2-20 ミーミル、歯を食いしばって
王立魔導技術研究所――通称・魔技研では、王都を潤す発明が年に何度も生み出される。だが王都を揺るがすトラブルの種は、日に一度のペースで生み出される。
それというのも、ミーミル・トランバルトのせいだ。
彼の発明はどれも強力で革新的だが、管理体制がなっちゃいない。
部下の教育もダメダメだ。だから、実験材料の横流しやら試作品データの流出やらが起こる。
先日の「蘇生薬」薬害事件は酷かった。試作段階の薬が闇市で広まり、蘇生し損ねた冒険者たちがゾンビとなって押し寄せた。
今度の事件も十中八九、ミーミル・ラボが原因だろう。
今日こそ、お灸を据えてやらなければならない。
さあ、歯を食いしばれミーミル。
(ノルン・フェルバーン手記より抜粋。地球語訳、ノルン・フェルバーン)
王立魔導技術研究所――通称・魔技研では年に数度のペースで、王都を潤す発明が生み出される。だが、王都を揺るがすトラブルの種は、週に数度のペースで生み出される。
それというのも、ミーミル・トランバルトのせいだ。
彼が主導した開発計画はどれも革新的だが、管理体制がなっちゃいない。特許の申請だけは抜け目なくするものだから、余計に腹が立つ。我が魔導騎士団にも、そう思っている者は数多くいる。私もそのひとりだ。彼のせいで、休暇が吹き飛んだ人間を何千人と見てきた。吹き飛んだのが休暇だけならまだマシだ、なんて軽口ももはや笑えない。
だから、彼の尻拭い専門の組織が出来たと聞いた時には泣いて喜んだ。
当人たちには悪いが、これで休日はショッピングを満喫できる。お化粧をしたあとに、緊急招集を掛けられることもない。そう、思っていた。思っていたんだ。
「ノルン・フェルバーン。本日付で王立魔導技術研究所 内部調査委員会への転属を命じる」
場所はドヴェルグ団長の執務室。時刻はお昼前。まだお日さまも高く、採光の取れた部屋にいるというのに、私の目の前は真っ暗になった。魔技研付の内部調査委員――それはつまるところ、魔技研が起こすあらゆる厄介ごとの解決・阻止にあたる仕事だ。
「だ、団長。ひとつお聞きしても?」
「良いだろう。質問を許可する」
「自分は……更迭されたということでしょうか?」
質問が直球すぎたのだろう。団長は一瞬面食らった顔をした。
そしてまた、すぐにいつものゴーレムみたいな厳めしい表情に戻る。
「そんなことはない。卿の実力は我が団随一だ。魔術・兵術・武術、どれをとっても卿に及ぶ者はいない」
「な、ならば――」
「ならばこそ内調での任務を果たせると、陛下に進言したのだ。期待しているのだよ、私は」
と、ドヴェルグ団長は小さく笑い掛ける。記憶している限りでは、二週間と三日ぶりに見た笑みだ。鍛え上げられすぎた表情筋が、健気にも柔らかな笑みを形作ろうとしている様がなんともキュートで、私は思わず溜め息を漏らしそうになる。
そう。私、ノルン・フェルバーンは、ドヴェルグ団長に恋慕の情を抱いている。
断れるはずがなかった。うまく断れるような能があったなら、幾分マシなアプローチもできただろう。しかし私は所詮、魔術と兵術と武術が得意なだけの小娘。武勲以外で己を飾る手立てを知らぬ女だ。だから、答えは最初から決まっていたのだ。
「ノルン・フェルバーン、一命を賭して職務を全うします!」
★☆★
辞令を受けた二時間後。私は魔技研の門前にいて、早くも帰巣本能にかられていた。どうして、こんなところに来てしまったのだろう。私がノーと言えない女だからだ、ちくしょう。
「失礼、ノルン・フェルバーン殿とお見受けしますが」
「ノー!」
私は反射的に答えていた。しまったと思って振り返ってみれば、ぶかぶかの白衣を着た少年が門の向こうに佇んでいた。若干引いた表情で。私は慌てて言葉を継いだ。
「いえ、失礼しました。確かに、自分がフェルバーンです」
「ですよね。やあ、良かった。ドヴェルグ氏から聞いた通りの人だ」
「聞いた通りって?」
「姦しくてタッパのある女」
失礼だな、このクソガキ。私の団長がそんなこと言うわけないでしょ。
と、叫びたくなるのを堪えて、私はそのクソガキ――もとい少年に訊ねた。
「ところで貴方は? 魔技研の研修生とか?」
「ああ、そうでした。自己紹介がまだでした」
そう言って、少年は首に下げた入館証を掲げる。そこに書いてあったのは――
「王立魔導技術研究所 主席研究員 兼 ミーミル・ラボ室長、ミーミル・トランバルトです。以後、お見知り置きを」
「なっ……」
私はミーミルの年齢はおろか、顔も声も知らなかった。しかし、目の前の小僧が王国一の発明家というのはどうにも腑に落ちなかった。まだ、頭の呆けた老人が出てきた方がまだ説得力がある。どれ、ひとつ見極めてやろう。
「では、『蘇生薬薬害事件』でゾンビパニックを引き起こした、あのミーミル・トランバルト博士?」
