第十九話『どうか、私の主人になってくれませんか?』
仙台駅を横目に青葉城跡地に繋がる道を進んでいく。
「そこを曲がってくだされ」
「はーい」
もう、青葉城跡地は目と鼻の先だ。それなのに、人気がない。
「……拠点を移したとか?」
「いえ、そろそろ関所が見えてくる筈でござる」
「関所?」
進ノ介のナビに従って進んでいくと橋があった。その先に簡素なバリケードが築かれている。
「あれ?」
「然様」
「……しょぼくない?」
そのバリケードは木を適当に並べただけだった。あれでは多少の足止めにしかならない。
「それでいいのでござるよ。あれはあくまでも、関所。人とゾンビ。そして、味方と敵を見定める為に設置されているものでござる」
「いや、それにしたって……」
「下手に道を塞ぐ事は悪手なのでござるよ」
「はぁ? どういう事?」
「ゾンビは道を歩くでござる。道とそうでない場所ならば、人は道を選ぶでござろう? 本能にまで刻まれている常識はゾンビになっても健在というわけでござるよ。故に、道を残しておけば、奴らの行動をある程度制限する事が出来るのでござる。逆に道を残さねば、奴らはあらゆる場所から現れてしまうでござるからな」
「なるほど……」
さすがに車に乗ったままだと通り抜ける事が出来ない。わたし達は関所前で車を降りる事にした。
「急ぎましょう。ゾンビは青葉山の外周をグルグルと回っているでござる。今は幸いにも近辺に姿を見せていないでござるが、拙者達が来た事でゾンビの徘徊ルーチンも変わっている筈でござるからな」
「外周をグルグル?」
「関所とバリケードを組み合わせて、そうなるように仕向けているのでござるよ」
サラッととんでもない事を言っている。これまでにも感じていた事だけど、進ノ介のゾンビに対する知識量には舌を巻かざるを得ない。恐らく、その知識の源がここにあるのだろう。
「とりあえず、拳銃と手榴弾と催涙ガスと……」
「……女子供も大勢いるでござる。いざという時、出来れば催涙ガスでお願いするでござるよ」
「使うなとは言わないのね」
「私情で幸音殿を死なせるわけにはいかないでござるからな」
「まあ、襲ってこない限りは善処してあげる」
進ノ介がウソを一つも吐いていなかったとしても、彼がここに居たのは数ヶ月前の事だ。状況が目まぐるしく変化し続ける新世界において、彼の情報など実のところ、ほとんどアテにならない。
ここは進ノ介の故郷ではなく、敵の本拠地だ。最悪、皆殺しにする事になるかもしれない。
だから、あくまでも善処するとしか言えない。
「……ほんとに、善処するとしか言えないわよ。もし、ここの連中がわたし達を殺そうとするなら、一人も生かしておけない。女子供関係なくね。逆恨みで何を吹聴されるか分からないし、復讐に動かれても迷惑だもの。それ、分かってるわよね?」
「わかっているでござるよ」
進ノ介ははっきりと答えた。
「他に選択肢がないんだ。秋道殿が潰れれば、どの道、未来がない。そして……、その事に気付いている人間が少な過ぎる……」
「……まあ、全員が状況を認識出来ていたら、一人に全部背負わせる状況になんてなってないわよね」
「うん。だから……」
「だから、独断専行で勝手に飛び出して、勝手に次のリーダー候補を見つけて連れて来たってわけね。裏切り者扱いされるんじゃないの? ぶっちゃけ、考えれば考える程、ここの連中を皆殺しにする未来しか見えてこないんだけど……」
「……そうならないように根回しはしているでござるよ。たしかに多くはありませぬが、本拠地にも拙者達の同志がそれなりに残っているでござるからな」
「だと良いけどね」
「……そこのバリケードから登山道に入るでござるよ」
どうやら、そこが本拠地への入口らしい。わたしは警戒心を跳ね上げた。
関所を超えた時点でわたし達の存在は相手に知られている筈だ。
「待っていましたよ、進ノ介くん」
バリケードに近づいていくと、その向こう側から一人の紳士が現れた。
ビシッと着こなしたスーツ。綺麗に整えられた口髭。そして、シルクハット。
