第038号室 タワーマンション・トイレ・シンクロニシティ問題
ある高層マンションに住んでいる住人が、全員で全く同時にトイレを流したらどうなるのか?
何処かで逆流して、トイレが溢れてしまうのか?もちろん建築業社や法律はそんな事など想定済みで、十分な太さの配管が備えられていたり、一度別の排水槽に蓄え、後で余裕が出来たら流したりするのだろうと、小夜は考えていたのだが、どうやら現実はもっと甘くガバガバのようで、教授は一言、下の階で溢れると断言した。
その場での説明では納得のいかなかった小夜であったが続く、実際にやって見れば、どう言う事か分かるでしょう、と言う言葉の通りを今、身を持って体感していた。
「うぇええええええええええええええええええ!!!!」
知育玩具や百均工具などの有り物で作った“時限式水洗レバー作動装置”は、数ある内の二割程度を動作不良で不発に終わらせながらも、残りの八割は見事に“大”を流して排水管をパンクさせ、一階のトイレで待ち受けていた、万が一に備え全身化学防護服に身を包んだ小夜を包んで世界を滅ぼし、度肝を抜いて分からせた。
「………………はい、とても良く分かりました。………教授が正しい」
この世の終わりを体験した小夜は、シャワールームで除染を済ませ防護服を脱いだ後、更に理解しがたい作戦の概要を聞かされたのだが、一切の疑問挟むことなく頷いて、それはそれはしおらしく教授の指示に従い行動を開始した。
「フフン………今年のイグ・ノーベル建築学賞は貰ったわね………」
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ダムの上流に位置する高層マンションの下水へ続く配管を探しては、ゴミと耐水接着剤を詰めて機能を殺し、その後は目に着く蛇口を片っ端から全開にして次のフロアへ登る。朝、日が昇ってから夜、日が沈むまで、排管を詰めては蛇口を捻る行為を幾日と繰り返す。
最初の頃こそ、供給水量を越えた為、蛇口を回しても水が出て来なくなるといった常識も見られた団地だったが、ほどなくすると持ち前の異常性を遺憾無く発揮し始め、団地の有り様はことごとく変化していった。
濃淡鮮やか60デニールの黒タイツを履き、スタンダードな紺色のスクール水着の上に、白い薄手のブラウスを羽織る。大きく荒めに編み込まれた麦わら帽子には、無着色の麻生地のリボンが涼し気に揺れ、格子状の影を肩口に網掛ける。足元は機能性重視、渓流釣りで履かれるような武骨でゴム高スパイクのハーフブーツで安心、蛍光色が目に痛い雨の日用のカバーを被せたランドセルを背負った少女、小夜は飛沫で濡れた階段の手摺りをバランスを取りながら歩いていた。
マンションの階段を轟々と白波立たせ、滝のように流れ落ちる大量の水道水、中廊下はドアノブの下辺りまで浸水し、天井板の継ぎ目からただの雨漏りとは比べ物にならない程の水滴が降り注ぐ。
流れる水を嫌い不浄を好む悪霊や異形の類と出会す頻度が極端に減ったのは良いが、代わりに水に纏わる怪異や妖怪、生物、現象が現れ始め、遡上して来たサケが階段を登れば、大きなカレイが玄関マットよろしく部屋の前に寝そべる。排水管にはウツボが詰まっており、流れ穏やかな花壇の植木にクマノミが群がる。水面から黒く大きな背ビレが見えたら要注意、窓の冊子に張り付きサメが通り過ぎるのを待ってやり過ごし、屋上でワニに持久走で勝利、勝手に死んだマンボウを弔い「ざぁこ♡」干潟状態のベランダで沢蟹を追い回しイソギンチャクを突いて遊ぶ。
シスターの立てる細波は漏れなく聖水へ変わり、何もしていないのに通り掛かった悪魔が溶ける。ボブは怪獣とプロレス、浜辺の絶対王者へ。教授は太古の巨大魚ダンクルオステウスを釣り上げ、逆にダム湖へ引きずり込まれる。
しかし、常夏の日差しが水源豊かな団地のオアシスを照らし、人々に楽しむ余裕を与えていたのも僅かな間であり、団地は加速度的に因果を集めて悪意を重ね、遥か遠くの果てに空より高く海より深い、夜より暗く昼より明るい雷光瞬く暗雲を狼煙と揚げたが最後、蒸し暑い夕暮れ空に遠雷響かせ、エレベーターの到着と共に真っ赤な鮮血を濁流となして噴き出せば、バスタブには般若の長髪が恨めしく渦を巻いて呪いの言霊を泡立ち唱える。生温かく霞立ち込める闇夜になれば、何処からともなく灯台の朧げな灯りがマンションの外壁を照らし出し、正体不明の鳴動轟く団地ダム湖の水面の奥に、人語持ってはどうにも口惜しく、形容する語句言うに言われぬ、名状しがたい水底の怪影を浮かび上がらせた。




