2-21 人工魔女
二二八七年。
ヒトと魔女が共存する世界。
無駄に魔女と魔法に詳しいヒト・志賀真白は探偵事務所を構えていた。
そこでバイトをしている魔女の高校生・荻野颯介がある日魔女の少女から実の親を調べてほしいという依頼を受けてくる。
けれど依頼の手紙に書かれていたのは真白の因縁の存在で――。
依頼を引き受けるのを渋る真白の代わりに颯介は調査を始める。
ヒトとふたりの魔女の絡み合った過去が明らかになるとき、三人の未来は交わり始める。
Q.魔女とヒトってどう違うの?
魔女とヒトは似て非なるものである。魔女が魔法を使えるほか、双方に違いは全く見られないように思えるだろう。魔女とは元来、ヒトの遺伝子が突然変異したものであるが、独自の進化を遂げ続けた今、かつてホモ・サピエンスとネアンデルタール人が異なる進化の道をたどったようにヒトと魔女は異なる進化を遂げた別種の生物種と考えるべきではないだろうか。
――『魔女とヒト』エリザベス・K・マリン(2204年初版発行)
Q.魔法ってなに?
魔女とヒトのゲノムの差は主にジャンクDNA,つまり人類のゲノムにおいて,未だその働きが確認されていないDNA領域に認められる。その魔女特有のゲノム配列はmm配列と呼ばれ,mm配列により発現する遺伝子はM遺伝子と呼ばれている。我々はM遺伝子で生産されるエネルギーを魔力,魔女が操ったものを魔法・魔術と呼ぶが,魔力とはヒトが生体の反応で作るエネルギーと何ら変わりはない。しかし我々ヒトがそのエネルギーを生命を維持するためにそれを使うのに対し,彼らは生命維持に必要な量以上のエネルギーを生産することができ,それを体外に放出し,操ることができる。
魔力はあくまで化学反応によるものであり,神秘はあれど人知を超えたものではないことを強調しておきたい。
――『Magical細胞生物学 原書第2版』ベイク・P・テート(2212年初版発行)
Q.魔女とヒトは今後どうなるの?
我々は魔女がヒトと同等の戸籍を持ち、各国の国民と同等の権利を持つことをここに認める。双方は互いの技術と文明を提供し、互いに対し武力行使を行ってはならない。この協定の改正には両者の合意を必要とする。
――種族間協定(2145年1月締結)
近年、魔女・ヒト双方のゲノム解析が進むと同時に、ゲノム解析編集技術が発達していることを踏まえると、ゲノム編集による人工的な魔女の誕生を危惧せずにはいられない。人工的な魔女の誕生は、我々魔女が武力として使われる可能性や魔女の人権が脅かされる可能性がある。我々魔女はヒトの動向を注視していかなくてはならないだろう。ここに警告する。人類は神の領域に入るべきではない。
――『人工魔女への警告』チョー・R・アース(2215年7月3日)
***
空を飛ぶのは魔法ではなく方法で、未来へ行くのは魔術ではなく技術。魔女に使い魔の猫はいなくて、動物との意思疎通は僕の知り得る限り誰にもできないんだけども、ペットですらも健康寿命の延命が叫ばれて久しい。ニニ八七年。万和三年。今はそういう時代。
完全に個人的な僕の意見だけど、ヒトと魔女はまあまあ仲良く共存してるし、大きな問題はないと思う。たぶんね。年金・保険崩壊等々の危機もあったらしいけど、一周か二周かくるくる回って社会福祉も充実してて過ごしやすい社会だよ。正直なところ何をしてても誰でも生きていける。
んで、僕、志賀真白は探偵をやっている。だからつまり、ここは自宅兼事務所だ。
繋がりがないって? 中間を略して最初と最後だけを述べるのが探偵だってじっちゃんが言ってた。
なんで探偵かと言えば、それしかできることがない――というのはなしにして、そうだね、万和のシャーロック・ホームズになりたいからさ。
そろそろ怒られそうだから前置きはこんなところで終わりにしよう。そうくんが帰ってきたからね。
タッタッタッという階段を登る音が途切れるや否や、ピッと鍵が開く音とともに扉が開いた。
「真白先生ただいま。びっくにゅーす!」
経験上、そうくんがうれしそうなときはろくなことがない。
「おかえり。良い知らせ?」
「ご依頼でーす!」
ほらね。
「真白先生そんな顔しないでよ」
「くだらん依頼なんて要らんからな」
「真白先生に依頼を断る権利なんてないでしょうが。耳を澄ませてください。ほら閑古鳥が鳴いてる」
「やかましいわ」
「鳴き声が?」
「おまえがだよ」
この生意気な高校生が荻野颯介、魔女。僕が雇っているアルバイトだ。業務内容、臨機応変多種多様。時給ニ〇〇〇。三食、勉強&魔法の指導付き。住み込み可。安いもんだろ? って言ったらそうくんのやつ、給料がな、と返してきやがった。思えば最初から生意気なやつだったってわけ。
そうそう、字面が誤解しか生まないと思うんだけど、魔女というのは女性だけを指す言葉じゃない。女性も男性もみんな魔女は魔女だ。まあ今のご時世、性別なんて気にしないかもしれない。ちなみに僕は一応ヒト。
「んで、どんな依頼なの?」