こんな紳士は見た事がない。そのくらい、彼は紳士だった。
「……役者さん?」
「違うでござるよ。あの方は華雅藤次郎殿。華雅グループの総裁でござる」
「……華雅グループって、あの華雅グループ?」
「然様」
華雅グループと言えば、日本でも有数の財閥だ。鉄鋼業や海運業、他にも様々な分野でその名を聞く。その総裁と言えば、まさに億万長者だ。
「そう言えば、華雅グループの本拠地は東北にあるんだっけ」
「その通りですよ、お嬢さん」
いつの間にか、紳士はわたしの目の前まで来ていた。
まったく気配を感じ取る事が出来なかった。その身のこなしに無駄はなく、とても洗練されている。
「……テメェ、強ェな?」
「人並み程度に武芸を楽しんでいるだけですよ、竜河大輝くん」
「進ノ介に聞いたのか?」
「その前から知っていましたよ。なにしろ、蘭堂くんを倒した男だからね」
「……蘭堂の事も知ってやがんのか」
「彼は若者達のグループのリーダーですからね」
ああ、この男はヤバい。おちゃらけた格好と丁寧な物腰で隠しながら、その実態は言葉巧みに相手を支配下に置こうとするタイプだ。
今の言葉を要約すると、『オレはお前のすべてを知っているぞ』と言っている。精神的な圧力をかけようとしているわけだ。
「やめとけ、幸音」
この男は殺しておいた方がいいと思った。だから、拳銃を取り出そうとしたのに、大輝に止められた。
「……でも」
「俺がこいつとタイマン張って、負けると思うか?」
「思わないけど、殺しといた方が安心だし……」
「お前の側には俺がいる。それでも、安心出来ねぇってのか?」
「……だったら、ちゃんと守ってね?」
「ったりめぇだ」
わたしは拳銃から手を離した。すると、大輝は乱暴にわたしの頭を撫でた。
それだけで、わたしは安心出来た。
「……申し訳ない。そういうつもりではなかったのですが、どうしても癖でね」
「華雅殿はナチュラルボーン・ルーラーでござるからなぁ」
「いやはや、困ったものです」
そう言って、紳士は寂しげに微笑んだ。
そのあざとさに鳥肌が立つ。この男は人の心に取り入る手管に長けている。
進ノ介が言った通り、この男はまさしく生まれながらの支配者だ。
だからこそ、不可解だ。この男がいるなら、進ノ介がわざわざ外部に新しいリーダーを探しに行く必要など無かった筈だ。
「……アンタが秋道の代わりをやればいいんじゃないの?」
「無理ですね」
「はぁ?」
生まれながらの支配者なんて、まさにうってつけの存在だ。
「支配する事は出来るでしょう。ただ、その後が問題なのです」
「どういう意味よ? 支配出来るなら十分でしょ」
「私は性格が悪いのですよ」
困ったように彼は言った。
「加えて、嗜虐趣味まで持っています。権力を握ってしまったら、私はこの地を地獄に変えるでしょう」
「変えるでしょうって……、すごい他人事みたいな口振りね……」
言葉の内容が衝撃的過ぎて、中々頭に入って来ない。
「実際、権力を握っていた間の私はまさに人非人でした。わざと破滅させた人間の数は数え切れません。世界が一変して、権力を失った事で少し落ち着きましたけどね。悪い事を悪い事だと分かっていて、やってはいけない事だとも理解しているのですが……その、どうしてもですね……、人間を破滅させたくなってしまうんです」
ああ、ほんとにヤバい。丁寧な言葉遣いと物腰に騙されそうになる。
「しかも、こんな世界です。嗜虐趣味に走っても、罪に問われない。あなたを見た時、その眼球をスプーンでくり抜き、舌に少しずつハサミを入れ、耳の穴にハリガネ虫を入れたいと思ってしまったくらいなのです。だから、私には私を抑えつけてくれる上位の存在がどうしても必要なのですよ」
人の体でとんでもない妄想を繰り広げた事を白状しながら、彼はまるで敬虔な宗教信者のような表情で乞うように言った。
「だから、進ノ介くんが君を見つけてくれて良かった。どうか、私の主人になってくれませんか?」
「……なんか、嫌だなぁ」
凄く嫌そうな声で大輝は言った。