「それは正確な表現ではありませんね。あれは、小金欲しさに試作品を横流した研修生がいけなかった。まったく、学院ではどんな教育をしていたのやら」
「貴方のラボで起きたことです。貴方の責任では?」
少し切り込んだ聞き方をしたが、少年は肩をすくめるばかりだった。
「十つも年上の成人に僕が道徳教育をしろというのは、ぞっとしない話ですね」
「ご自分の都合で大人と子供を使い分けるのは卑怯です。それくらいのこと、“知の巨人”と称される貴方なら理解できるはずでは?」
私が語気を強めると少年は一瞬キョトンとしてから、また元の生意気な顔つきに戻った。
「ふふ、初めてですよ。この僕に説教を垂れた職員は。良いでしょう、合格です。これぐらいズケズケ物が言える人を探していたんですよ」
「はあ」
間違いない。この少年は、本物のミーミルだ。だって、こんなにもムカつく。こんなちびっ子の面倒を見ることになるなんて、夢にも思わなかった。私が小さく嘆息するのを尻目に、ミーミル少年はえっちらおっちらと門扉を押し開けて、私を所内へと招く。
「貴女の言うとおり、魔技研のモラルハザードは深刻です。先の大戦で致死性兵器の開発ばかりしていた名残か、どうにも成果を焦って強引な手段に出るきらいがある。たとえば古株のマイラー氏の開発班では、原因不明の不審死や物損事故が多発している」
「何を開発している班なんですか」
「可逆圧縮型物質格納容器。またの名を、“アイテムボックス”」
聞いたことがある。
戦時中、兵站輸送の効率化のために、空間圧縮や空間転移の魔道具が研究されていたという話。空間魔法は超一級の難易度を誇る高等技術であり、また、その機能をものに付与するというのは輪をかけた無理難題だと聞いている。まさか、今も研究されていたとは。
「アイテムボックスで人が死ぬものでしょうか?」
「それを確かめてもらいたいのです、ノルン・フェルバーン委員長。彼の進めている計画はその秘匿性の高さゆえ、僕と言えど立ち入ることができない。だからこそ、僕は貴女を魔技研に呼んだ。改革の起爆剤としてね」
「……いま、委員長って呼びました?」
「内調は貴女一人の部署ですからね。当然でしょ。んじゃ、頑張ってくださいね」
「ちょちょちょちょっと」
ミーミルが去っていこうとするので、私は慌てて彼を抱き上げ、制止した。
ぶすっとした表情で、ミーミルがこちらを振り返る。
「僕、こう見えて忙しいんだよね」
「それは承知してますが、もう少し手助けしてくれても良いのではありませんか? 件のマイラーって人に紹介したりとか」
「僕が行ったら、彼は警戒して証拠を隠すでしょう。それにそもそも、貴女がこうして僕と仲良くお喋りしてること自体マズいんですよ。貴女はあくまで中立の立場から、内部調査をしなければならない」
「では、研究者としての所見を」
なおも食い下がると、ミーミルは明後日の方角を見ながらわざとらしく独り言を言い始めた。
「そういえば、例の変死体はミイラ死体だって話だったなあ」
「ミイラ……」
「身体が急に小さくなったら、熱量の不足で全身が凍り付くだろうなあ。急に巨大化したら、排熱が追い付かなくなって身体中の細胞がぐつぐつ煮えたぎるんだろうなあ。こわいなあ、やだなあ」
「なるほど。冷却と昇華によるフリーズドライ、ですね」
昔、“氷結魔法をかけた食材に火炎魔法をかけると、水気が飛んで長持ちする”というライフハックが流行したことがあった。大体、それと同じだろう。まあ、私は火炎魔法の出力が強すぎて、炭の山をこしらえるばかりだったが。
「十分です、ミーミル室長。では任務に掛かります」
「ああ、それと」
私が案内表示を求めて歩み出した時、ミーミルの変声期前特有の高音が追いかけてきた。
「そこの換気口。マイラー氏のラボに直通できるの、セキュリティ的に問題だと思うんですよね。どう思います、ノルン委員長」
「……それはいけないですね。チェックしておきましょう、迅速に」
成果を出して、ドヴェルグ団長のもとに凱旋する。それだけを胸に、私は任務に邁進することにした。換気口の蓋をえいやっとねじ開けて、ダクトの中に身体を滑り込ませる。照明欲しさに火炎魔法を使おうとしたが、ダクトの先に火炎放射を見舞うことになりそうなので、手先の感覚だけを頼りに匍匐前進する羽目になった。
しかし、問題はない。私は匍匐訓練でも優秀な団員だった。一分と掛からず、目標地点に到達する。そうして、また換気口をこじ開けた時、聞き覚えのある声が館内全域に響いた。爆音のアラームとともに。
〈あー、総員に達する。保安上の重大なリスクが発生した。侵入者だ。対象の現在位置はマイラーラボ内部と推測される。保安要員は至急排除にあたられたし。以上だ〉
ミーミルめ。魔技研改革の起爆剤ってそういうことか。騒ぎを起こして、マイラーラボに介入する大義名分を得ようってハラか。良いだろう。そっちがその気なら、私も派手に暴れてやる。それでその後、あのガキはシメる。歯を食いしばれよ、ミーミル。