2-03 智の煉獄へようこそ ~僕は魔女の伴侶となった~
釈放された元服役囚の社会復帰には、安定した受け入れ先が欠かせない。国立S司書技能研修所は、そのモデル施設の一つとして設立された。
通常の図書館としても運用されている為、元服役囚の研修生達が、利用者の応対を行うのが最大の特徴である。
研修生は全員、三十代までの女性で、個人情報保護の為に覆面を着用している点が異様さを放つ。しかし蔵書数が全国有数の為、市民の他に県外からの利用者も多い。
設立の提唱者は、菩提総理大臣その人だ。彼が閣僚時代に設立したのだが、実娘の菩提 涅槃氏が理事長を務めている事から、施設の私物化との批判が一部からあった。
だが、視察に訪れた野党系議員は例外なく、人が変わった様に研修所を絶賛し、さらに与党へ鞍替えしてしまう。その為に野党は現在、ここへの関与をタブー視している。
洗脳施設と疑う者もいるが、確かめる術はない……
市立図書館に勤めていた僕は、失業の危機にさらされていた。
維持運営費がかさみ、市議会から図書館を閉鎖すべきとの声が強まっていたのだが、ついに議決が下ったのだ。
施設はバブル末期に建てられた物で、県立図書館を超える規模を誇る立派な施設である。全く惜しいと思うのだが、我が市の規模から考えて身の丈にあっていないというのが、閉鎖派の主張だ。
閉鎖となれば僕を含めて、職員は全員解雇される。あくまで外郭団体の所属で公務員ではない為、市の別部門に配転という訳には行かない。さすがに再就職の斡旋くらいはあるだろうが、せいぜいブラックな零細企業が関の山だ。
上司から決定を聞かされたその日、帰宅して気晴らしにとPCの電源を入れると、メールが一通届いていた。
差出人は高校時代の先輩で、菩提 涅槃という、二学年上の女性だった。退職して帰郷したので、一度会いたいというのがメールの要旨である。
菩提さんは容姿端麗・頭脳明晰、さらに代議士の娘という典型的なお嬢様で、周囲からは女神のごとく崇拝されていた。
僕が図書委員会に入った時、彼女が委員長だった事で接点が出来た。僕は何故か気に入られ、在学当時は毎週末、古書店や洋書専門店巡りを、荷物持ちとしてつきあわされた。
図書室の蔵書選定という名目だったが、実際には菩提さん個人のコレクション物色である。オカルトや宗教関係の稀覯書、それに旧共産圏の流出文書が主な対象で、店の言い値で小切手を切っていた辺り、いかにもセレブだった。
彼女は遠方の旧帝大に進学した為、残念ながら以後の交流は、夏季や年末年始のみとなってしまった。する事といえば高校時代と同じ様に、古書店巡りである。
卒業後、彼女はキャリア官僚として法務省に勤務していたのだが、退職とは何があったのだろうか。
*
さっそく返信して、二人でよく行った喫茶店で待ち合わせる事にした。古書店巡りに付き合わされた帰りには、ここで奢ってくれるのが常だった。
久しぶりに店へ入ると、お気に入りだった窓際の二人席で菩提さんが待っていた。
「お久しぶりです。お仕事、辞めたんですか」
「キャリア官僚だからね。出世競争に勝ち残れなければ、勇退するのが慣例なんだ」
「それは、何というか……」
高級公務員が退職後、関連団体に役員として再就職する〝天下り〟は、かなり以前から問題になっている。だが、そもそも定年まで勤務出来ない慣行の方が問題ではないのか。
「まあ、再出発のいい機会だよ」
「再出発というと、何か予定はあるのですか」
「うん。彼岸君に協力して欲しくて、呼び出したんだ」
「何でしょう?」
「図書館、閉館が決まったでしょ?」
「はい、残念ながら」
「パパに、何とか存続出来ないかっていう陳情が結構来ててね。で、私が代表になって運営組織を立ち上げて、図書館を引き継ぐ事にしたんだ」
「本当ですか!」
要は、実家の影響力で天下り先を造ったという事らしい。権力の濫用にも思えるが、僕個人としては、職場が廃止されずに済み、さらに菩提さんが上司になるなら嬉しい。
「ちょっと特殊な施設になるけど、君に、副責任者になって欲しいんだ」
「特殊って、どんなのです?」
「私、法務省にいた時は、女子刑務所の所長やってたのは知ってるよね?」
「はい。それが?」
刑務所長は通常、現場からのたたき上げで、キャリア官僚が配属される事はまれらしい。だが菩提さんは、自ら希望して赴任した。出世競争に残れなかったのは、その辺りも一因だろうか。
「在職時は、出所しても当てのない受刑者が多いのが悩みの種でね。で、釈放した元受刑者に、司書や事務職の職能教育を行う、職業訓練施設を作ろうと思うんだ」
「先生、OKしたんですよね?」
ここで〝先生〟というのは、閣僚級の大物代議士である、菩提さんの父親の事だ。菩提さんは優秀だが、奇矯な一面がある。図書館で元受刑者の更生という発想は、常識人ではなかなか出来ないだろう。
「パパは大賛成だよ。元受刑者の更生支援って、政治家として結構な実績になるからね。国費運営だから、市の財政負担はゼロに出来るんだよ」
「元受刑者といっても色々ですけど、どういう人が対象です? 市民感情も考えないと」
