとっとと自分の部屋へ消えて行った。
「リュディガーはこのままエメラルドと一緒なのか?」
私の部屋の前まで来ると護衛としてついて来たイーロが確認を取ってくる。
「違う!直ぐに寝かしつけて出てくる」
リュディガーが慌てて否定する。
「ちょっと!寝かしつけるとか言わないでよ幼児じゃないんだから!」
イーロがドアを開けてくれリュディガーが騒ぐ私をくるりと持ち替えベッドにそっと下ろしてくれる。リュディガーの後ろでパタリとドアが閉じられた。
「はぁ、折角ノッて来てたのに〜」
解読を中断された文句をブツブツと投げかけるがリュディガーは私に毛布をかけながら「はいはいわかった」と言いながら髪を撫でてくる。
もう!いっつも子ども扱い、なんだ、から……
直ぐに意識が遠のく。いや早過ぎないかというイーロの声とクツクツ笑うリュディガーの声を聞いたような気がする。
はい、朝だー。雨がまだ降ってるー。
よく寝たわと思いながら体を起こすとサイラが直ぐに部屋に入って来た。
「おはようございますエメラルド様」
「おはよう、今何時?」
「まだ九時過ぎでございます。皆様朝食を摂っておられますがご一緒されますか?」
「そうする」
顔を洗い仕度を済ませるとサイラに連れられ食堂へ向う為に部屋を出た。
「起きたのね、おはようエメラルドちゃん」
マグダがにっこり笑って挨拶をしてくる。確か昨晩はイーロだったから交代したんだろう。
「おはよう」
「夜更かしはお肌に悪いんだからほどほどにね。あなたが眠らないとサイラだって眠れないんだから」
そういえばサイラは同じ部屋だった。間仕切りで分けた感じになっていたから忘れてた。
「ごめんね、サイラ」
「いえ、続けられると流石に困りますが数日なら平気です。ですがエメラルド様のお体のためにもくれぐれも早目にお休み下さい」
いつも優しいサイラに若干きゅっと睨まれてしまう。若干じゃないか。「はい、気をつけます」というしかないな。
マグダとサイラに付き添われ食堂へ向うと信じられない光景が飛び込んで来た。
「ちょっと待ってよ!あり得ない!!」
そこには子爵とカイがノートを突き合わせ解読をしている姿があった。
「私の居ない所で酷い!」
「うわぁ、エメラルド、おはよう。そう怒るな、すまん。それより『ヴィーラント法』を出してくれよ」
カイが全く悪く思ってない態度で本を出せと急かす。
「あぁ、エメラルド。よく眠ったようだな。早速で悪いが『ヴィーラント法』を出してもらえぬか。この中盤からまだ写し終えて無いのだ」
子爵まで悪びれた様子もなく本の催促か!絶対に出してやらない!
読んで頂いてありがとうございます。
面白いと思って頂けましたら、ブクマ、評価、宜しくお願いします。




