2-01 シナスタジアの聖女、今日も最前線を征く
教会でシスターとして働くアリシアは、感情や性質が色で見えるという能力を持っていた。
しかし、アリシアはその能力を隠し、見てくれだけは抜群に良い教会関係者たちへの思慕を募らせる、子羊達の貞操を守る活動を生きがいとするという、ささやかな日々を過ごしていた。
そんなある日、およそ二百年ぶりに魔王が復活し、異世界から勇者が召喚される。
その魔王討伐の出発パレードに、末端として参加していたアリシアは見てしまった。勇者がこれまで見たことがないほど純真な『誠実の白』を纏っていることと、その前を行く騎士のうちの一人が『悪意の黒』を纏っていることを……
ドラゴンまで襲来し一転して戦場と化した場で、騎士達が操られていることに気付いたアリシアが、その能力を使って黒幕を探す。
これは、特殊な能力を持つアリシアが聖女となり、戦場の最前線で体を張りながら幸せを掴む物語。
「あの、すみません!」
教会内を歩いていると、そう話しかけられた。
相手は、二十代前半に見える年頃の女性だ。周囲をキョロキョロと伺い、少し頬を赤らめながら、おずおずとこちらに手紙を差し出してくる。
「いつも朝に教会の外で掃除している司祭様に、この手紙を渡していただきたくて」
その言葉に、ああ、やっぱりと、気付かれないように小さく口角を上げる。
さりげなく、この女性に近付いたかいがあった。
だってこの人、淡いピンクを全身に纏いながら、頭付近に紫がポツンと浮かんでいたから。
これは恋している人が、何か疑問や不安を感じた時によく見る組み合わせだ。
「ええ、もちろんいいですよ」
そう、にこりと微笑んで手紙を受け取る。
が、この大切な手紙をあの司祭に渡すつもりは毛頭ない。
司祭という立場でありながら、毎朝、教会外の掃除を買って出ているアイツ。
その穏やかな笑顔と気さくな人柄に、これまで多くの女性たちが虜となってきた。
だが、アイツには女性を近付けてはいけない。
アイツはただ、道行く女性たちの品定めをして、あわよくば関わりを持とうとしているだけの下衆野郎なのだから。
「ありがとうございます!」
手紙を頼めて、安心したように微笑む女性の笑顔が眩しい……この笑顔を守るんだ。
私は穏やかな雰囲気を纏いながらもそう心に誓い、手紙を懐に入れてその場を後にした。
そのままの足で向かった先は自室だった。
中に入り、部屋の隅に設けらたクローゼットの前で止まって、静かに扉を開く。
そこにあったのは積み上げられた手紙の山。その一番上に、先ほどの手紙を置いた。
これで、迷える子羊達の笑顔を……というか、貞操を守ったのは何度目だろうか。
そもそも、アイツを含め、この教会の関係者はもれなく無駄に顔が良いのだ。
それは、単純に顔採用されているからで……
それ自体は別にいいのだけれど、問題は、そいつらが揃いも揃って腹黒共ばかりだということだ。
聖職者のくせに、男女ともに遊んでいる奴が多すぎる。
そうでなくても、お金や酒や賭博など、ここの人間は全員何かしらに溺れていた。
『全員』と言い切れるのは、実際に全員を見て確認したからなわけで……
私には、感情や性質を色で識別することができるという特殊な能力があった。
この能力ゆえに、幼い頃は大変な苦労をした。
何せ、当たり前だと思っていた自分の視界と、他の人の視界は全く違うものだったのだから。
最初は不思議な子。そこから徐々に気味悪がれるようになり、次第に孤立するようになっていった。
また、成長するにつれて見える色と、それに伴う情報量が増えて脳を圧迫し、生活に支障が出てくるようになった。
そのため、私は世間から離れるために教会へ入ったのだ。
それなのに、当の教会がどこよりも俗世に塗れていたとは。
気付いたばかりの頃は絶望したものだが、それも七年近く経てば慣れ、最近はこうして子羊達を密かに救う活動に精を出していた。
アイツらが仲間内で「この頃上手くいかない」と愚痴を漏らすのも、私の活動のおかけだ。
「……ああ、そういえば。今日はこの後、勇者様の出発パレードに出席するんだっけ」
積み上げられた手紙を眺めてこれまでの活動に思いを馳せていたが、ふと、この後の予定を思い出した。
慌ててクローゼットの扉を閉め、準備をして自室を出る。
今日は勇者が、魔王討伐に向けて出発する日だった。
教会の出入り口へと向かうと、扉の前に自分と同じ年齢くらいのシスター達が集まっているのが見えた。
噂の勇者の姿を近くで見ることができるからか、空気が少し色めき立っている。
その雰囲気の影響が少ない、端の、扉のすぐ近くに身を寄せた。
扉を挟んだ向こう側の、パレードに盛り上がる人々の騒がしい声が聞こえてくる。
人々の盛り上がりは当然だった。
だって、ようやくこの世界を包んでいた閉塞感から解放されるのだから。
