2-17 灰燼の胡人舞(トレパーク)
街を破壊する異形のモノたち。
自らを「天の御使い」と称し、逃げ惑う人々を「下等生物」と嘲る彼らの正体はいったい何なのか?
人々は彼らの企みを退け、平和な暮らしを取り戻すことができるのか?
そして炎と煙に包まれた古書館で彼らが見出した「真実」とは?
オアシスの小さな街を舞台に、いま謎めいたダークファンタジーが幕を上げる。
焔と煙とに彩られた虚飾の街に、滅びの歌が低く流れている。
崩れ落ちる人々の営みには、温かな幸福など、もはやどこにも見当たらず。
血と恐怖と絶望と。
ただそれだけが街を赤と黒とに染めあげている。
「うふふ、始まった」
きゅっと弧を描いた形の良い唇から、実に愉しげな声がもれた。
一拍遅れてズズッ…と腹に響く音。
そこに甲高い女性や子供の叫び声が混じり、神経を逆撫でするような不協和音が生じる。
「あはは、最っ高!いつ聴いても素敵な音楽ね」
高らかに嗤うはあどけない娘。
美しく澄んだ鈴を振るような声が不吉な言葉を唄うように綴る。
ここは街の中央にそびえる大聖堂の尖塔だ。
その屋根の天辺に、無数のカラスを従えた黒衣の少女の姿がある。
大きな羽根飾りのついた黒いシルクハットの下には、耳のあたりで切りそろえられた銀灰色のつややかな髪に、零れ落ちそうに大きな白銀の瞳。
形の良い唇には黒いルージュがひかれて人形めいた美貌を際立たせている。
大量のフリルとレース、リボンで飾り立てられた豪奢なドレスが、眼下に広がる地獄のような光景にはあまりに不似合いで、現実離れした印象だ。
「”轟焔”のラハヴ。何を遊んでいる、任務だぞ」
不意に1羽のカラスが人語で喋った。
老いた男のような、ひび割れたしゃがれ声で。
見下ろせば、数多の人影がよろけながら一箇所に向かって必死に走っている。
この街の避難壕に。
「うふふ、ネズミ風情が必死になっちゃって」
「ふざけている場合か?」
「はいはい、任務了解っ……と」
おちょくるような言葉と共に少女が消えた。
まるで大気に溶け込む様に。
代わりに黒いモヤがじわりとにじんだが、それもまた大気に溶けて消えていった。
「さぁ、終わりの始まりよ!」
愉しげな声だけを残して少女が消えた辺りを、鴉たちがじっと見つめている。
ややあって、ひときわ大きな一羽が軽く伸びをするとクチバシを開いた。
「やれやれ、やっと行ったか。あのお調子者が」
ひび割れ、しゃがれた声がその喉からほとばしる。
それからふわりと飛び上がると、軽く羽ばたいた。
とたんに空間がぐにゃりと歪んで黒い霧が溢れ出し、周囲の鴉を一羽残らず飲み込んでゆく。やがて全てを飲み込み終えた霧は、また一点に収束しながら虚空に消え去った。
後に残されたのは異形の人物。
首から上は、あどけなさの残る美しい少年だ。黒目がちな銀の瞳は年齢にそぐわない鋭さで、整った顔をわざと汚すように、道化を思わせる化粧をほどこしている。
異様なのは胸から下だ。
胴体の代わりにあるのは、空っぽの大きな鳥籠。そして腰から下には何も無い。
ただ無数の鴉が彼を支えて宙に浮かべている。
右手にはしっかりと抱いた巨大なウサギのぬいぐるみ。まるで生きているかのように、時おりびくびくと動いている。
「任務完了っと。もう帰っていいよね?」
「そうも行かん、見ろ」
涼やかな少年の声の投げやりな言葉に、どこからともなく響く老人の声が応えた。
少年が実に嫌そうに眼下を見る。
そこには群集に囲まれ、頭を抱えて丸くなっている黒衣の少女の姿。
「あ~あ、やっぱりああなっちゃったか……だから早く帰りたかったのに……」
「諦めろ。あれの尻ぬぐいが我々の仕事だ」
疲れのにじむ声が少年の心情をそのまま表しているようだ。
老人の声もうんざりした調子を隠そうともしない。
「”霊智”のミロン、代わりに何とかしてもらえません?」
「無理だ。ワシのこの身体で何ができる?」
「やっぱり、俺が行くしかないのか……」
がっくりとわざとらしく肩を落とす少年。
異様な見た目とは裏腹に、なかなかに感情表現が豊からしい。
「ボヤいていても状況は悪化するだけだ。さっさと行かんか」
げに恐ろしきは無能な味方。
二人とも心の底からそう思っているのだろう。
「はいはい。ちゃっちゃと片付けてきますよ」
恨みがましい声だけを残し、少年の姿は黒い霧と化してから消えた。
後に残るはただ痛いほどの静寂のみ。
一方、こちらは少しだけ時をさかのぼった街の中。
「あらあら。ネズミどもったら、こんなところに入り口を隠していたのね。地下に潜ったって無駄なんだから」
空間がぐにゃりと歪むと黒いモヤがじわりと染みだし、異形の少女の姿となった。
黒いドレスに身を包み、背中に鴉のような黒い翼。
腰から下は陽炎のように揺らぎ、まるで空間に半ば溶け込むよう。
