初めてのお客さん
叩かれた扉に慎重に近づく。チートハウスに近づけるということは、外にいる誰かは私を傷つけるような相手ではないだろう。けれど、初めての来訪者だ。緊張するなという方が難しいだろう。
「はーい。今開けますね」
鍵を開けて扉をゆっくりと開く。そこには外の暗闇以上に暗い色のマントを着た、体格からしておそらく男が立っていた。フードを目深にかぶっており顔は見えない。
「えーと、どのようなご用件ですか?」
お客さんの可能性もあるし、ご近所さんの可能性もある。
「ここは宿屋で間違いないか」
思った以上に低い声だ。けれど、耳に心地良い艶のある声にドキンと心臓が跳ねた。
お、お客さんだ。開店早々お客さんがやってくるなんてラッキーだ。
「はい。まだ開店したばかりなので素泊まりになりますけど」
私は愛想よく微笑んだ。初めてのお客さんを逃してなるものか。これで明日私がご飯にありつけるのかが決まるのだから。対するお客さんの表情はフードに隠れて見えない。
「構わない。一晩でいい。泊めてくれないか」
わずかに必死さの乗った声だ。もちろん、と私は頷いた。そして、お客さんを部屋の中に案内する。
一歩近づいてきたお客さんから血の匂いを感じて私は驚いた。
「お客さん、怪我してます?」
「……宿泊代金の二倍、いや三倍支払う。汚した寝具も買い取るつもりだ」
必死な声が聞こえて私は、違う違うと首を振った。やはりお客さんは怪我をしているらしい。
正直お客さんからの提案は魅力的なのだが、そもそも宿の宿泊代金の相場も私にはわからないので、そちらはとりあえず保留にしておく。
「別に泊めたくないってわけじゃないんです。大丈夫かな?って思っただけで」
お客さんが息を飲んだ。そんな不思議な事を言った覚えはないのだが…。
「気にしないでくれ。泊めてもらえるだけでありがたい」
そう言い切られてしまえばそれ以上は何も言えない。私は頷いて、部屋の中へお客さんを招き入れた。
ベッドはまだ未使用だし。部屋の中はきれいだ。
そして、マントをハンガーに掛けるためお客さんに向けて手を差し出した。
「マント預かりますよ」
しかし、お客さんは首を振ってそれを拒んだ。
「このままでいい。休みたい。もう構わないでくれ」
「わ、かりました」
なんだか気難しい人みたい。私はあっさり引き下がった。不思議な人だけど少なくとも私を傷つけないし、お金を払ってくれるつもりもある、大事なお客さんだ。
お客さんにベッドを使ってもらうため、私は部屋の中にあったソファをキッチンのあるはずの部屋まで移動させてそこで休むことにした。お客さんに一言断って、私はソファを引っ張る。しかし大きなソファは私の非力な腕では極々ゆっくりとしか移動させることが出来なかった。そんな様子を見かねたのか、お客さんがソファを軽々と抱え、キッチンまで運んでくれた。怪我をしているだろうに動作は機敏でふらつくようなこともない。私は恐縮しながらお客さんに頭を下げた。
「お客さんにこんなことさせてしまってすみません。とても助かりました。ありがとうございます」
「このくらいどうということはない」
愛想はないし気難しいのかもしれないが、きっと彼はとてもいい人だろう。初めてのお客さんが彼でよかったと心から思う。私はそこでお客さんと別れ、部屋と部屋を分ける扉を閉めた。
改めて、キッチンを見回す。この家はミレイと居た場所と同じ内装だったため、特に必要性も感じずキッチンにはまだ来ていなかったのだがやはりとても広い。ソファを置いても圧迫感はまったくない。
目線をテーブルの上に向けるとバナナに似た果物が無造作に置かれていた。ラッキーと手を伸ばしてから、冷蔵庫に似た食材を保存するための入れものの存在を思い出す。それは電気で動いているのではなく魔法で動いているらしい。私には魔法は使えないが、私が何をしなくともそれはもともと魔石という魔力の結晶が内蔵されており、それで動いているらしい。
もしかして…。
私は冷蔵庫(に似た入れ物)の扉を開ける。そこには大量の食材が詰まっていた。とりあえず、当面の食糧問題は解決したようだ。私はミレイの心遣いに感謝した。
冷蔵庫の横にある食器などが収納された棚に見覚えのないものがあることに気づく。小瓶に緑色の液体が入ったものが何本か置かれている。それはゲームの中でよく見るような回復薬に似ていた。
これがもし回復薬ならさっきのお客さんに渡したほうがいいんじゃないか。彼の纏う血のにおいはそんなものに不慣れな私でさえも感じ取れるほどに強かったのだから、その怪我はきっと深いのだろう。
私は慌ててその小瓶を掴むと、隣の部屋への扉を開けた。