前回の討伐から、およそ二百年ぶりとなる魔王の復活。
それに伴い今回も異世界から勇者が召喚され、来る今日、メンバーを揃えて魔王討伐の旅へと出発するのだ。
ただ、本来であれば、教会からも『聖女』を輩出することになっているはずだが、周りのヒソヒソ話を聞く限りまだ決まっていないようだ。
外の騒がしい雰囲気に、目の前のシスター達の私利私欲に塗れた色が合わさって、既に脳が少しクラクラする。
「ああ……色がたくさん集まって、気持ち悪いだろうなあ」
ため息とともにそう小さく呟くと、背後の扉がゆっくりと開かれた。
教会の前にはすでに城から出発したパレードの行列が止まっていて、シスター達の一行と、その中に紛れた私は、お行儀よくその集団に加わっていく。
指定された場所は、勇者一行のすぐ後ろだった。
聞いていた話ではもっと後ろの方のはずだが……多分、聖女が決まっていないから教会側が悪あがきしているのだろう。
ま、私には関係ない話だと流していると、前の方にいた人が急にこちらに振り向いた。
それは噂の勇者だった。
彼はパレードの列に加わった私達を見ると、にこりと微笑んで軽くお辞儀をした。
その瞬間、周りの雰囲気が一気に『恋するピンク』と『好感の橙』で満たされる。
この世界では珍しい黒髪に、自分と同じころに見える、爽やかさと幼さを纏った青年。
その一つの動作だけで人々の心を掴むなんて、さすがは勇者だ。
だが、それ以上に私が驚いたのは、彼の周囲に見える一面の白だった。
それはこれまで見たことの無いような、一点の曇りもない『誠実の白』
近しい人は稀に見たことがあったが、ここまで純真な白というのは初めて見た。
先程のも全て下心なく、その誠実さゆえに出た行動だということなのだろう。
これまで人の行動と本音のギャップに仄暗い気持ちを味わい続けていた私には、勇者の存在が一際眩しく見えた。
勇者・リョウ。か……
そう噛み締めながら、その後ろ姿を見つめる。
すると、隊列が整ったのか周囲が徐々に動き出した。
ふと意識が削がれ、遅れないよう、乱さないよう周囲に視線を配ると、視界の隅に何かが映り込んだのに気が付く。
「ん? あれは……」
それは、先ほどの勇者の白とは対極の、黒の残滓だった。
靄のような黒を、勇者の少し前を行く騎士の一人が薄っすら纏っているのが見える。
……どういうことだろう?
これまでも、『悪意の黒』を纏った人はたくさん見てきた。
飲み込まれそうに深いその色は、普通は体の中心から湧き出るように色を成す。
だが、視線の先のあの黒は、帯のように連なって騎士の周囲に浮かんでいた。
これまで見たことがない黒の色形に頭を捻らせる。
手前の白に搔き消えそうに薄い黒を見つめていると、ふと、その騎士が空を見上げた。
その瞬間、一気に黒が濃くなり、ぶわっと膨張する。
その尋常じゃない様子に慌てて私も空を見上げると、そこには清々しい青空が広がっていた。
いや、そんなはずがない。あの変化は、絶対に何かあるはずだ。
そう目を凝らしていると、遥か上空に、点のように小さな黒があることに気が付いた。
それは徐々に大きくなっているように見える。
そして、僅かに形が分かるほどの大きさになった時、思わず叫んだ。
「……ッ! ドラゴンだーー!!」
私の声に、前を歩く勇者達が即座に反応する。
そして、「チッ!」という音と共に、先ほどの黒を纏っていた騎士が勇者に襲い掛かった。
重なる剣の劈くような音に、一拍遅れで周囲から悲鳴が上がる。
騎士の剣を受けたのは、勇者ではなく横にいたパーティーメンバーの剣士だった。
勇者は空を見上げたままだ。まるで、周囲の混乱や喧騒が耳に入っていないように、凪いた青を纏いながら空を見つめている。
そして、フッと軽く息を吐く音が聞こえたかと思えば、勇者の姿が消えた。
少し遅れて、空から低い悲鳴が轟く。
空を見上げれば、こちらに向かってまっすぐに落ちてきていたドラゴンが、何かに襲われたのか体を捻らせ、僅かに軌道をズラしていた。
そのまま、大通りを行くパレードとは対照的に閑散としていた、郊外の広場に墜落する。
激突の地響きと共に、土煙が立ち上った。
それを確認して、慌てて広場の方へと走り出す騎士達。その中に、同じようにあの黒を纏った騎士が、数名いるのが見える。
土煙の奥に、伏せたドラゴンと、その上に立つ人のシルエットが徐々に浮かぶ。
すると、広場に向かっていた黒を纏った騎士達が一斉に剣を抜いた。
そのタイミングは同時で、全く同じような動きだった。まるで……
「……もしかして、誰かが騎士達を操っている?」
そう思うと、この状況の全てに説明が付くようだった。
あの、帯のように連なって見える黒。途中で見えなくなるが、あの帯の先に、黒の根源たる誰かがいるのではないか。
であれば、騎士を倒しても意味がない。彼らを操っている奴。そいつを見つけないと……!