財政負担なしで図書館が存続出来るなら、市の行政サイドは歓迎だろう。だが、元受刑者が働いているとなると、近隣の住民は不安に思わないだろうか。
「三十代までの女子で、身元引受人がない単身者。やり直しが充分きく歳の筈だけど、放っておいたら、再犯で刑務所へ逆戻りになる可能性が高いんだ」
逆差別の様だが、対象を若い女性に絞るなら危険は少なそうに思えるし、同情もされやすいだろう。周辺の不安も軽減出来そうだ。
「僕の他に誰を残すか、決まってますか?」
「欲しいのは君だけだよ。後は総入れ換え」
「クビですか……」
自分だけが残れるというのは、さすがに居心地が悪い。他の人もどうにか出来ないのだろうか。
「近隣市や県の図書館職員として移籍になるから、大丈夫。端から見れば、君が引き継ぎ役の貧乏くじをひいた様にしか見えないよ」
確かに、施設の性格上、残りたがる人はほとんどいないかも知れない。僕自身、責任者が菩提さんだからこそ、落ち着いて話を聞いているのだ。
「まあ、それなら……」
「引き受けてくれる?」
菩提さんには自信があるのだろう。それにどんな環境であれ、気心の知れた人と一緒に仕事が出来るのも嬉しい。
「お受けします」
「良かった。よろしくね!」
この時、僕は魔性から見込まれていた事に、全く気づいていなかった。
*
一週間後の職場。
菩提さんが話していた図書館の移管案は市議会を通り、既にこちらの現場にも通達されている。移籍先の内示も出ており、それまで不安そうだった同僚達は、全員落ち着きを取り戻していた。
ただ、僕がただ一人残留する事については、誰もが話題を避けていた。
そんな中、僕に来客があるというので応接室へ行くと、待っていたのは、菩提さんの父親である。挨拶もそこそこに、彼は本題を切り出した。
「君には事前に伝えておきたい事があってな。単刀直入に言うと、涅槃には、明らかに異常な特性がある」
「確かに風変わりな人ですが…… 大げさでは?」
「相対した相手を心酔させ、操る事が出来るのだよ。カリスマなどという生やさしい物ではなく、マインドコントロール、洗脳と言っていいレベルだ」
僕は、高校の時の事を思い出した。周囲が菩提さんを見る目は、まるで狂信者が宗教指導者を見る様だった。県立高校に生粋のお嬢様がいれば、そうなるのも無理はないと思っていたが、異常な特性のせいだというのか。
普通に聞いたら眉唾物の中傷だが、代議士でもある父親が言う以上、根拠あっての事だろう。
「まるでオカルトかSFの様な話ですが、本当ですか?」
「医学的な調査も行ったが、全くの無駄だったよ。あれ自身、自分が何者なのか知りたいと、妙な資料をあさり続けているが、成果はない様だ。副産物として、そちら方面…… 特に統治や洗脳の手段に関する知識は深まった様だがね」
内容までは知らなかったが、菩提さんが集めていた稀覯書は、人心を操る手法が書かれた資料だったらしい。
「お話が本当なら、犯罪者の矯正には有効な力ですね」
「ああ。涅槃もそう考えたから法務省に入り、キャリア官僚としては例外的な刑務所長を希望した。だが結局、法務省もあの力を扱いかねたのだな。法務大臣が直に私へ、何でもするからお嬢さんを引き取ってくれと泣きついてきたよ」
「つまり法務省…… 国家機関も、涅槃さんの力を認識しているのですか」
「服役囚だけでなく、部下の刑務官までが全員、涅槃に心酔し、従順となってしまった状況を見れば、嫌でもその異常さに気づくだろう。その力が自分に向けられれば、決して逆らえない事もだ」
どんな相手も従わせられる、一種の超能力者。そんな危険人物を、自信を持ってうまく活用出来ると断言出来る者は多くないだろう。
「それで退職させて、こちらの図書館閉鎖の件と絡めたのですか」
「ここだけの話、市議会で閉鎖の話を持ち出したのは、私の影響下にある与党会派だよ。図書館が市の財政負担になっていた事も確かだがね」
「つまり、ここを接収する為にマッチポンプを仕掛けたと?」
「図書館でなくともよかったが、ここに君がいたからな。涅槃の、たっての希望だ」
閉館騒動は、僕が目的というのか。配慮がされているとはいえ、少なからぬ人に影響が出ているのだが、涅槃さんはそこまでして僕を確保したかったのだろうか。
「何故、涅槃さんは僕を気に入ったのでしょう? どんな相手でも思い通りに出来るなら、優秀な人でも、美形でも、よりどりみどりではないですか」
「涅槃によると、君は家族以外で力が通じない、希な例外らしい。だからこそ親しく出来ているそうだ」
「思い通りに出来ないのに、ですか?」
「傀儡に囲まれていても、それでは孤独と同じだ。涅槃が人として生きようとする限り、一人では辛いだろう」
「なるほど……」
「国費を投じる以上、相応の成果は期待する。だがそれよりも、涅槃に寄り添ってやってくれ。出来れば、公私共々に」
少し前なら、親の公認であこがれの人と交際出来ると舞い上がっただろうが、非常識かつ不穏な事情を聞いた後では、不安の方が遙かに大きい。
「涅槃さんが望むなら……」
菩提さんの笑顔を思い出して、僕は声を絞り出した。