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ずっと一緒だよ

作者: 嘉多野光

 僕は、博明くんとは一生一緒だけど、一生関わることはないと思っていた。でも、そういうものだし、それでいいと思っていた。

 あれは、博明くんが四歳になって、すっかり喋られるようになった頃だった。

「キミ、いつもいっしょにいるけど、だれ?」

 保育園で、誰かと遊ぼうとせずに、園庭の隅で一人で地面に落書きをしていた、正確には僕とだけ一緒にいた博明くんが、誰に言うでもなく声を発した。僕は、博明くんは一体誰に声を掛けているのだろうと思った。

 博明くんは首だけ後ろに向けて、「キミだよ」と下の方に視線を向けて話し掛けた。それが僕、影に向けられたものだと気付くにはかなり時間がかかった。実際、そのときにはまさか自分が話しかけられているとは分からなかった。博明くんから三日三晩話しかけられて、ようやく気付くことができた。

 博明くんは、僕が話す言葉を聞き取れるようだった。

「博明くん、僕のこと分かるの?」

「だってキミ、いつもいっしょにいるだろう」

「それはどのヒトやモノも同じことだ。だけど僕たちに話しかけたのは博明くんが初めてだと思うよ」

「『影』じゃみんなと同じでつまらないから、何て呼べばいい?」

「僕には名前なんてないから、博明くんが決めてよ」

「そうだな」博明くんは十数秒考えた後に「かげっちね」と、当時流行っていたおもちゃのような安直な名前を僕に付けた。それでも僕は、この世で後にも先にも唯一名付けてもらった影になれたのだから、嬉しくて仕方なかった。


 博明くんの特技は、自分の影と話せることだけではなかった。博明くんは、僕を自由にさせることができた。

 例えば、博明くんの両親は共働きで、よく保育園の迎えが遅くなったり、家でも持ち帰った仕事を片付けたりして、博明くんの相手をなかなかできないときが多かった。そういうときは、僕が相手になって博明くんと遊んだ。他の子どもより少し頭のよかった博明くんは、五歳になると僕と一緒にあやとりを覚えた。「かげっちといると、二人でやるあやとりもできて楽しい」と博明くんは僕の存在を肯定してくれた。博明くんが小学校に上がると、よくトランプをして両親の帰りを待った。宿題を手伝ったり、博明くんが疲れているときにはこっそり代わりに宿題を片付けてあげることもあった。

 普通なら、影は光源があるときに存在し、その姿形は光源の位置とあるじに黙って付き従うだけである。僕も本来はそうあるべきだったし、それに不安もなかった。実際、博明くんと話す前まではそうしていたのだから。

 しかし、影にも欲というものがあるようで、だんだん博明くんと遊ぶ程度では耐えられなくなっていた。自由に動けるとはいえ、僕は博明くんからは決して離れられないという大きな制約があった。それに、僕が自由に動けるのは、原則博明くんが僕に自由を許してくれる、二人きりのときだけだ。

 もっと自由に動きたい。博明くんのように。

 そんなことをずっと考えていたあるとき、僕は一つ重大なことに気付いた。博明くんが高校に進学した頃だった。僕が自由に動けるもう一つの時間があったのだ。暗闇の中だった。

 博明くんは、中学生になって自分の部屋を割り当てられると、最初は豆電球を付けていたが、そのうち部屋を真っ暗にして寝るようになった。

 僕はいつも、博明くんが寝るときは博明くんの背中とベッドの間に入って、夜が明けるのをただ待っていた。少なくとも、博明くんがお母さんと一緒に寝ていたときまではそこから動くべきではなかったし、博明くんが一人で寝るようになっても、僕が背中で夜明けを待つのはすっかり習慣になっていたから、それ以外の行動をしようと考えたこともなかった。

 ある日、高校生になった博明くんが部屋を真っ暗にした状態で寝ているとき、博明くんは夢にうなされていたのか元気が有り余っていたのか、突然ベッドから転げ落ちた。普通なら僕も一緒に床に落ちるのだが、なぜか僕はまだベッドの上にいた。それが、初めて完全に離れた位置で博明くんを見た瞬間だった。このとき、部屋を真っ暗にした状態になると、僕は博明くんから離れて暗闇を自由自在に移動できるということに気付いた。

 最初の僕の行動は可愛いものだった。博明くんが気付かないうちに部屋を抜け出して、影伝いに夜の街を散策した。車や飛行機になって、遠くの街まで夜帰りの旅行を楽しんだこともあった。

 そのうち、一つの恐ろしいアイデアが浮かんだ。暗闇の中で乗り物の影になれるのなら、凶器を持って博明くんと戦えるのではないか。

 翌日の夜、早速僕は実行に移した。博明くんが目を覚ましてはいけないので、まずは細い針を博明くんの指に刺した。博明くんの指の腹に、血がじわっと滲み出た。しかし、その血は真っ黒かった。

