藪蛇ーストワル視点ー
一晩の休息のためいくつもの宿を訪れる。
自らの家は昨夜の襲撃により破壊されていた。うまくハマった奇襲、襲撃者は数に物を言わせて俺に迫った。しかし凶刃は俺を捉えきれず、反撃に転じた俺の前に襲撃者は全員が為す術もなく敗れた。誰一人として生かして返すものか、ようやく手に入れた安息の場所を奪った奴らを俺は根絶やしにした。その足で俺は首謀者である人間の組織を壊滅させる。男は、無様に泣き叫び許しを請うた。それでも、男の顔が醜く見えないのはひとえに皮の面が良いせいだ。何をせずとも醜い俺とは正反対に。
俺は怪我を負った。致命傷は免れたが、既に魔力を使い果たした俺には自らを癒す術がない。今まで一人で生きてきた。剣技を磨き、魔術を極めた。誰にも頼れない境遇から全て自らでこなせるよう。冒険者となり、実力を上げ、それなりの名声を得たが、俺は爪弾き者のままだった。
ただ、醜いというそれだけで。
それだけでは、ないのかもしれない。自らが清廉潔白などと言うつもりはない。しかし、俺よりも心根の醜い者も、薄汚い者もいくらでもいる。だが、それらの者たちよりも俺が蔑まれる。
俺の顔を見たものは、悲鳴を上げ、怯え、抑えきれない嫌悪に顔を歪める。化け物と叫び罵るその声に俺は何も返せない。それは事実だろう。
何軒の宿屋に宿泊を求めただろうか。どの宿も満員だと告げられる。決して観光客で賑わうような季節ではない。明らかな嘘だ。いつも付けているマントは焼け焦げ、今は自らの顔を隠す術がない。仕方なく、まずはマントを入手することにする。ほとんどの服屋は既に店じまいをしているだろう。俺は目についた男にマントを譲ってくれと頼んだ。脅迫じみたことをしているとはわかっていた。しかし、こちらも体を休めなければ魔力も回復せず、傷を癒せなければ死が待っている。ふと、なぜそこまでして俺は生きているのか、などとどうでも良いことを思う。男は怯えた表情のままマントを脱ぎ捨てて逃げ出していた。
マントを着たところで既に近場の宿では俺の話は広まっており泊まれる可能性は低いだろう。苦々しい感情を持て余す。宿が集まる場所から離れ、俺はあてもなく歩き出した。胸の傷はジクジクと痛んだ。
住宅街の中、「宿」と書かれた紙を掲げる家を見つける。一見、宿には見えないがその張り紙はそこが宿だと告げていた。疲れ果てていた俺は半ばあきらめながら扉を叩いた。
中から若い女の声が聞こえてくる。はっとフードを目深にかぶりなおす。顔を見られたら終わりだ。
扉が開かれ、そこからなんの疑いもなく女が姿を表した。くすんだ水色のワンピースを着た女は俺をみて小首をかしげる。家の中には彼女以外の気配は感じ取れず、彼女が宿屋の主人であると結論付ける。見た目はひどく若く見えるが、育ちの良さが見て取れるつややかな髪や手入れのされた滑らかそうな肌からして、彼女は下働きの人間ではないだろう。
「えーと、どのようなご用件ですか?」
「ここは宿屋で間違いないか」
彼女は愛想よく微笑んで俺を見上げる。だが、決してフードの中を覗き込むような真似はしなかった。それに安堵する。
「はい。まだ開店したばかりなので素泊まりになりますけど」
「構わない。一晩でいい。泊めてくれないか」
彼女はフードを目深にかぶった俺に全くと言っていいほど警戒心がない。こんな真夜中に怪しい男の客など、俺でなくとも敬遠されるだろうに。彼女はあっさりと俺の宿泊を認めた。ようやく休める。その思いからわずかに緊張が緩む。彼女に促されるまま、家に入ろうと一歩近づいた。普段であれば決して近づかない距離まで近づいてしまっていた。
「お客さん、怪我してます?」
しくじった。
彼女は少しだけ困惑したように立ち止まって俺を見上げた。ここまで来て、厄介事はごめんだと追い返されるのだけはなんとか避けたかった。再び外に出て新たに宿を探すなど無謀だろう。明日まで無事でいられる保証はない。
「……宿泊代金の二倍、いや三倍支払う。汚した寝具も買い取るつもりだ」
金なら腐るほどある。金で解決出来るならば、今はいくら出してもいいと感じていた。俺の言葉に彼女は首を振った。その動きに合わせて彼女の髪からほのかに甘い香りがした。彼女の顔立ちは特別いいわけではないだろう。だが、可愛らしい、と思う自分を俺は恥じた。女に免疫がないにも程がある。
「別に泊めたくないってわけじゃないんです。大丈夫かな?って思っただけで」
嘘をついている様子はなかった。心臓が早鐘を打つ。俺は思わず息を呑んだ。
俺を心配してくれたのか。
だが、彼女に迷惑をかけるつもりは毛頭なかった。それにこの優しさも俺の顔を見ればきっと消える。そう思えば、愚かに脈打つ心臓も落ち着いていく。
「気にしないでくれ。泊めてもらえるだけでありがたい」
彼女は頷いて、部屋の中へ俺を招き入れた。
宿の中にものはほとんどなく、装飾のたぐいもない。おそらく彼女の言う通り宿を始めたばかりなのだろう。体を休める場所さえあればそれで構わない。
彼女は俺に手を差し出す。まるで手を握って抱きしめてくれと言わんばかりに無防備に。しかし、続く言葉に俺は勘違いをしたことに気づく。
「マント預かりますよ」
俺は自らの思考を罵った。彼女とともにいることは苦痛だった。摩耗しきった神経は彼女を傷つけかねない。もはや普段の理性すらまともに働いていない。華奢な彼女に俺を拒む力などあるはずもないだろう。
「このままでいい。休みたい。もう構わないでくれ」
「わ、かりました」
彼女はあっさり引き下がる。そして、部屋にあったソファを隣の部屋へ運んでもいいかと尋ねた。構わないと答えると、彼女はその細い腕で彼女の身以上に大きいソファを引きずろうとした。しかし、ソファは彼女の手には余る重さのようで、それは遅々として進まない。思わず、隣に運べば良いのかと声をかけていた。隣の部屋にソファを運び込んだ俺に彼女は漆黒の瞳をキラキラと輝かせながら礼を口にして頭を下げた。その慣れない視線に戸惑う。
「お客さんにこんなことさせてしまってすみません。とても助かりました。ありがとうございます」
「このくらいどうということはない」
事実、俺にとっては造作もないことだ。彼女はそこで休むという。危機感のない女だ。見知らぬ男と扉を分けただけの部屋で休むことになぜ警戒しないのか。何も知らぬのか、それとも…そのようなことに慣れているのか。思わず彼女が何者かにしどけなく甘えている様を想像し、それ以上は藪から蛇を突くようなものだと、雑念を無理やり追い払い自らにあてがわれた部屋へと戻った。
限界に近い体に鞭打ち、衣服を脱ぎ捨てる。腹から胸にかけて走る傷に薬を塗り込み手早く包帯を巻いていく。普段は魔法に頼るが、今はその手段は取れない。治癒魔法を習得する以前は、怪我のたびに死の恐怖を感じていた。その際に覚えた技術は体が覚えていた。