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2-06 勇者でしかなかった女は、孤独な魔王と結ばれない

 その女は勇者だった。

 生まれ落ちたその瞬間からずっと。


 人間らしさなど不要と断じられて生きてきた彼女の前に、ある時一人の男が現れる。

 それは己の対になる存在であり、打ち倒さなければならない邪悪の象徴、魔王。勇者一行に紛れた魔王と時を共に過ごし、やがて決別を迎え……魔王城に辿り着いた女は魔王を討った。

 けれども、女の胸にはただ虚しさが残るばかり。

 だから世界を救った褒美に願った。


 時を戻し、再び魔王と向かい合いたい──。


 そうして何度も繰り返すうちに女は気づく。

 魔王の手を取っても取らなくても、自分たちは決して結ばれないのだと。

 広間の大窓の外には暗雲が立ち込め、身の毛がよだつような雷鳴が響き渡っている。

 ここは魔王城。不穏な空気を体現したかのようなその光景を背に、二人の人物が対面していた。


 片や、世界の希望を背負う者。

 片や、忌まれ疎まれる悪。


 先に口を開いたのは甲冑姿の年若い娘であった。

 目が覚めるような紅い髪をした彼女はどこか哀しげな瞳をしていた。


「人々の平穏を脅かす闇の者に告ぐ。私は勇者だ!」

「そうか。よく来たな、勇者よ。貴様と相見えるのを心待ちにしていた」


 勇者の声に応じる男が、仰々しい玉座の上で紫紺色の唇を歪め、笑みを深める。

 闇より深い黒髪の頂点である頭部には禍々しい角が二本生えていた。肌色は青白く、人のものとは思えない。

 それを見上げ、勇者が腰の剣を引き抜いた。聖剣と呼ばれるそれは、男──魔王の命を絶やすためにのみ存在する秘宝。


 爪と剣、それが交わった瞬間、戦いが始まった。

 数えるのも嫌になるほど繰り返してきた、世界で最も激しく虚しい戦いが。


 ──今回もきっと、世界だけは(・・・・・)救われる。




* * *




「私の手を取らないか」


 勇者に人間らしさなど不要なのだと断じられて生きてきた女にとって、それは救いにも等しい言葉だった。

 名すら与えられなかった自分が一人の人間と認められた、そんな気さえした。


 女は、この世に生を受けてからずっと勇者だった。

 魔王が現れし時、勇者が生まれ落ちる。だからまだ赤ん坊だった女に神託が下り、世界を救うことを求められた瞬間、人ではない何かにされてしまったのだ。


 光と影は表裏一体。影が疎まれれば、光もまた遠巻きにされる。

 勇者は魔王の誕生を知らせる疫病神のようなもの。多くの民に不安と恐怖を与えた罪は、魔王を倒すことでしか償えない。


 女の身分はとある王国の姫であったが、一度もドレスに袖を通す機会はなかった。

 華やかな装いをする姉妹たちを羨みながら、自分が羨んでいるということすらわからないままに成長した。


 表舞台に立つことは許されず、初めて彼女が公の場に姿を見せたのは旅立ちの日。

 癖の強い赤髪を後で一つに束ねて兜を被り、薄手の鎧に身を包んだだけの、たった十五歳の少女。それは人々の目にどう映っただろうか。

 絶望したかも知れない。嘲笑ったかも知れない。

 しかし女には全てどうでも良かった。世界の希望を背負って、仲間という名の知らない他人を引き連れ死地へ赴き、魔王と相対する。それだけが女の務めなのだから。


 三年をかけて旅をした。

 その中で仲間との絆などが生まれたかと問われれば、それは否だ。女はどこまでも勇者であり、仲間たちは女を人間として扱いはしなかった。


 武闘家の少女が僧侶の青年に恋慕するのを見ても、魔物の群れを単独で壊滅に追い込んだことで怒りを買って戦士の男に「勇者だからと調子に乗るな」と怒鳴られた時さえ、女の心は冷え切るばかりで。


 そんな暁に変化は訪れた。

 魔王直属の幹部が打ち倒されたことで危機感を抱き始めた魔王が、それとわからぬ形で女に接触してきたのである。


 旅の魔法使い。

 そう名乗った男のことを仲間に引き入れたあと初めて、それが人間ではないと気づいたが、向こうがその気なら逆にこちらから寝首を掻いてやろうと考えて特段対処はしなかった。


