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「クラウス、様……」
驚いた。まさか彼が現れるなんて……。
彼はロゼッタの腰に手を回すと、自身へと引き寄せた。
「ロゼッタ、君はそこにいる貞操観念が緩い女より、遥かに魅力的で大人の女性だ。嫌がらせを受けても、やり返す事などせずひたすらに堪えている……だが、我慢する必要などない。先日も話したが、君には僕達がついている」
いつもの彼じゃないみたいだ。いつも意地悪で毒づく彼は、今日は酷く落ち着いた様子と声色で紳士的だ。同い年なのに、頼り甲斐のある大人の男性に見える。心強く思えた。
『君には僕達がついている』その言葉に先日の事が頭を過り、彼の優しさと皆の優しさを感じる。
ふとフェルナンドに視線を戻すと、ずっと飄々としていた彼だが、今は俯むき何かを呟いていた。
「……るな」
「……?」
珍しい……いつもなら、これでもかと言う程にはハッキリと話す人なのに……彼が何を言っているのかよく聞き取れない。俯いている為、表情も分からずロゼッタは困惑する。
「ロゼッタに、触れるな」
その声は恐ろしく冷たく響いた。いつもの貼り付けたような笑みはどこにもなく、表情が完全に抜け落ちている。
つい今し方安心感に包まれていたロゼッタだったが、フェルナンドの様子に息を呑み、思わず身体を震わせた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
何故こんな事になってしまったのだろうか。
ロゼッタは、窓の外を眺めながら昨夜の事を思い出していた。
『ロゼッタ、帰るよ』
ツカツカとフェルナンドは歩いて来ると、ロゼッタの腕を掴んだ。瞬間クラウスが彼の手を振り払おうとするが、逆に腕を掴まれ壁に叩き付けられる。
『ゔっ……』
側からは分からないくらいクラウスは強く打ち付けられたらしく、悶えながら唸り声を上げた。頭からは薄ら血が流れている……。
『クラウス様っ』
慌てて駆け寄ろうとするも、強い力で彼に腕を掴まれている為動けない。
『穢らわしい……』
そう言った彼はロゼッタから乱暴に上着を剥ぎ取ると、下に転がっているクラウスに投げつけた。
『フェルナンド、様っ、離して下さいっ』
『……行くよ』
手を振り解こうともがいてみるが、力で敵う筈もなくそのまま強引に引っ張られた。
『フェルナンド様!お待ち下さいっ‼︎』
暫し呆然とし立ち尽くしていた女性は、我に返った様子でフェルナンドの背に声を掛けてきた。慌てて駆け寄り、彼を引き止めようと腕に触れようとした時……。
パンッ。
乾いた音がその場に響いた。それは彼が彼女の手を弾いたからだ。
『失せろ……二度と僕に、触れるな。……吐き気がする』
女性は余りに驚愕したのか、目を見開き口は半開きになり声が出ない様子だった。折角の綺麗な顔が台無しに見えるくらいに、表情は崩れてしまっている。
それはそうだろう。つい先程まで甘い言葉を囁かれ、抱き合っていたのだから。彼女でなくともフェルナンドの変わり様に、誰でも唖然とするだろう。まるで別人だ。
何故、フェルナンドはあんなに怒りを露わにしたのだろう。ロゼッタには理解出来ない。
もしかしたら自尊心の高い彼は、赦せなかったのかも知れない。形だけの妻であっても他の男の腕の中にいる妻が。
クラウス様……大丈夫かしら。
クラウスに、申し訳ない事をした。
自分を庇ってくれたのに……。
あの後ロゼッタは、フェルナンドに無理矢理馬車に押し込められ、屋敷に帰ってきた。故にクラウスがどうしたのか分からない。謝罪をしたくとも、部屋から出れない。
フェルナンドから部屋から出ない様にとキツく言われ、扉に鍵を掛けられてしまった……。
ロゼッタは深いため息を吐き、椅子に座り机に突っ伏した。