第二話『わたしは舞城幸音! あなたの嫁よ!』
理解不能な光景が広がっている。
圧倒的な暴力。彼がわたしと同じ人間である事が俄には信じ難い。
特攻服を着たリーゼント頭の男が殴る度、蹴る度にゾンビが宙を舞う。
「ドラァ! オラオラ! ウラァ!」
ゾンビと出会ったら逃げる。それが新世界の鉄則だ。何故なら、絶対に勝てないからだ。
彼らは不死身なのだ。頭を潰しても、銃で蜂の巣にしても、ガソリンを掛けて燃やしてすらも動き続ける。
そして、彼らは熊並のパワーを持っている。その手に掴まれたら逃げ出す事など不可能だ。皮膚を破られ、肉を裂かれ、骨を砕かれて拘束される。
上手く立ち回れば負けない事は出来る。けれど、勝つ事だけは絶対に出来ない。それがゾンビだ。
それなのに――――、
「なんなの、あの男……」
彼はゾンビを一方的に蹂躙している。
ぶっ飛ばされたゾンビ達は肉塊を飛び散らせ、骨が砕け散り、動けなくなっている。
「……ど、どういう事!?」
軍隊でも無力化させる事が敵わず、隔離地域を設定してバリケードの中に閉じ込める事でしか対処する術が無かったゾンビが無力化されている。その異常事態にわたしは頭の中が真っ白になった。
その間にも竜河大輝と名乗った彼は暴れ回る。
ゾンビの頭を鷲掴みにして、別のゾンビに叩きつけ、近くに落ちていた鉄パイプを持ち上げると、まるで目刺のように五体のゾンビの頭を貫通させて、そのまま壁に縫い付けた。
「あぶないっ!」
思わず叫んでしまった。彼が転んで地面に倒れ伏したゾンビの頭をコンクリートでヤスリがけのように磨り潰している所へ、別のゾンビが飛びかかって来たのだ。けれど、彼はアッサリと避けると、そのゾンビの両足を掴んで、真っ二つに引き裂いてしまった。
「……に、人間って、あんな風に割けるんだ」
新世界ではスプラッターな光景が日常茶飯事となり、否応にも慣れてしまったつもりだったけれど、その光景はわたしの意識をぶっ飛ばす程に衝撃的だった。
こんなゾンビだらけな場所で気を失ったら、それこそ死んだも同然だ。けれど、疲労が限界まで蓄積されていた事も相まって、わたしの視界は真っ白になった。
ああ、死んだ。そう確信しながらも、抗えなかった。
◆
そして、覚めない筈の眠りから普通に覚めた。
「……あれ?」
「起きたか」
そこは意識を失う前に居た場所の近くにあった公園だった。辺りには無数のゾンビの残骸が散らばっている。どれもこれもがグシャグシャの挽き肉状態になっている。それでも動こうとしているのか、プルプルと震えていて、正直、凄く気持ち悪い。
「じゃあな」
「ちょっと待ったー!」
わたしが目覚めると共に立ち去ろうとする男にわたしは飛び掛かった。
「ほあっ!?」
逃がしてなるものか! この男はわたしが起きるまで、わたしを守った。つまり、この倫理観ゼロが当たり前の新世界の中で倫理観を残している希少種だ。おまけにゾンビを肉塊に変えられる程の圧倒的な武力を持っている。
この男を利用すれば、わたしは生き残る事が出来るかもしれない。そう考えて、わたしは何が何でも彼に取り入るつもりだった。
ところが――――、
「……は?」
わたしが抱きつくと、彼は真っ赤になった。
まるで、漫画のようだ。お酒でも呑んだかのように、彼は顔を赤くしている。
「お、お、おまっ、お、女が気安く俺に触ってんじゃねぇ!」
そう怒鳴りつつ、まるで壊れ物にでも触れるかのような手つきでわたしを引き剥がそうとしてくる。
信じられない。この男、信じられない程の初心だ。
奇跡だと思った。わたしはますます彼に密着して言った。
「おねがい、わたしを助けて!」
「な、な、なに言ってやがる! と、とにかく、おまっ、離れろよ! な、なんだ!? お前、俺の事が好きなのかぁ!?」
「ええ、好きよ!」
彼は天までぶっ飛ぶような衝撃を受けたような表情で固まった。だけど、石のままでは困る。
「大輝って言ったわよね? わたし、あなたのお嫁さんになってあげる!」
「な、なに言ってやがる!? よ、よ、嫁だぁ!? そ、そういうのはまず文通から始めてだな……」
いつの時代の人間なんだ、こいつ。
「大輝!」
「ほあっ!?」
とりあえず、この男は間違いなく童貞だ。
ただのハグや告白でここまで挙動不審になる男に女性経験などあるわけがない。
ペースはわたしが掴んでいる。この男の手綱を握れるチャンス、逃す事など出来ない。
即断即決。チャンスを逃さない。それが新世界で生きる為の鉄則だ。
「わたしは舞城幸音! あなたの嫁よ!」
「いや、お前、言ってる事が滅茶苦茶だぞ! 言葉の意味分かってんのか!?」
「もちろんよ! それとも……、イヤ?」
わたしはアイドルを目指して鍛え上げた演技力を総動員した。
哀しそうな表情を作り、精一杯儚げな仕草をした。すると、竜河大輝はオロオロし始めた。
この男、旧世界ではどうやって生きていたのだろう? あまりにも女に対する免疫が無さ過ぎる。
「い、いや、あのな? イヤとか、そ、そういう事じゃねぇんだよ! だから、つまり、その……、お、俺達は出会ったばっかりだろ? だからよぉ、まずはお友達から……ってな具合によぉ」
「あなたのお嫁さんになりたいの」
わたしは必殺のチャーミングスマイルを叩き込んだ。
効果はちょっと不安になるくらい抜群だった。一瞬、彼の瞳がハートマークになったような気さえするほどだ。
「……あの、じゃあ……、よ、よろしく」
「ありがとう、ダーリン!」
「ダーリン!?」
こうして、わたしは最強のボディーガードを手に入れた。