 男は……魔王は嘘が上手く、狡滑だった。


 魔物を淡々と倒し、その度に傷つきゆく女を、他の誰にも心配されたことのなかった女を、「頑張り過ぎるな」と労ってくれた。

 常に前線に立たされていた女を庇い、邪悪な魔法の壁で守った。


 一つ一つは些細なことだ。

 でも女の中で、倒すべき敵に対する殺意が薄れていって──。


 ある晩、殺しを決行した。


 聖なる剣で男の背中を貫く。たったそれだけのこと。できないはずがない。いや、もう少し一緒に過ごしてしまえば絆されてしまう予感があったから今しかないと思ったのだ。

 野営地で皆が雑魚寝をしている中、見張りに立っていた男に対して奇襲を仕掛けたとはいえ、負けるなんて想定外であった。


 防御の壁で四方を囲まれ、情けなくも身動きを取れなくされた女。

 女に向かって男は、己が魔王であると明かした。明かした上で女を殺めることなく囁いた。


「私の手を取らないか」


 変化を解いてありのままに姿になった魔王。

 その澄み渡った黄金の瞳が、夜空の下で美しく煌めいていた。




* * *




 魔王は生まれ落ちたその瞬間から独りきりであった。

 魔族の多くはそうではない。家族を持ち、群れ、あるいは同族同士で殺し合いながらも、誰かと心を通わせる。


 魔王にはそれができる相手が存在しなかったのだ。

 親は亡く、生まれながらに王となることを定められ、部下なる魔物たちを従えて魔国の王者として君臨しなければならなかった。

 そしてさらに都合の悪いことに、魔王の強さはあまりに絶対的過ぎた。謀反を起こそうと企てる者など誰一人としていない。命じられたことにただ粛々と従うだけだ。


 心の中にある空虚さが孤独と呼ばれるものなのだと学んだのは魔王城の奥にある書庫の本でだった。

 本の世界には当たり前のようにある鮮やかな世界が、自分の元には何もない。


 だから──全てを手に入れたくなった。


 人間の国へ侵攻を始めたのはそれが理由だ。


 部下を使って人間の世界に手を伸ばす。

 そうするうち、己の目的を果たすのを拒む、邪魔な人間の存在を知った。


「……勇者、か」

「魔国で有数の腕利きの者たちを送ったものの、まるで敵わず。このままではこの城へ足を踏み入れられるのも時間の問題かと愚考いたします。魔王陛下、いかがなさいますか」

「ならば私が向かおう」


 直接手を下した方が早いし、魔王たる己を倒すべく生まれたというその女がどんな人間かが少し気になった。


 最初はただ、本当に興味本位でしかなかったのだ。

 勇者を見つけ出した魔王は、人間の男に変化して彼らの一行に加わる。すぐにでも殺せたが、せっかくなら人間というものを観察して楽しんでやろうという魂胆だった。

 そうとも知らぬ人間たちは容易く魔王を受け入れる。


「私の仲間にしてあげる。光栄に思うことね」


 一団を率いる勇者は、まだ年端のいかない小娘。炎のごとき赤髪が特徴的で、その印象に似つかわしい好戦的な笑顔を浮かべながら────がらんどうの目をしていた。

 目を引かれたのは彼女の美貌のせいではなく、きっと親近感を覚えたからだ。


 どのような苦難も恐れず立ち向かい、強靭で、涙一つ流さない。仲間にないもののように扱われても不満一つこぼさず、明るく笑いながら旅を進める、まさに絵に描いたような理想の勇者。

 だがその中身はまるで違うのではないか。

 孤独で何も持たない、魔王とまったく同じ類の人間なのではなかろうか?


 この娘ともっと言葉を交わしたい。そう思うようになるまで、それほど時間はかからなかった。


 『手に入れたい』ではない。強引に奪ったところで空虚が満たされることはお互いにないだろうから。

 己を殺すために生を受けた相手に対し、このような感情を抱くのはどう考えても誤りだ。誤りだとわかっていても、もう、殺す気なんてもう失せ切ってしまっていて。


 「頑張り過ぎるな」と彼女を労ってみる。

 前に出て傷を負いながらも一人で戦おうとする彼女を、魔法で庇って「私に任せろ」と笑って見せる。

 積極的に援護し、お礼を言われたついでに語らったりして、できるだけ機会を得るように頑張った。

 それでも己と勇者、双方の空虚を埋めることは叶わない。叶わないままに日が過ぎていく。


 そしてある日──事件は起こった。


 寝ているところを襲われたのだ。もちろん簡単に動きを封じたが、それほどまでに感情を向けられているのかと驚く。

 この女は自分に興味がないと魔王は思い込んでいた。少しでも興味を抱かせられたらいいと願って、行動してきた。


 でも、とっくにそれが成功しているのなら。


「私の手を取らないか」


 勇者の瞳に初めて、揺らぎを見た。




* * *



 返答するまでに一体何秒を要しただろう。

 思考が停止させられ呼吸も忘れてしまった。表情が抜け落ち、きっと魔王からすればとても滑稽だったに違いない。

 それでも女はやがて笑みを思い出し、からからに乾いた喉でどうにか声を捻り出した。


「『手を取らないか』ですって? 冗談を言わないで。正義の化身なる私が邪悪に味方するとでも?」


 魔王の言葉が冗談ではないことくらい、わかっている。

 本当は、素直に頷ければどんなにいいだろうと思わないではなかった。一瞬とはいえ本気で考えてしまったくらいには。

 でも女はそうしなかった。


「なぜだ?」


 魔王からの短い問いかけに、女は迷いなく答える。


「だって私は、勇者だもの」


 それは女にできる、最大限の拒絶の意思表明。

 魔王だってわかっているはずだ。魔王と勇者は対になる存在。故に交わってはいけないと、わかっている上で言ったはずだ。

 それを乱せばたちまち世界の秩序が崩れ去る。


「そうか」

「残念だったわね、魔王。たとえこの場で殺されるとしても、私は勇者として散るわ」

「少しは話のわかる女だと思ったが……愚かだな」


 悲哀に満ちた声に、悔しげに歪められた紫紺色の唇に、ずきりと胸が痛んだけれど。

 彼と手に手を取り合う夢物語を、安易な救いを女は望まない。望んでは、ならない。




 勇者と魔王、決して結ばれない二人の、一度目(・・・)の決別の瞬間だった。

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