2-07 ヒロイン推しだったはずが、努力系悪役令嬢に一目惚れしてしまいました……
そこにいたのは純粋に恋する乙女だった。
赤らに頬を染め、目の前の王太子の金の髪を潤んだ瞳で見つめる横顔。愛らしい美少女が、眉目秀麗な少年にうっとりと見蕩れて頬を染め、ゆっくりと礼をとる。
ああ、彼女は今、まさに恋に落ちたのだ。
映画のワンシーンのようなその場面に息を詰める。
見事なカーテシーを披露する齢11の少女は、柔らかな微笑みをたたえながら、完璧な祝いの言葉を軽やかな声で述べると、もう一言二言話してその場を次に譲った。
その全てを真横に近い斜め後ろの位置から見ていた僕は、その全てに見惚れて立ちすくんでいた。
誰か別の男に恋した場面を見て、心奪われるなんて。
なんて不毛なんだ、僕は。
秘密の話をしよう。
僕は、かつてWeb小説を漁るのが好きだった。特にゲームのような異世界を冒険するものが好きで、そういうものばかりを読んでいた。
社会人になってしばらくしてからだろうか。無料のWeb小説サイトの流行りモノを片っ端から読むようになった。
その中の一勢力『乙女ゲーム』『悪役令嬢』モノに僕は気を惹かれ、興味を持った。小説を読むまで、そんなものの存在は知らなかった。僕は、それってどんなゲームなんだろう? と思ってネットで探ると、ある一つの女性向け恋愛ゲームのアプリを実際にプレイしてみることにした。
ハマった。
主人公は、その世界の男爵の一人娘で、素直でけなげ、なにより努力家で負けずぎらいな少女だ。
外見的には大して魅力がある訳でもない彼女は、自らの努力と行動によって、周囲に大きな影響を与えていく。
やがてそんな彼女を高貴な身分の男たちが見初めていく――と、いうストーリーだ。
僕はそんな彼女の不屈の根性と慈愛溢れる行動に惹かれた。
最終的にくっつく相手によってストーリーが変わるので、僕は彼女がどんな困難をどんな風に越えていくのだろうかと気になって全ルートを制覇した。同じイベントが起こることも多かったけれど、その相手の時にしか見られない行動もたくさんあったから、僕はすごく満足した。
僕は、すっかりこのゲームの主人公の虜になっていた。
これが僕の秘密。
さて、現在。
「レイソル様、大丈夫ですか?」
侍従が話しかけてくる。僕は目眩を堪えながら、仕草で問題ないと伝えた。
ここは王城。今ちょうど、王太子の十歳を祝う誕生日パーティーの真っ最中だ。
パーティーには上は16歳、下は7歳の貴族令息令嬢が集められ、彼の『お友だち』もしくは『婚約者』候補になるようその周囲に配されている。
今年十歳になる僕も例には漏れず、親に連れられてきた訳だが、そこでこの目眩だ。
侍従が入れなくなる扉前で良かった。支えのないところで一人で倒れてたらと思うとゾッとする。
そう、今僕は十歳。
だけど、過去には社会人だった。
つまり、僕には前世の記憶があるのだ。幼い頃からあったそれを、家族や信頼できる相手には明かしている。
記憶はふいに甦り、役に立ったり立たなかったりする。家族は僕の記憶を利用するより、僕が利用されてしまうのを嫌ったから、無理に記憶を聞き出すようなことはしなかった。
暖かい家族だ。だけど、僕としては悔しかった。強く聞き出されていたら、もっと早くこの記憶が思い出されていたんじゃないかと。この事にもっと早く、気づいていたのではないかと。そんな風に思ってしまったから。
次々と呼ばれる招待者の名前。
その中に僕の記憶を呼び覚ましたものがある。
テオドーラ・ブリッドモア公爵令嬢。
王太子の従姉であり、婚約者候補の筆頭であり、前世でハマったあの乙女ゲームで主人公と敵対する、いわゆる悪役令嬢の名だ。
なぜ気がつかなかったのか。王太子の名前だって同じじゃないか。彼はあのゲームのメインヒーローなのに、なぜ。
あれだけハマったゲームの登場人物が分からないなんて、どういうつもりだと頭を抱える。
僕がため息を吐き出したのと同時に呼ばれた自分の名に、粛々と会場の中へ足を進めれば、ちょうど件の悪役令嬢が王太子に挨拶をしているところだった。
そこにいたのは11歳の純粋に恋する乙女。
頬を染め、目の前の王太子の金の髪を潤んだ瞳で見つめる、その横顔。
悪役令嬢はこのパーティーで王太子に恋をする。
そして本人と自分の親とに猛アピールを仕掛けた結果、王太子が12になると同時に婚約者の座に収まるのだ。
その場面はゲームでは白黒の影絵のような表現だった。今は当然カラーだ。それどころが3D……4D? だ。
だからその光景は衝撃的で。
「う……わ……」
愛らしい美少女が、眉目秀麗な少年にうっとりと見蕩れて頬を染め、礼をとる。
映画のワンシーンのようなその場面に息を詰める。
主人公を自らの我儘と意地の悪さで追い詰める悪役令嬢も、今はまだ純粋無垢な少女なのだと認識した。
見事なカーテシーを披露する美少女は、柔らかな微笑みをたたえながら、完璧な祝いの言葉を軽やかな声で述べると、もう一言二言話してその場を次に譲った。
そのすべてを真横に近い斜め後ろの位置から見ていた僕は、次々と入場してくる少年少女全員から奇異な目で見られていたことにやっと気づいた。会場入ってすぐの場所で、ぼーっとしてるから。
慌ててその場から移動する。ブリッドモア公爵令嬢はすっかり姿が見えなくなっていた。
あの少女が、将来あのキツイ美女になるのか。僕は時間の無常を感じた。
僕は悪役令嬢・テオドーラ・ブリッドモアが好きではなかった。
主人公のライバルだからというだけではない。彼女は努力するのを嫌がるのだ。主人公が必死に人のために動くのを嘲笑い、優雅に椅子に座ったまま、あれこれと他人に命じる。自分は本を読んだり茶を飲んだり……あれ?
