職場の人が亡くなった
職場の人が亡くなった。
日常の中に、突如として起こった衝撃的な出来事について感じることを、思いつくままにつらつらと書いています。
職場の人が亡くなったそうだ。
直接話したことは、おそらく数える程しかない。
事務所には、献花台が置かれているらしい。
あまり面識はなかったが、とても明るい人だったと思う。
仕事をしているとき、遠くにいても、時折、その特徴的な、少し高めの笑い声が聞こえてきていた。
その声が耳に入ると、ちょっとだけ、ポジティブな、楽天的な気持ちになれた。
そういえば、業務で必要な帳票に、サインをもらったことが何度もあった。
ひとこと声をかけて、サインした紙を手渡してくれていた。力強い目だった。
その人は1年前、いわゆる『炎上』していたプロジェクトのリーダーをしていた。
僕は別のチームだったから、傍目から見て、大変そうだな可哀そうだなというくらいに思っていたが、
本当に、心身ともに疲弊するような業務についていたのだと思う。
そのために亡くなってしまったのだろうか。
それとも、元々持病かなにか患っていたのだろうか。
いずれにせよ、仕事をしていたことで寿命は短くなったのだと思う。
その人の同期入社の人も非常にショックを受けているようだった。
みんな、ショックを受けているだろう。
同じ職場の人が在職中に亡くなるというのは、そうそうあることではないし、衝撃的だ。
1年前まで、事務所の、すぐそこの席にいたのに。
もうあの時のように、サインしてもらえないのか。
死ぬとき、何を思ったのだろう。
人生を振り返ったりしたのだろうか。
もしかすると、苦しくてそれどころじゃなかったのだろうか。
それまでの人生で出会った人や出来事、家族のことを思いながら、消えていったのだろうか。
死んだら、心臓が止まったら、意識はなくなるのだろうか?
死んだらどこへ行くのだろう。
身体はただの物質になる。脳もただの物質になる。
生きているとき、意識は脳に宿っているはずだ。
そう思うと、意識は実体がないものだ。でも、確かに存在している。
どうせ、いつかなくなってしまうのなら、なぜ僕たち人間は生まれてこなければならないのだろう。
僕も、いつか消えてなくなってしまうのか?
恐ろしいし、そんなこと想像できない。
一つ、なんとなく分かるのは、自分は死ぬときこう思うだろうな、ということ。
大切な人の顔を思い浮かべながら、
『ありがとう。大好き、どうか僕のことを忘れないで。幸せにね。』
亡くなったAさん、どうか天国でゆっくりしてください。ご冥福をお祈りします。