第一話『孤高の狼王! 竜河大輝だ、夜露死苦!』
隕石の落下から一ヶ月、日本はあっという間に荒廃していった。
国会議事堂が落ちた事で法律が機能を停止させた途端、多くの人が理性を失った。
強盗事件や強姦事件が多発して、逮捕に出向いた警察官達は殺されてゾンビになった。
世界の常識が塗り替わった。
悪徳こそ正義であり、綺麗事には死の制裁が下る。そのルールに適応出来なかった善人達は次々に淘汰されていき、残ったのは倫理観が欠如した悪人ばかりとなった。
「待てや、クソ女!」
わたしは上手く適応出来た側の人間だった。けれど、弱肉強食の世界で生きるには力不足だった。
人を殺す事に何の躊躇いもない性格がプラスに働いたのは世界再編の序盤だけだった。この新世界で生きていれば、誰でも自然と殺人の童貞や処女を失う事になる。そして、否が応でも慣れてくる。
殺人に不慣れな人間は先んじて殺しにいけば呆気なく制圧出来たけれど、条件が同じ者同士の勝敗は戦闘能力のみが分ける。
それでも、わたしは頑張った。トラップを仕掛け、武器を揃え、生き抜いてきた。だけど、遂に年貢の納め時が来たようだ。獣と化した男達は常に女に飢えている。ちょっかいを掛けたわけでもなく、ただ見つかっただけで戦闘のゴングが鳴ってしまう。そして、敗北すれば良くて召使い、悪ければ玩具にされて生き地獄の果てにゾンビ化だ。
「やーん!」
こんな所で終わりたくない。わたしには夢がある。その夢を叶える前に死にたくない。
だけど、トラップは既に底をついた。三人の首を切り落とし、二人は猛毒で痙攣させ、一人は落下死させたけれど、まだ六人も残っている。半数まで削ったのに、彼らは諦めるという言葉を知らないようだ。
真っ向勝負では絶対に勝てない。相手が一人だとしても、武器にそれほどの差がない以上はパワー勝負になって押し負ける。だから、わたしには逃げる事しか出来ない。
「追い掛けて来ないでよー!」
「仲間を何人も殺しやがって!」
「絶対に許さねぇ!」
「ぶち殺す!」
「テメェの血は何色だ!?」
「このドグサレがぁ!」
「なぶり殺してやんよぉ!」
あんまりだ。わたしは襲われたから殺しただけだ。正当防衛だろう。
「わたし、こんなに可愛いのにぃ!」
わたしは世界の至宝。アイドルを目指して奮闘中の女の子。
あんな野蛮な連中が好きにしていい人間ではないのだ。
だから――――、
「ええい、ままよ!」
わたしは最後の手段に打って出た。
この新世界の三大禁忌。その一つは『犬笛を吹いてはいけない』というものだ。
何故なら、ゾンビは犬笛が発する高周波音に反応して、集まってくるからだ。
「や、野郎! やりやがった!?」
「諸共に自爆する気か、このクソがぁ!」
「ゾンビが来る前にやるぞ!」
「逃さねぇ!」
「そんなにゾンビの仲間入りがしてぇってんなら、お望み通りにしてやんよぉ!」
「ふん縛って、生きたままゾンビに食わせたらぁ!」
鬼畜だ。人の心がない。そんな連中に追い掛けられるわたし、なんて可哀想なんだ。
だけど、そろそろ不味い。体力の限界が近づいている。全力疾走中に犬笛を吹いたものだから、息が切れてしまっている。だけど、止まったら死ぬ。
「し、死んでたまるかぁぁぁぁぁ!」
そして、わたしの前に無数のゾンビ達がやって来た。
相変わらずのウスノロ具合だけど、その数は実に暴力的だ。
「ゲェ!? ゾンビ共だ!」
「ちくしょう! あと一歩だってのによぉ!」
「ええい、奴らは仲間を呼びやがる! 急いで撤退すっぞ!」
「包囲される前に抜け出せ! どうせ、あの女は逃げられねぇ!」
「この手でぶち殺してやりたかったってのによぉ!」
「ゾンビ共! 精々、食い散らかせよ!」
思ったよりも冷静な判断力だ。彼らが言う通り、ゾンビは仲間を呼ぶ。正面に見えている大群だけではなく、周囲の建物の向こう側にも集まって来ている事だろう。そうして、連中は包囲網を形成する。
知性なんてない癖に、本能でそういう事をしてくるのが本当に厄介だ。
「でも、人間相手よりはまだマシ!」
この辺りの地理は熟知している。人間相手ならともかく、ゾンビ相手なら逃げられる。そう考えて、まずは手近な建物の屋上に上がろうと雑居ビルに向かって駆け出した。
そして、転んだ。
「……あっ、うそ」
体が動かない。体力を使い果たしてしまったのだ。
ペース配分など考えている余裕が無かったからだ。しばらく、何も食べていなくて空腹状態だった事も祟ったらしい。恐らく、ハンガーノックだ。手足が痺れている。頭も上手く回らない。
「ここで終わり……?」
イヤだ。
「……死ぬの? わたし……」
イヤだ。
「夢……、叶えられてないのに……」
イヤだ。
「……助けて」
誰でもいい。
「助けて……」
死にたくない。
「たす……、けて……」
ゾンビ共が迫ってくる。食べられる。そして、殺される。
そんなのイヤだ。わたしは生きたい。
「……たす、けて!」
迫りくる死が恐ろしくて、瞼を閉じた。
すると――――、
「やれやれだ」
そんな声が聞こえた。
「折角のお楽しみタイムを邪魔したのはテメェだな? ったく、おかげで無駄に走っちまったぜ」
「……だれ?」
瞼を開く。すると、真っ先に目に映ったのは一匹の狼だった。そして、次に見えたのは『愛羅武勇』の文字だった。
それはいわゆる特攻服と呼ばれるもの。それを身に纏う男の頭には猛々しいリーゼントがあった。
「聞きてぇなら教えてやるぜ、俺の名を! 孤高の狼王! 竜河大輝だ、夜露死苦!」