僕のなかに違和感が生まれた。
前世の記憶。現世での学び。
「あ……」
それ、貴族なら当たり前の対応じゃないか?
僕は王太子へ挨拶するための列に並びながら、前世でのゲーム画面を思い浮かべた。
貴族は自らが動かないんじゃない。動いてはいけないのだ。
諸事のことは侍従や使用人の仕事で、貴族には別の仕事がある。特に侯爵以上の位を持つ家の子女は忙しい。本分を越えることをするのは、本当にやらなければならないことを疎かにするということだ。やってはならないのだ。他人を、民を思うならなおさら。
見ればちょうど伯爵令嬢が挨拶をしている。確かブリッドモア公爵令嬢よりひとつ上だったはずだ。さすがに瑕疵はない。ないが、まるで舞台の上で演技をしているような大仰なものだった。
それはそれで見ごたえもあるが、公爵令嬢のものはそうではなかったな、と思い出す。自然に、力の入っていない軽やかなものだった。
そして、双方を比べて気づく。あの挨拶をするために、彼女はどれだけの努力をしたのだろう。
ああ、主人公が嘲笑われるわけだ。あの子は努力の方向を間違えていた。貴族としての努力とはすっかりずれた行動をしていたのだ。そうではないと嗜める声には反発するばかりで。
さぞ王太子には面白く写っただろう。
ほら、今椅子に座って挨拶を受ける彼の笑顔は張り付けたもので、目はすでに退屈だと訴えている。いっそのこと派手に失敗した方が彼に覚えてもらえるだろう。誰もそんな勇気はないだろうけど。
順番が来ると僕も笑顔を張り付けて、何でもないような言祝ぎをした。空虚な定型の挨拶を返され、その場を後にした。
テオドーラ・ブリッドモア公爵令嬢が、気になった。
◆
彼女はベランダにいた。
会場内に見当たらず、テラスに出て振り返ったところで、ベランダにもたれ掛かる彼女と目があった。
初対面である。
2階と1階ということもあり、無言のまま頭を下げると、あちらも無言で軽く礼をしてくれた。
そっとどんな風に過ごしているのかと、見守るだけのつもりだったのに失敗した。すでに認識されてしまえば、じろじろ見ていれば怪しまれてしまうだろう。
どうしようか考えているうちに、彼女から声をかけてくれた。
「あの……よろしければ、こちらへどうぞ」
僕は一瞬戸惑った。探していた本人に先に見つかってしまったのだから、なんだか後ろめたい。
けれども結局、言葉に甘えることにした。
彼女の人となりを知ってみたかった。
一度会場に入り、中の階段からあまり人目に留まらないように上る。
いくつかのベランダにはなん組かのグループか婚約者同士らしき二人組がいたが、ブリッドモア公爵令嬢のいるあたりにはひと気が薄い。
内廊下から彼女のいるベランダに出れば、登り始めた満月を望む背中に息を飲んだ。
まだ11歳の少女を包むように、月光の柔らかな青が落ちている。庭の木立の黒と満月の強い黄金色と対になるように、少女の薄い金色の髪が、白い背中が、銀色のドレスが、浮き上がっていた。妖精か女神が降りてきたのだと言われても頷いてしまいそうだ。
幻想的な光景に立ち竦んでいると、やがて彼女が振り返り軽く頷いた。
「来られたんですね。誰かをお探しだったでしょう? ここなら庭も、会場も、よく見渡せますよ」
宝玉のような紫の瞳の柔らかさと、ふわりと微笑った彼女の声に頭を打たれた。探しているところを見られていて、それで呼んでくれたのだと分かった。
さて、どうするか。
何せ探していたのは彼女だ。悪役令嬢がどんな行動をするだろうかと、興味本位で覗こうとしていたのだ。その彼女は純粋に親切心で場所を提供してくれた。このことに恥ずかしくなってきた。汗がにじんできて、顔が火照る。
彼女は首をかしげだした。
「あの……?」
ああ、僕は別の誰かを探すふりをするには不器用すぎる。心臓が跳ね上がって服を破いて出てきそうだ。
彼女の肩から落ちる薄い金の髪の毛と、キラキラと輝いて見えるアメジストのような瞳が、なぜか心に迫った。