 異変に気付いた博明くんが起きて、僕に話しかけてきた。

「かげっち、指が痛いんだけど、なんかあった?」

「僕がやったんだよ」

「え?」

「その手をよく見てご覧よ。何か出ているだろう」

 暗闇の中で黒い血が流れているのを目撃した博明くんは、急いで部屋の明かりを付けた。

「かげっち、どういうことだよ、説明してくれよ」

「そういうことだよ。僕は自由になりたいんだ。僕は博明くんが主である限り、一生自由にはできない。でも分かったんだ、暗闇の中でなら、博明くんを攻撃して、その身を乗っ取れると」

「……信じてたのに」博明くんは涙を流した。


 それから僕たちの戦いが始まった。博明くんは部屋を真っ暗にしていたのが一変して、部屋を煌々と明るくして寝るようになった。寝ている隙には襲えないと分かった僕は、それでも誰もいない夜の高架下といった暗い場所に博明くんが入る一瞬をついて攻撃の機会を狙った。だが、僕の弱点が光と分かれば、博明くんが僕の攻撃をガードするのは簡単だった。博明くんの影を扱う能力も、小さい頃は制御が効かないときもあったけど、大きくなるにつれて随分扱いが上手くなっていた。博明くんが自由にさせてくれなければ、僕は何も動けなかった。

 そんな不毛な戦いが十年続いたある日だった。博明くんは高校、大学と卒業し、サラリーマンになった。保険会社の営業職に就職し、毎日飛び込み営業をしては追い払われる様子を前や後ろや下から見ていると、博明くんと戦っているはずなのに僕もいたたまれない気持ちになっていた。

 戦い始めたあの日から博明くんは、なるべく夜に外出することを避けたり、なるべく明るい道を選んで歩いたりするようになっていた。しかし、その日は人通りも少なく、ほぼ暗闇に包まれる住宅街のトンネルの中に博明くんは足を踏み入れた。こういう場所は僕の主戦場だ。博明くんは疲れているのかもしれないが、この機会を逃すわけにはいくまい。

 僕は博明くんに襲いかかった。博明くんは、いつもなら必ず携帯しているライトで僕を照らして対抗するが、その日は何の抵抗を見せず、僕のナイフをそのまま胸に受けた。博明くんから黒い血がどくどくと流れ出てきた。こんな光景を僕自身も今まで見たことがなかったから、刺しておきながら狼狽えてしまった。

「ひ、博明くん、大丈夫なの」

「別に、本当に刺されて出血してるわけじゃないんだから。それに、どうしたんだよ、かげっち。俺を乗っ取る絶好のチャンスだろう」

 何か引っかかるものがあったが、確かにチャンスには違いなかった。僕は「うん」と言って、その黒い血から博明くんの中に入った。博明くんは僕が入り込んだ分、流れ出た血を伝って、影になった。流れ出るとき、博明くんは僕に「ありがとう」と呟いた。何のことか、僕には分からなかった。


 僕は自分のしたことを心底後悔した。自由は地獄だった。

 確かに博明くんの身体を乗っ取ることに成功した。しかし、そこから生き地獄のような日々が始まった。主体的に満員電車に揺られ、飛び込み営業で門前払いを喰らい、いつになったら契約を取れるんだと上司に怒鳴られる日々。人間になって自由に生きることを望んだけど、人間ってこんなにしんどいのか。それに、それまでには感じなかった肉体的疲労や空腹感というのも堪えた。

「博明くん」

 終電を降りて家路を一人で歩いているとき、僕は影となった博明くんに声を掛けた。

「何、かげっち」

「立場変わっても会話できるんだね」

「そうみたいだね」影となった博明くんの表情を見ることはできないが、声色からすると無邪気に笑っているようだった。

「博明くん、僕、人間のこと何も知らなかったよ。人間って自由で楽しいもんだと思ってた。でも、こんなにつらかったなんて」

「そうだろ」博明くんは溜息を吐いた。「ずっと僕のことを見てきたのに、やっと気付いたのか」

「ねえ博明くん、僕が悪かった。元に戻ろう。僕はやっぱり影のままでいい。博明くんのパートナーとして一生支えるからさ」

「何言ってんの、俺は戻る気なんてないよ」博明くんの声が嘲笑気味になった。

「え?」予想外の答えに僕は焦った。

「俺の代わりに仕事してみて分かっただろう。人間界は地獄そのものだって。だから俺は影になることにした。いいなあ影って、ただ付き従っていればいいんだし、腹も減らなければ疲れない。こんな最高な生活を自ら手放すなんてなあ、かげっち」

「何言ってるんだよ。こっちの生活が懐かしく感じられるようになった頃なんじゃないか」

「そんなこと全然ないね。きっと俺がかげっちと会話できたのも、将来影になるためだったんだなあと思うよ。じゃあね」

「ちょっと待って」

 その会話を最後に、二度と影となった博明くんは僕に話しかけてくれることはなくなった。

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