訊ねるとそうくんはリュックサックから一通の手紙を取り出した。ご丁寧に封を閉じた紙の封筒なんて久しぶりに見る。
「中見てない。めっちゃ真白先生のこと確認されたし、真白先生に受けてもらいたそうだったからいいかなって。きっと真白先生のファンなんですよ」
「本当は?」
「成績トップの美少女後輩に頼まれたら二つ返事でオッケーしちゃうよね」
「よね、じゃないんだよ、よねじゃ。そうくんはそろそろ美少女に懲りてほしいところだね」
「真白先生がそれ言う?」
それを言われるとまあ不利になりそうなので、ここらでご依頼に逃げるとしまして。
「んで、依頼してきた子はどんな子なの?」
僕は手紙を開きつつ、そうくんの話を聞き始めた。
「藍沢雪乃、おれの一つ下の高校二年生。さっきも言ったけど成績優秀者の掲示で名前をよく見るし、めっちゃかわいい。もっと身のある話をしたいところだけど、生憎おれは藍沢さんと話したのも今日が初めてだし」
「情報ほぼなし、と」
「悪かったね」
「なんでそうくんがうちでバイトしてることを知ってたんだ?」
「おれが作ったホームページ見たらしいよ。ほら、ちょっと前に探偵事務所のホームページ作ったじゃん。あれに助手としておれ載ってるし」
「そうくんは助手じゃなくて雑用だよ。書き換えときな」
「真白先生が意地悪なときは機嫌が悪いときと相場が決まっています。で、読み終わったんですか? 依頼の手紙」
「うん。ちょうど読み終わったところだ」
依頼の手紙は簡潔な、そう長くないものだった。
『志賀真白さま
はじめまして、藍沢雪乃と申します。
今回お手紙を書かせていただいたのは、志賀先生にご依頼したいことがあったためです。
私は幼い頃、施設から今の里親に引き取っていただき育てられました。そのため実の親を知りません。志賀先生には私の実の親を調べていただきたいのです。できれば、何故私を手放したのか知りたい。そして、今の私のことを伝えたいのです。
私は魔術士として選ばれました。三年生に上がれば、学校以外はほとんど協会に時間を拘束されると聞きました。やりたいことは二年生で済ませておくようにと。高校を卒業したらすぐに就かなくてはいけません。そうしたらもう今の里親はもちろん、実の親にいつ会えるかわかりません。もう会えないかもしれません。
ですので、お願いします。私が三年生になる四月一日までに明らかにしてもらえませんか。依頼料は魔術士の前金からお支払いできます。お返事お待ちしております。
藍沢雪乃』
「相変わらず気持ち悪いね。なんで話しながら読めるんですか」
「それは褒めてるの? けなしてるの?」
「けなし九十九パーセントです」
「悪いけど、この依頼は受けられない」
「え! なんでですか⁉ 嘘です。褒め百パーセントですよ。だから機嫌なおして――」
お調子者の雑用に、僕は依頼の手紙をずいっと押し出した。
「そうくんも読みなよ。元々そうくんが受けてきた依頼だ」
そうくんは少し不思議そうな顔をしてから、黙って手紙に目を落とした。
「魔術士……。エリートですね」
読み終わってぽつりと言葉を零す。
魔術士はそうくんの言う通り、世間ではエリートとされる職だった。選ばれた魔女だけが就くことができる謎に包まれた職で、選ばれるのは優れた能力――とりわけ並外れた大きさの魔力を操れる女子だけ。従事している期間は外部との交流が一切絶たれる代わりに、多額の給料と名誉が得られる職。
「そうだね、でもそれは関係ない」
そして。
「そうくんも知ってるでしょ? 僕は魔術士と協会には関わりたくないんだ」
――僕が大嫌いな存在。
「でも別に、魔術士とか協会について調べてくれって言ってるわけじゃないじゃないですか。藍沢さんだって選ばれただけでまだ魔術士じゃないし」
「そういう問題じゃないんだよ。とにかく志賀探偵事務所としてはこの依頼を受けない」
「でもそれじゃ困るんです! どうしてもこの依頼は受けてもらわないと!」
「何がそんなに困るんだ。真白先生は今忙しいらしいからごめんなさいって言えばいいだけだろ」
「先生いつもひまそうって言っちゃったし」
「知らんがな」
なおも食い下がるアルバイトに、僕は怪訝な顔を向ける。依頼を断るのは普段からないことはなかった。
「魔法教えてもらう約束しちゃったんですよ。おれが実技苦手なこと知ってるでしょう? 卒業がかかってる!」
「後輩の女子にぃ? 魔法なら僕が教えてあげてるじゃないか」
「真白先生は見本見せてくれないからわかりにくいんです」
「見せれないものは仕方ないだろ。僕はヒトなんだから」
「そこですよ! 大体なんでヒトなのに魔法教えられるんですか」
「んー? ひみつ」
「とにかく! 引き受けてくださいよ!」
「そんなに言うならそうくんが受ければいい。そうくんは探偵助手なんだろ?」
探偵雑用、改め、探偵助手は一瞬迷うように視線を逸らせてから真っ直ぐ僕の目を見て言った。
「わかりました。おれがこの依頼引き受けます」