第16話
私はここにやって来た日から今日までの出来事を、全て羊皮紙に書き留めた。
これでミーシャの周りに変化が生じればいいと期待して。
例の毒をすり替えて以来、ミーシャの体調はすこぶる順調に回復に向かった。これまでの不調がウソの様だと城の中では専らの噂だ。
ミーシャの十二歳の誕生日まで後二日。私はいつものように城内を探索する。
うん、あれは誰だろう。これまで見かけた事のない二人が前から歩いてきた。高級そうな上下の服を着込んだ青年と、少年だった。
私は二人の後に付いて行く。
もし、いい人ならミーシャの境遇を話そうと思ったからだ。
悪い人なら――ミーシャを殺すために用意された毒を使おうと思ってる。
私の思惑は外れ、二人が向かった先はサロンだった。
悪い方の予感が当たったわね。王さまならこの場所を使わない。ここを使うのは王妃さまだ。
「まぁ、サンロード侯爵。よくおいで下さいました」
「はっ。王妃さまにおかれましては、変わらずのお美しいお姿を拝見できまして私も幸せでございます」
何が美しいよ。心の中は毒しかないじゃないの。
「まぁ、サンロード侯爵もお上手ね」
「紹介が遅れましたが、こちらは息子のアルバートでございます」
「まぁ、まぁ。ではこちらがお噂の――」
「はい。殿下のお相手が務まるか不安ではございますが、なにとぞよしなに」
うん? この場合の殿下って王子のこと、ミーシャの事じゃないわよね。
「あの子はもうすぐ十二歳。ですが、まだ未熟ですのよ。先日も体調を崩して寝込んでおりましたし」
ここ最近のミーシャはすこぶる健康だ。ということは、王子の事ね。
「おぉ、それは一大事。それで現在は――」
「今日は持ち直しておりますが、こう頻繁に寝込むようでは嫡子殿のお相手が務まるかどうか……私、心配しておりますのよ」
へっ。嫡子のところで少年を見たわよね。この少年の相手ってまさか。
「お言葉ですが、婚約は遅いよりも早い方が良いと申しますし、当家と致しましては――婚約は予定取りにと考えております」
えっ――。ミーシャの事なの。
「ミーシャは先月から頻繁に寝込んでましたの。とても婚約の重責が務まるとは思えませんの。それでも婚約されると申されますか?」
なに、王妃さま。さっきまでの和やかそうな雰囲気が一変したわね。
それに、この人たちがミーシャの婚約する予定の侯爵さま。
このまま王妃さまに喋らせちゃダメだ。
私は、王妃さまが優雅なそぶりでカップに手を掛けた瞬間、それをひっくり返した。
「きゃッ――」
ふふっ。作戦成功ね。
「おお、これはいかん。ドレスが――」
「すぐにメイドに片付けさせますので。私もそろそろ下がらせていただくわね」
よっしゃぁぁぁぁぁ。
あのまま王妃さまに喋らせて、ウソの情報でも流されたら大変だもの。
人間って事前に得た情報で、人を判断する事もあるからね。そんな先入観を入れさせるわけには行かないわよ!
その後、侯爵たちは真っすぐに城から出て行った。私は、王妃さまの後を追う。
「まったく、どうしてこんな事に――あと一歩なのに」
あなたの作戦なんて私が全部邪魔してあげる。ミーシャのために。
その日、またしても王妃さまの食事に毒を入れた。
婚約まであと二日。明日は寝込んで起き上がれないでしょうから。ふふっ。もうチェックメートね。
それにしても、王妃さまも随分顔色が悪くなってきたわね。化粧でごまかしてるけど、見る人が見れば分かるくらいに。
そうして翌日、私にとって運命の日がやってきた。
「今日も良い天気ですわね。アカネさま」
「そうね。それにしても、ここは良いわね。夏なのに暑くなくて」
「ふふっ。こんなに暑いのに、アカネさまは暑さには平気なんですのね」
えっ、だって私汗かいてないわよ。
確かに日差しは強く感じるけど、この気温なら日本の四月くらいだ。
「私、暑いのは苦手なのよ。本当よ」
「ふふっ。そういう事にしておきますわね」
いつもの午前中。いつもの笑顔。うん、今日も良い日だ。
ミーシャとたわいもない話をして、キレイな花壇を巡る。いつもの日常。
でも、そんな日々に終わりはくる。
「アナタさえ居なければ――アナタさえ死んでくれたら……」
城に戻ろうとした時、建物の陰から人が飛び出してきた。
――――――っつ。
私はとっさにミーシャを庇う。声の人物は王妃さまだった。王妃の右手にはナイフが握られていて、鋭利な刃先は私の体を貫いた。熱い。体が熱い。
さっきまでは暑さを感じなかった私の体に熱がこもる。
ミーシャを見ると、ミーシャは泣いていた。
「アカネさま――アカネさま。アカネさまぁぁぁぁぁ」
ふふっ。ちゃんと泣けるじゃないの。
そう。悲しいときは泣けばいいの。
自分が苦しい時は八つ当たりしてもいいの。
そして、困った時は助けてって言っていいの。
それが人間だもの――。
泣きじゃくるミーシャの向かいには、ナイフから手を離しベージュのドレスを真っ赤に染めた王妃さまが立って居た。――これでアナタもおしまいね。
それにしても、ミーシャ。そんなに泣いたら化粧が落ちるわよ。そのかわいいそばかすも私は大好きだったんだから。
ミーシャの悲鳴を聞きつけた兵士と陛下が庭に飛び出してきた。
はぁ。これでもう安心ね。これでミーシャを害する者はもういない。なぜか私はそう思っていた。
「これはどういう事だ! ミーシャ、ケガはないか? エリザベス貴様というヤツは――」
ははっ。王妃ってエリザベスって言うのね。初めて知ったわ。
「ミーシャ、ミーシャ。この者は何者だ!」
あはっ。血が多く出ちゃったからかな。陛下にも私の姿が見えるみたいね。
「お父様、早く、早く――アカネさまを助けて」
あぁ。そうか。ようやく分かった。私、やっぱり死んでたんだ。
ミーシャに膝枕をされながら、私は自分の体が薄れていくのを感じていた。
それにしても、神様って意地悪ね。存在感の薄い私を死んでまで苦しめるんですもの。いや、違うか。私は生前、誰かに見つけてほしかった。だからその願いを叶えてくれたのかもしれないわね。
この世界に送られたのが運命なら、ミーシャと出会ったのも運命。
私はミーシャと出会うために生かされた。ミーシャを救うために……。
ミーシャは私の中のもう一人の私。
ねぇ。そうでしょ。神様。
「アカネさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ミーシャの叫び声を聞きながら――私の意識は薄れて、消えた。