第2話
それから数十分。街を歩いて分かった事がある。
やはりここは天界じゃない。ええ、そうですとも。何となくそんな気がしてたのよね。
やたらと生活感のある人たち、使い古された建築物。遠くに見える、豪華な洋風のお城。タイムスリップで決定ね。夢でも見ているみたいだわ。
言葉は通じるみたいだけど。でも、言葉が通じるって言うのが、なんともうそくさい。通じなければそれは、それで詰んでたけど。日本からタイムスリップしたら普通は日本の江戸時代でしょうよ。日本のお医者さんがタイムスリップするドラマ好きだったのに。
こんな訳のわからない世界じゃ、ぶち壊しだわ。
それにしてもおなか空いた。そう言えば、お昼まだだったな。あの走り屋さえいなければ、って今更よね。もう来ちゃったものは、変えられないし。帰れないのかなぁ。
日本円使えないよね……。
露天に並ぶ、果実、美味しそうだなぁ。
あぁ、いいなぁ、あの人たち。これから買うんだ。真っ赤に熟れた林檎、食べたいなぁ。
こんなに真剣に見ているのに、誰も私に気づかない。虚しいわね。
あぁ、あの人もお客さんかな。にしてはちょっと挙動がおかしいような。
「あっ、危ないっ」
あの人、今ご婦人の財布を盗んだわよね。私、視力だけはいいのよ。
「泥棒!」
露天の前のご婦人に、知らせようと声をあげるけど、はぁ、そうよね。
そうだった。私は空気。気づかれないのよね。仕方ない。追いかけるか。
私は逃走を謀った男を追いかける。幸い、私が追いかけている事に気づいていない様子だ。ここに来て私の存在感に磨きがかかってるわね。駆けているにも関わらず、男は気づいていない。もうちょい、よし、捕まえた。
私は男の腕を捕まえようとして、顔を覗き込んで固まった。
何こいつ、怖い。さっき会った門番よりも厳つい。こんなの捕まえて、あんたさっき泥棒したでしょなんて言ったら、こっちが殺されそうだ。
作戦変更。
私は、ゆっくり泥棒に近づくと、そいつの懐に手を伸ばす。
よし! 成功した。
男は気づかず去って行く。
チョロいわね。後はこの財布を戻せばって、あれ、これスラれてましたよって渡したら、私が盗んだみたいじゃない?
まずい。どうしよ。あの、財布落としましたよ。これかな?
でも、どう見ても底が深そうなバッグから落ちるかな。余計に怪しまれたり、うーん、どうしよ。
さっきの露天に戻りながら、いろいろ考えたが、いい方法が浮かばない。そうしている内に、露天は目の前にあって。
「あぁ、財布がないことに気づいちゃってるわ」
恐らく、店主にお金を渡そうとしてバッグを開けたんだろう。そして気づいた。って遅いわ!!
1、このまま財布をパクる。
2、素通りする振りをして、あのお客さんの足元に落とす。
3、背後から近づき、着衣のポッケに忍ばせる。
んーどれにするか。ここで使えるお金がないから、資金は必要だけども。喉から手が出そうなくらいほしいけど。おなか空いてるし。でもなぁ、本当はここが天国で、神様が私を試しているって事もなきにしもあらず。
よし、仕方ない。二番でいくか。さすがに戻すときに気づかれないようにする自信はない。さっきはたまたま成功したけど。
私は通行人を装って、露天の前を素通りすると見せかける。お客さんの背後に来た時に、よし、いまだ!
チャリンチャリン。
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーー。
普通、ガサッ、とか、ボトって音でしょうよ。
あぁぁぁ、お客さんに気づかれた!
どうしよ、どうすれば――。
これしかない!
「あっ、落ちましたよ」
私は財布を落としたときに散らばった、金銀の貨幣を必死に拾う。
あぁ、ドキドキする。
こんなにドキドキしたの始めてかもしれない。心の臓がバクバクいってる。
「あらっ、どこに入ってたのかしら。お嬢さん、ありがとう」
「い、いえ! どういたしまして。一応、全部拾ったつもりなんですが、あってますか?」
おぉぉ、数えてる。数えてるよぉ。これで足りなかったら、私どうなるんだろ。刹那の時間が長い、長いわぁ。ちゃんとありますように。
「お客さん、誰と話してるんで?」
「えっ、あれ、今、確かにここに女の子がいたはずなんだけど……」
えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇー。私の存在って秒ですか!
