第十四話『湘南の鬼、石田松陽! タイマン張らせてもらうぜ!』
関東最大の愚連隊・阿覇煉暴。埼玉で生まれた暴走族の一派は天に昇る龍が如く、破竹の勢いで勢力を拡大し続けた。それは総長である蘭堂のカリスマ性が故だった。
蘭堂はとにかく強い男だった。その腕っぷしに惹かれ、関東全土から荒くれ者達が集った。
石田松陽もそうした荒くれ者の一人だった。
あの頃、男達は夢を見ていた。蘭堂という男が天下を取る夢だ。ヤクザを壊滅させ、警察を血祭りに上げ、それは現実に成りかけていた。少なくとも、彼らにとってはそうだった。
最強・無敵・無類の男。それが蘭堂だった。
その夢を終わらせた男こそ、竜河大輝だった。突如、彗星の如く現れ、龍を喰らった狼。蘭堂という光を失った阿覇煉暴は力を急速に失っていった。もはや、残党と呼ぶ他ない有様にまで落ちぶれた。
去って行く仲間達。それでも、石田は阿覇煉暴にしがみつき続けた。
親から関心を向けられず、学校でも馴染めず、何者にもなれなかった男にとって、蘭堂が見せた夢は唯一の寄す処だったから。
◆
「……竜河大輝。いずれは貴様を滅する腹積もりであったが、よもやだな」
石田は唇の端を吊り上げた。
「嘗て、貴様に潰された俺の夢! この新世界でならばと、俺は再び夢に向かって走り始めた! ここからだ! 関東を制圧し、ここから天下を奪いに行く! そして、天下を手中に収めるその時にこそ、貴様を葬り去るのだと決めていた!」
その瞳には狂気が宿っていた。
そこには夢に魅せられ、夢に取り憑かれた鬼がいた。
「だが、その前に貴様は現れた!」
それは怒りなのか、憎しみなのか、それとも喜びなのか、彼の表情から真意を読み取る事は出来ない。そして、彼と相対する男はそもそも読み取る気などなかった。
喧嘩が出来ればそれで良い。石田が並べ立てる御託に延々と付き合っているのは、それが彼の精神を最高潮へ至らせる為に必要だと察しているからだ。
精神と肉体は表裏一体。心が最高潮である瞬間こそ、肉体もまた、最高潮を迎える。
最高潮の相手とこそ、最高の喧嘩が出来る。
「貴様は到達点ではなく、始まりだったというわけだ! 俺は! 貴様という登竜門を潜り抜け、必ずや龍になる! 貴様が打ち倒した総長を超え、阿覇煉暴の名を天下に轟かせてみせる!」
そして、彼は白地に龍が描かれている特攻服を身に纏った。
嘗ては蘭堂が着ていたものだ。
「いいぜ」
大輝は笑みを浮かべて言った。
「来な」
その言葉と同時に石田は大輝に向けて銃弾を放った。その銃弾を大輝は回避した。
石田の目が驚愕によって見開かれる。無理もない事だ。銃弾の速度は音速を超える。標的に当たるよりも発射音の方が遅い程だ。人の身で避けられるものではない。
狙いが逸れただけならば納得もいく。けれど、大輝は体を捻り、確かに銃弾を回避して見せた。
「……バカな」
「ボケっとしてんじゃね―ぞ」
その言葉は眼前で囁かれた。石田は咄嗟に銃をハンマーの如く大輝に向けて叩きつけようとした。けれど、銃弾を回避した男にその程度の攻撃が当たる筈もない。
伸ばした腕を捕まれ、そのまま投げ飛ばされた。
浮遊感の後に襲いかかる衝撃は石田の意識は飛ばしかける。
「っめるな!」
叫ぶことで意識を強引に戻し、石田は倒れながら発砲した。
岩をも砕く蘭堂の拳を受けても平然としている男に拳を振り上げた所で意味などない。
速度も威力も銃弾を超える攻撃など人間には繰り出せない。それでも回避されるならば、回避出来なくなるまで撃ち込むまでだ。
「死ねぇぇぇ、竜河!!」
「……これが蘭堂の後釜かよ」
その言葉には落胆が色濃く滲んでいた。
屈辱感に襲われる。けれど、それ以上に不可解だった。
「何故だ……。何故、避けられる!?」
一発だけならまぐれもあり得る。けれど、二発目、三発目を立て続けに避けられるなど、道理が合わない。
「撃つタイミングは指を見りゃ分かる。弾道も銃口の向きを見りゃ分かる。そんなもんに頼ってっから、テメェは蘭堂に届かねぇんだ」
それは挑発だった。
蘭堂を超えるとのたまいながら、蘭堂が脱ぎ捨てた特攻服を後生大事に身に纏う。その滑稽な有り様を嗤う為ではない。
「黙れ……」
「俺に勝てねぇ蘭堂に成りたがってるようじゃ、俺には勝てねぇぞ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」
「負け犬のマトイなんざ捨てて、ステゴロで掛かって来いや!」
「だまれ、竜河ァァァ!」
鬼の如き形相を浮かべ、石田は大輝に殴りかかった。
その一撃は銃弾を避け続けた大輝の顔面を撃ち抜いた。
「ッヘ」
その衝撃を受け止めて、大輝は笑った。
「いい拳持ってんじゃねぇか! 石田ァァァ!」
殴り返す大輝。その拳を逸らし、蹴りを入れる石田。
「……テメェ、ボクサーか!」
ゆらりゆらりと蠢き、僅かな隙を見抜いてジャブを入れてくる。その尽くが大輝の急所を的確に撃ち抜いていく。
避けていないのではない。避けられないのだ。
銃弾は真っ直ぐに飛んでくる。けれど、石田の拳はヘビの如く変幻自在だ。
織り交ぜられる虚実に翻弄され、大輝は防戦を強いられている。
その事実に一番驚いているのは石田だった。
最強だった蘭堂でさえ敵わなかった男に拳で勝てる筈がない。それが自分の中に生まれていた思い込みに過ぎなかった事を悟り、石田は蘭堂の特攻服を脱ぎ捨てた。
「……男の顔になりやがったな。なら、こっからが本当のタイマンだ」
大輝は両手の拳を打ち付けあった。
「俺の名は孤高の狼王! 竜河大輝だ、夜露死苦!」
大輝の名乗りを受け、石田は牙を剥く獣の如く嗤った。
「湘南の鬼、石田松陽! タイマン張らせてもらうぜ!」