顔の造作は愛らしいが、あざけるような笑みにはねっとりとした悪意がこもっていて気持ち悪い。
「さあ、処刑開始よ!」
高らかな声と共にラハヴが右手を振り上げると、無数の火球が現れた。
「ふふ、消し炭になりなさい。豪焔乱舞!」
人の頭ほどの火球が、逃げ惑う人々に次々と襲いかかる。
「あっははは! いい気味! 下等生物の癖にあたしたち天の使いに逆らうからよ!」
苦しみもがく人々を嘲笑うと、少女は黒い翼を羽ばたかせてふわりと浮かび上がった。
すると額に鈍い衝撃と鋭い痛み。
何かが強く当たったようだ。
「痛った…」
思わず手をやるとぬめるような感触。
慌てて掌を見るとべっとりと血で濡れていた。
「ち……血!? このあたしが……っ!?」
また衝撃。足元には大きな石。
「こ、このあたしに石なんか…」
怒りで目の前が赤く染まりかけた時だ。
「出ていけ!」
少年の声と共に、更に大きな石が頭に当たる。
「出ていけ! 出ていけ! 出ていけ!」
声は瞬く間に広がって、老若男女の大合唱となる。
それに伴って、おびただしい数の石が飛んできた。
「もうやだ、何なのよ…誰か助けて……っ」
少女の声は、誰にも届かない。
「出ていけ! 出ていけ!」
憎悪のこもった声と共に降り注ぐ無数の小石。
つぶての雨に飛び上がる事もできず、彼女は空中でうずくまるしかない。
じわりと涙がにじんだところで、絶え間なかった衝撃が止んだ。
「……?」
恐る恐る顔を上げれば、少女の周囲に無数のカラスが浮かんでいて、飛んでくる礫を受け止めている。
「何を遊んでいる? 任務はどうした?」
頭上から涼やかな少年の声が降ってきて、少女は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「あんたは呼んでないわよ。”千翼”のオルヴ」
「ほう。ならば誰を呼んだんだ、”轟焔”のラハヴよ? 助けてと言っていただろう?」
「そ、そんなこと有り得ない!! ミロンの聞き間違いよ!!」
今度はからかうような老人の声。
ラハヴは顔を真っ赤にして必死で否定する。白い頬を紅く染め、銀色の瞳を潤ませた姿は愛らしく、見る者によっては庇護欲をそそられるはずだが、それを見やるオルヴの瞳はどこまでも冷たい。
「もう良い。それより任務はどうした?」
「あたしはちゃんとネズミ退治を……っ」
「街の住人をなぶって痛めつけることか? そんなものは任務にはないぞ」
少女の選民意識に凝り固まった言葉を淡々とした声がぴしゃりと遮る。
先程の老人との会話とは打って変わって威圧的な話し方だ。
よほど腹に据えかねているのだろう。
「でも……っ」
「我々の任務は古文書館での探し物だ。遊んでないで仕事をしろ、この役立たず」
なおも言い募るラハヴに言葉をかぶせ、オルヴは絶対零度の声で言い放った。
「な、何よっ! しょぼい古文書なんか何の役に立つのさ!? そんな子供のお使いなんかより、あたしたちに歯向かうネズミ共を退治した方が…」
「命令違反だ。不要な犠牲を出すな」
必死に自らを正当化するラハヴ。激情を表すかのように翼をバタバタと羽ばたかせ、激しく上下しながら口角泡を飛ばす勢いで言い募る。
しかし、オルヴはその身勝手な言い分をにべもなく斬り捨てた。
「犠牲ですって!? まるであいつらが人間みたいに……あいつらはあたしたち天の御使いに逆らう神の敵よ! 退治して何が悪いのよ!?」
「何が”天の御使い”だ。”子供のお使い”程度の任務もこなせぬくせに、思い上がりもはなはだしい」
少女はまなじりを吊り上げ、拳を握って食ってかかるが、少年はまるで取り合わない。
淡々とした口調で咎める態度に、少女はますます頭に血を上らせた。
その間にもひっきりなしに礫が飛んできてはカラスたちに受け止められているが、まるで気付いていないようだ。
「何よ! 大した力もないくせに威張りやがって……っ!」
「その”大した力もない上官”にいちいち助けられなければ何も出来ないのは誰だ? そろそろ己の力不足を自覚したらどうだ?」
「ち、力不足ですって!? 神に選ばれて異能を与えられたこの”轟焔”のラハヴが!?」
「ああ、お前以外に誰がいるというんだ?」
「何の能力もないお前に何が分かるのよ!?」
「所構わず気紛れに爆炎を撒き散らすしか能のない、自らを神に選ばれた特別な存在だと思い込んでいる、簡単な命令も理解できないくせに勝手な行動は取る、思いあがった考え無しの部下を持つことの苦労なら身に染みてよく分かるぞ」
頭から湯気でも噴きそうな勢いのラハヴに、オルヴはいささか大仰にため息をついた。
よほど腹に据えかねているのか、言葉にこもった棘を隠す気もないらしい。
「な……っ!?」
あんまりな言葉にラハヴは思わず息を飲み、白銀の瞳を潤ませた。