「あら、ちゃんとあったわ。店主さん、これお代ね」
私の破裂しそうな心臓をよそに、お客さんは去って行った。かごいっぱいの林檎を抱えて。
なんでやねん。
何だか疲れたな。日本に帰りたい。
私は露天の隣の壁に、背を持たれ掛け座った。
私にどうしろっちゅねん。お金もない。誰にも気がついてもらえない。言葉は通じそうだけど、すぐ忘れられる。これじゃ日本に居たときの方がマシよ! マシ!
目の前の路地を幸せそうなカップルが通る。いや、別に相手が居ないことが寂しいんじゃないから。認識されないのが寂しいだけだからね。そこ大事。
「あぁ、もうあんなに日が傾いてる。どうなっちゃうんだろ。私」
一人でブツブツ言ってても、目の前の露天の店主は気づかない。
そうしている内に、夕暮れ。
カァー、カァーって、ここにもカラスはいるんだ。ってやかましいわ!!
路地に並んだ露店も、だいぶ店じまいしてるし。今日、どこに止まろうかな。そもそも、そんな場所があるのかすらわからない。
その時、目の前を通りかかった馬車のタイヤが外れて、私の方へ。
なんて事もなく、ガタガタいいながら素通りしてったわよ。
「あ、このおじさんも店閉めるんだ」
果実を売ってた露天の前に、一台のボロい荷馬車が止まると、店主は果実を積み込み去って行った。虚しい……。と思ったら、林檎落としてった。それも2個。
私は、すかさずそれを拾う。店主を乗せた馬車を追いかけるにはもう遅い。私の足で馬車に追いつくわけがない。カールルイスじゃないわよ! 例え古っ! いつの生まれやねん!
落ちてる物を拾ったら、誰のもの?
日本だと遺失物横領罪とかになるんだっけ。でもここの常識と違うよね、きっと。
私は、真っ赤に熟れた林檎をコートで拭いて食べる。シャリシャリして甘い! もう一個食べる。はぁ、美味しい。これ一個いくらなんだろ。おじさん、お金がたまったらちゃんと返すからねっ。
そして、暗くなった。
「くしゅん。さすがに冷えてきたわね」
少しだけおなかも膨らんだし、散策でもするかな。あっ、でもここ道に汚物が落ちてるんだった。泥棒を追いかけてる時は、注意してたけど。こう暗いと踏みそう。
私は、できるだけランプの明かりが差してる場所をえらんで進む。
うん、なんとかなる。
「それにしても暗くなると、めっきりひとけが消えたわね」
昼間通る馬車は荷馬車が多かったけど、今は黒塗りの馬車が多い。なんか立派そうに見えるからお金持ちの馬車なのね。きっと。
私は知らず知らず、馬車の進む方へと歩いて行く。
ずっと座り込んでた周辺は、もうまばらにしか明かりがない。でも、馬車が向かう先は明るいのよね。この先に何があるんだろう、なんてね。普通に考えてお金持ちのお屋敷でしょ。これで風俗街とかだったら、がっかりだわ。私は、同性愛に目覚めてはいないのだ!
お金持ちの馬車が、一台、また一台、私を置き去りにして消えていく。
30分は歩いたかしら、露天の周囲は古びた石畳だったけど、ここはキレイだ。辺りの建物も、年期は感じさせられるが、古びた感じはうけない。
「ふふっ、どうやら貴族街に着いたみたいね」
どこか寝泊まりできる場所を、というか、こっそり忍び込める所を探してるんだけど、それがなかなか見つからない。どこの屋敷の門も、厳重に閉められているから。
トボトボ。トボトボ。やめい! 余計にさびしくなるわ!
