第018号室 分裂触
薄暗い団地の地下道を小夜を肩に担いだボブが駆け足で走り抜けて行く。天井に届くほど重なり合っていたヤツメウナギの大群もすでに勢いを無くし、ひしめき合って床が見えない程度の数になっていた。
「さすがねボブ、単純に振り切ってしまうだなんて、USAって感じするじゃない?」
「Yes!任しとけ!!」
それでも足を止めれば瞬く間に飲み込まれてしまいそうなので、追い付かれないように距離を保ち走り続ける。小夜が振り返って後ろを見ていると、ヤツメウナギの中に幾匹か大きな個体がいることに気付いた。
観察しているとその大きな個体が身動ぎする度、周りにいるヤツメウナギを丸呑みにしているようだった。一匹また一匹と共食いにより数を減らす魚群、それに比例して体積を増やす魚影、やがて目立って大きくなった個体が連携するように、比較的小さな個体を追い詰め平らげる。
「小夜、出口が見えて来たぞ」
ボブの声に生返事で答える小夜の意識は、もはやヤツメウナギとは到底似ても似つかない異形の類に釘付けだった。
瞳が無く鋭く三日月状の牙が口に並ぶ頭部、切れ込み状のエラが並ぶ括れのない長く伸びた首、太く逞しく靭やかで鱗の無い大蛇のような胴体、羽を毟った鳥の翼のような形の胸鰭は、子供の腕ほどの大きさで先端に鉤爪が付いており、カマキリの腕を思わせた。
ただのヤツメウナギを食べ尽くした異形のウナギ達が遠ざかる二人の背中に向き直る。暗がりの中、その体表を濡らす粘液が反射する光は、瞳が無いはずの異形のウナギから小夜への熱い眼差しだった。
「ボブ、急いで………」
小夜がボブの耳元で一言囁き、ボブの巨大なバックパックから、赤褐色のガソリンで満たされたペットボトルを取り出す。後ろを振り返ったボブが異形のウナギを見て顔を顰めた。
「あれは無理だ、馬力がある。このままじゃ振り切れない」
「そ~お?」
小夜がそう言いボブの肩から背面へ倒れ込むように一回転、スーパーヒーロー着地!膝を痛める。
「荷物がいなければ大丈夫でしょう?」
「はぁ~………こら、また、冗談を」
ペットボトルの蓋を開き地下通路にガソリンを撒く小夜の後ろから、ボブが左腕を腹に巻き付け、凡人とは土台の違う筋肉で風船のように軽々持ち上げた。
コブラのように首を擡げた異形のウナギ達がゆっくりと動き出す。胴をくねらせ波打つごとに加速して粘液を撒き散らす。
勢いを増し距離を詰める異形のウナギの迫力に口角のつり上がる小夜、ボブは冷静にポケットから防嵐仕様の消えないマッチを取り出し火を着けると、異形のウナギに対して最も効果的なタイミングでガソリンを爆発させた。
突然の業火を避けようと異形のウナギは垂直方向に跳ね上がり天井に鼻先をめり込ませ、衝撃で張り裂けた鱗の無い体表から粘液とは別の液体を噴き出した。
「よし、煙に巻かれる前に行くぞ」
ボブが小夜を抱えたまま朦々と揚がる黒煙を吸い込まないよう素早く遠ざかる。
「これで暫くは追って来られないだろう?」
「………そう、かしら?」
ガソリンが爆発的に燃焼し地下通路を照らし出した一瞬、小夜は異形のウナギの胴体が果て無く続いているを見た。その胴体が途中で交わり一本の胴に収束しているのも見たし、黒煙が沸き立ち視界を遮る直前には、最奥から打ち寄せ這い寄る特大の触手も見ていた。
一度気付いてしまえば、火の中で異形のウナギが藻掻き苦しむ姿が急に空々しく思えた。着かず離れず追い立てて来た様は白々しく思えて来たし、獲物から反撃を受け腹を立てるどころか喜ぶように座興に興じるその太々しい態度は、腹立たしく思えるものだった。
『『『『『『『『今回は、こちらの負け。でも、次は………?』』』』』』』』
団地ダゴンの伸ばした触手が分裂し擬態した異形のウナギは、熱せられたコンクリートにその身を打ち付けるたび、水分の蒸発する音を不気味に反響させ、人の子を嗤った。




