第5話
ミーシャの部屋に戻った私は、さっそく買ってきた(盗んだ)果物を切り分ける。
「寝ちゃったのね」
私が寝室に入ると、ミーシャは眠っていた。もう少し早かったら食べられたのかな。でも、安静第一よね。でも、この林檎どうしよう。そうだ――お水。
切り置いた林檎は、塩水に付けておくと変色しにくい。ポリフェノールがなんちゃらで、酸化を防げるって何かの本で読んだわね。
容器はここに来る前に、調理室から取ってきた。水はここのを使えばいいとして、塩か。
「この部屋に塩はないわよね」
二度手間になるけど仕方ないわねッ。ミーシャのためだもん。
私は調理室に向かった。さすがに走るとバレるから、こっそりとね。
調理室には、数人の使用人がいて作業を開始している。うーん、どうしよ。勝手に棚の扉とか開けて、塩とか取ったらバレるかな。そう思った私はしばし様子をうかがった。
さすが王家お抱えのコックさんね。手際が見事だわ。それにしても、贅をこらした食材を使っているわね。
そうなのだ。ミーシャと一緒に食べた料理は、平民が食べるようなありふれた料理に見えた。でも、目の前で調理されている食材は、一言で表せば豪華なものだ。
王様の料理なのかな?
お肉は筋のない良質な部位を、ロブスターは伊勢エビ級のもの、果物も高級そうな熟したものを使っている。離れた場所からでも、美味しそうな匂いが漂う。
ったく。不公平なものね。自分だけいいものを食べて――娘には質素倹約とか。
私はこっそり近づき、ふたの開いている小瓶から塩をつまむ。そのまま出来上がった料理の一つに振りかけた。ふん。いい気味ね。
おっと、目的を忘れる所だった。お塩、お塩っと。
調理室からこっそり抜け出そうとした時、その声は聞こえてきた。
「ちょっと、料理はまだかい? 王子さまがお待ちかねだよ。急いでおくれ!」
なにぃぃぃ――。王様のじゃなくて、王子さまですと!
ふざけんじゃないわよ! ミーシャが伏せっているっていうのに、何さまなのよ。あっ、王子さまか……。
私は差別を受けたことはない。存在感が薄くて気づかれないのは差別じゃない。 意図的に、故意で理不尽な思いをしたことはないから。もう一度いうわ! 気づかれない事は差別じゃないの!
学校の先生が、生徒にお菓子を配って、私にだけ回って来なくても、それは私に気がついていないだけ。だから差別じゃない。でも、これは何。存在感のある、かわいいミーシャにこんな仕打ちは許せない。
私はさっきの場所まで戻り、塩の隣にある唐辛子を掴んだ。
ふふっ、見てなさい。
次々と出来上がっていく料理の中から、より味が染み渡りそうなスープに投げ入れた。
あっ、このままだとバレちゃうわね。
近くにあったスプーンでまぜまぜ。もうちょい。まぜまぜ。これでよしっと。
留飲を下げた私は、急いでミーシャの部屋へ向かう。小さくノックをしてまた部屋に忍び込む。もう慣れたものね。忍者アカネ見参! うわぁ、自分で言ってて恥ずかしいわ。
部屋には、相変わらずミーシャしか居なかった。
「まだ寝てるわね」
ぐっすりと眠っているミーシャの寝顔は幼い。うぅぅ、かわいい。頬ずりしちゃいたい。そんな不敬な事できないけどね。
私は林檎を塩水に漬けると、寝室へ。ベッド脇のサイドテーブルにそれを置く。
「これで起きてから食べられるわねッ。熱はっと」
起こさないようにそっと額に手をのせる。うーん、熱いわね。熱が出たら冷やすものだけど、そんな習慣はないのかしら。
私はクローゼットからタオルを取って、あれ? そういえば、ウオーターポットはあるけど洗面器がないわね。私の部屋にはあったけど……。しかたない。部屋からとってこよう。
もう、何でこんなに不便なのよ。ここはっ!
誰にも見られないようにこっそり移動して、私の部屋へ。桶の水は私が使ったから、窓から捨てた。だって、どこにも排水溝がないのよ。仕方がないじゃない!
空になった桶を持って、ミーシャの部屋の階にある浴場へって、うわっ、前から兵士がきたわぁぁぁどうしよっ。急いで通路の端にある花瓶台座の影に隠す。ドキドキ、ドキドキ。これで見つかって、拾われたらおしまいだわ。果たして、兵士は素通りしていった。
ホッと胸をなで下ろす。そのまま浴場へ侵入し、水を汲む。
「それにしても、重いわね」
ひとりぐちる。
再度、ミーシャの部屋へ入り。タオルを濡らして、彼女のおでこに置く。
小一時間もしないうちに、熱が緩和できたのか、ミーシャの表情も和らいでいった。
それにしても、中世の生活って面倒だわ。手短な所に水もない。トイレもない。お風呂すら歩いて行かないと入れないなんて。はぁ。
それからしばらく、ミーシャの看病に努めた。結局、この部屋には、朝まで誰も来なかった。
その件を境に、私はこの城の人間に、疑念を抱くようになっていく――。
* * *
「おはようございます」
翌日にはミーシャの熱も下がった。夜中まで看病していた私は、彼女のベッドに顔を埋めて寝ている所を起こされた。
「あれっ、ここはどこ、私はだあれ?」
王女さまの部屋で寝ていたなんて、やらかしたわ。すかさずとぼける。
「くすくすッ。アカネさま、お口によだれが付いてましてよ」
「えええええぇぇぇぇぇぇぇぇ。本当に?」
私は極めて明るく振る舞う。彼女に楽しんでほしくて。いや、本当だって。よだれを隠すためじゃないからッ。うん、ミーシャの顔色はいいわね。もう大丈夫かな。
「私の看病をしてくださったんですのね。ありがとうございます」
良かった。いつものミーシャだ。おとといあったばかりだけどねッ。
「もういいの? 熱はなぁい?」
顔色はいいけどまだ病み上がりだし、心配だな。
「はい。おかげ様で。これもアカネさまの看病のおかげですわ」
あぁ、誰かにお礼を言われるなんて――ステキッ。
「そっか。良かった」
「そういえば、アカネさま、昨日のお食事はどうされたんですの?」
うわぁぁぁ。それよ、それっ。このコクンってのがいいのよ! ちなみにご飯は食べてないわよ。そんな余裕がなかったしね。ここがお姉さんとして、甲斐性の見せ所ってね。
「うん、街に出かけて適当にねッ」
ここはシラを切るにかぎる。あっ、私、無一文って言ってたっけ。
「ふふっ、そういうことにしておきますわ」
バレちゃったかな? でもまぁいいか。楽しそうにしてくれてるし。
その後、ミーシャのお色直しを済ませ二人で食堂に行き、地味な朝食をとった。 やっぱり、ミーシャの食事だけ地味ね。何でかしら。うーん、正妃の子と、第二妃の子で、こんなにも差がつくのかなぁ。こればかりは日本人の私には判断できないわね。
食事のあとは、ミーシャに誘われ庭園へ。
「このお花が一番好きなんですの」
そう教えてくれた花は、白く、小さい、まるでかすみ草のような花だった。かすみ草って、バラを引き立てる花ってイメージなのよね。それはまるで、ミーシャの境遇のような気がした。
お読み下さり、ありがとうございました。