歩き続けること、1時間。私の目の前には、巨大な建造物の陰影が浮かんでいる。金持ちの屋敷の前を延々と歩いてたら、長い渡橋があったのよ。それを渡り終えたときに、たまたま通りかかった馬車がいてね、門が開いたから一緒に入っちゃった。えへっ。
昼間、遠くから見た城は大きかったけど、ここから天辺を見上げたら首が疲れたわ。
そして私は今、王城内の庭園の中にいる。さすが金持ちは違うわね。中世くらいの年代なのにガーデンライトがあるんだもの。ここはヴェルサイユ宮殿か! ってくらい広い屋敷なのに、庭の至るところにランプが置いてある。まぁ、おかげで足元が見えるんだけどね。
屋敷の前にきたけど、どこも扉は閉まってる。うーん、ここからどうしよう。とりあえず、屋敷の周りを歩いてみましょうか。
壁伝いに歩くことしばし、屋敷の離れに、それはあった。牛舎? じゃない、厩舎。
薄暗い芝生の中を、ゆっくり歩く。不審人物に馬がいななく。
「ちょっと、シィ、シィだよ!」
厩舎に忍び込むと、1分もたたない内に騒ぎは収まる。
ふふっ、私の存在感もっておだまりっ!
「アカネ号、はいりまぁーす!」
こうして私は、空いている馬房に入ることができた。ちょっとだけ周りが臭いけど、我慢できないこともない。それに、私が入った馬房には、新しい藁が積んであったのは幸運だったわね。あぁ、青臭くなく、ちょっと埃っぽい臭いがするけど、それには目を瞑ろう。
「おやすみなさい」
* * *
「ヘックチュン!」
「ウゥウゥ、グルグルググッ」
「カール、カール!」
今、私の目の前には、いかにも狩猟犬ですといった犬がいて、私を威嚇していた。そして犬を追いかけてきたのか、キレイなピンク色のドレスを着た少女が――ってカリオストロか!
少女が馬房に入ってくると、当然、私に気づかず――。
「あれ? どなたですか?」
えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇー。なんでバレるの!
少女の視線は明らかに私をとらえている。そうだ、このまま1分くらい黙っていれば、きっと忘れ去られる。うん、そうに違いない。私は少女を見つめながらひたすら黙った。
「あのぉ、ここで何をなさってらっしゃるのでしょう?」
えっ、この子、本当に見えている。うそ、うそだと言ってぇ。城に忍び込んだのがバレたら――急に鳥肌が立ってきたわ。ギロチンの前に横たわる私。ギラリと光る巨大な刃が――って、怖いわ!
とりあえず、なんて言おう……そうだ。
1、いい天気だね。
2、おはよう
3、こんにちは、お嬢さん
ダメだ。どれもいい手の気がしない。
「あのぉ、どこかお体の調子でも悪いんですか?」
あああぁぁぁぁーもう! もう無理! こんな純粋な目で見られたら、うそなんて言えないわ!
「こんにちは。寝るところを探してたら、ここに来ちゃいました」
あぁ、驚いてる、驚いてるよ。
犬なんてもう私の事、忘れているのに。こんなの初めてだわ。
「それは、大変でしたわね。夜は冷え込みますのに、寒くはありませんでしたか?」
「いえ、まるで真綿に包まれているように、暖かかったです!」
おっ、驚いてる。
「くすっ、ふふふっ。それはよかったです。そういえば、まだお名前をうかがっていませんでしたわね。私、ミーシャと申しますの」
クラリスじゃないんかい!
「こちらこそ、申し遅れました。私はアカネと言います」
別に本名を名乗ってもいいわよね。ここまで来たら女は度胸!
「ふふっ、アカネ様ですね。ところでアカネ様、朝食はもうお済みになられましたか?」
えっ、朝食? 不法侵入者に食事をごちそうしてくれんの? うそっ、そうやって連れ出して、家来の前で、悪人ですわぁ! とか言われたりしないわよね?
「え、ええ。まだですわ。おほほほほ――」
あぁ、ちょっと声が震えてた。しかも何よ最後のおほほほほって。
「それでは、食堂にご案内致しますので――どうぞこちらに」
私は、クラリスじゃない、ミーシャに案内されるまま、城内への侵入に成功した。
お読み下さり、ありがとうございます。