第089号室 5th Wave サイレントキル
―――バリケード焼失の28分前………
日々、数を減らしていく客船の生き残り達の疲労とストレスは常にピークを更新し続け、マンションの中階にあるレクリエーションルームに集まった住民達は、異形の足音に怯えていた。
魂は貰う、抜け殻も貰う、魂の抜けたゾンビにする。
誰もが虚ろに虚空を見つめ、幽世霊嬢プラズムソヒィの存在に気付いたのは既に幾人かの犠牲者を出してからであった。
ラズムはゆっくりと部屋の電灯を消すと、誰にも見られずにゆっくりとカーテンを下ろし、ゆっくりと空気を重く、ゆっくりと透明度を落として、ゆっくりゆっくりゆっくりと、住民達に悟られることなく悪意に満ちた霊的結界を張り巡らした。
微睡む住民の肩に負ぶさって魂魄を啜り、金縛りで相手を動けなくすると、これ見よがしにアイスピックをひけらかして心臓に穴を開ける。
ポルターガイストで花瓶を割って視線を集めると、一番後ろにいた住民を後ろから抱き抱え、悲鳴を上げる間も与えずに部屋の陰間へ引き摺り込む。
一度なら偶然、二度でも偶々、三度重なり巡り合わせを嘆いたとして、四度目、五度目と続けば何かしら意図的なものを察するのが人間である。
普段なら気にも留めないような些細な違和感が短い間に重なり続ける内、一人の住民が隣りに座る老人が既に息絶えていることに気付いた。
一つの気づきを切っ掛けに、ラズムの正体は早々に暴かれ、人ならざる霊的存在の姿を見止めて住民達が出口へ急ぐも、ドアは固く閉じられびくともしない。
「何で開かないの!?」
『………部屋の気圧を下げてみたの………人の力じゃ、開かないと思うなぁ………』
狼狽る住民に、もはや姿を隠す気もなくなったラズムが耳元で囁き、振り返る間も与えず憑依する。
限界を超えて反り返る関節、血涙を流し首があらぬ方へと捻れていく。苦悶に喘ぎ助けを求めて踏み出す一歩が、恐怖に怯える生者を後退らせる。
『弱い弱い、人間なんて儚いものよねぇ………』
ラズムに憑かれた住民の首が、あと少し曲がれば絶命といったところで、外からドアノブを回す音が響きラズムの注意を引いた。
「な~んで開かないんですか!?おりゃ!!!」
『ちょっと!え?え??え???やだ暴力………』
シスターの前蹴り、内外の気圧差など関係無いほどの威力。憑かれた住民ごとドアをブチ抜きラズムが弾き出される。
「あっ!やっぱり幽霊来てる!!みなさん、早く外へ!!!」
『ちょっと、ちょっと!勝手なことを………きゃ!』
外から吹き込む風に頭巾を靡かせながら、数珠十字架を引き千切り、魔除けのビーズをばら撒き、シスターがラズムの初動を封じて住民の逃げる時間を稼ぐ。
ラズムが怯んだのも不意を突かれた一瞬で、ポルターガイストで数珠を散らすと、住民の退避を優先し追撃を行わなかったシスターの首を不可視の両手で掴み、指の跡が浮き出るほどに締め上げた。
『………他人の心配なんて、余裕じゃない?私に気付いていたのなら、他人なんて放って逃げてれば、助かってたかも知れないのに………』
「んん!宗教上、憚られますので………!」
『あらそう、報われないわねぇ………?あなたが助けた人達は、あなた置いてみんな逃げちゃったけど?』
「ん!別に、一人で来た訳では無いので………!!」
肺に残った酸素を犠牲に絞り出されたシスターの言葉に、ラズムがチラリと辺りを警戒したが何者の気配も無いので謀られたかと、目と口が溶け合うほどに恐ろしく顔を歪ませシスターを睨んだ。
『修道女のクセに嘘つきなのねぇ………!??』
「う〜む、足が遅い人なだけなんですぅ〜〜………!」
嘘つきでも修道女、シスターの加護にラズムの霊力は大きく減衰されており、締め落とすには力が足りず、ラズムは不可視の腕を増やすとシスターの肢体を漏らさず握って拘束し、頭蓋へ冠のように無数の指を撫で付け瓶の蓋を回すように首を捻る。
「あぃたたたた………!」
『わたしは殺す気でやっているのだから、痛いで済んでるのがもうおかしいのよねぇ………』
あと一息と調子を整え、ラズムが力を加えようとした時、霊体であるにも関わらず背筋に流れた怖気に身を震わせて飛び退いた。
『………へぇ、こんなに見事な生霊は見た事無いかも~………』
一拍置いてラズムの元居た空間を柴色の閃光が薙いだ。立てれば床から天井まで届くほどの魔剣を携え、解けた紫色の外套を靄のように揺蕩わせ、朧げに浮かぶ生霊が剣先をラズムへ向ける。
「………わ、私も、これ程………は、はっきりと、じっ………これほど、強力な………っはぁ!霊体は見たことありません………!!!」
追って現れたダークエルフのマイマズマは、喉を押さえて苦しむシスターを支えると、逆に肩を抱かれて息を整え絶え絶えに言葉を絞り出し、臨戦態勢の分身とは裏腹に瀕死の体を晒してへたり込んだ。




