信じた嘘ーストワル視点ー
読者様よりご要望を頂き、ストワル視点を2話追加致しました。それぞれ49話、50話の時間軸のストワル視点となります。
依頼主の護衛の仕事を終えたのは、空高く日が昇ってからだった。御零の元へと急く気持ちと苛立ちを必死に抑えなんとか依頼完了の報酬を受け取り、俺は即座に身を翻した。
早く、少しでも早く、御零の元へ駆けつけてやりたい。
御零の宿の前まで転移魔法で移動し、声をかける余裕もなくその扉を叩く。まるで待ち構えていたかのように、特段待つ間も無く扉は開かれた。扉の隙間から御零を認め、俺の体は何故か緊張に固まっていた。俺からの恋慕など、御零にとって迷惑でしかないとわかっている。捨てたはずのそれがまだ消えずに残っているというのか…。
現れた御零の黒髪がさらりと揺れる。いつもと変わらない笑顔に胸が詰まった。
あぁせめて、消せないのならば、ただせめて、御零から隠し通す。
御零は俺を当然のように部屋の中へと招き入れようとする。それに対して俺は申し訳なさから足を踏み出せずにいた。
「おはようございます。ストワルさん」
「おはよう。御零。遅くなってすまない」
口からは謝罪の言葉が漏れ出ていた。御零の瞳を見返すこともできず俺は瞳を伏せる。御零が首を振るのが見えた。それに合わせて俺に向けられたことが信じられない程に優しい言葉が紡がれる。
「そんなことありません。来てくれてありがとうございます」
御零は否定なんてしなくていい。俺は御零の望みにすぐに応えられなかった。御零をなによりも優先したいと思いながら、そうできない己の不甲斐なさがもどかしかった。
「いや、あんたが望むときにすぐに来てやれなかった。約束したのに」
「いいえ、来てくれました。今、一番会いたかった」
会いたかった、という言葉に思わず顔を上げた。そして、御零の表情の違和感に気付く。いつもは無邪気なそれが今はどこか無理をしているように見えた。やはり、御零に何かがあったのだと、理解した。
「何か、あったのか?」
御零の表情の変化を見逃すまいと見つめる。御零は一瞬目を見開いて、くしゃりと表情を歪めた。泣く寸前のような表情に狼狽る。けれど、御零は泣くことを堪えるように唇を噛み締めた。衝動をやり過ごすかのような沈黙が落ち、御零は涙を零すことなく俺の視線を見つめ返した。
「私の話、聞いてくれますか?」
「あぁ」
そう返事をするのは俺にとっては当然だった。けれど、御零は安堵したように表情を弛めた。そのまま室内へと促されテーブルを挟んで御零と向かい合って座る。
御零の弛められた表情は徐々に強張っていく。その漆黒の瞳が宙を彷徨う。御零が話し始めるまでに間が空いた。俺はその緊張を解いてやる方法も思い付かず待つことしか出来なかった。
「私の、噂って、知ってますか?」
御零の発した声はわずかに震えていた。まるで言いたくないことを切り出すような、その声音に頭が冷えていく。
噂というのは、例の御零がラシュエルの寵愛を受ける娼婦だというアレだろうか。何故御零はそんなにも顔を真っ青にしてその話をする?
「噂、か。そうだな。恐らく知ってはいるが」
なんと答えれば良いのか、御零の意図を計りかねながら慎重に言葉を返す。御零の表情があからさまに暗く陰った。顔を俯かせた御零の黒髪から覗く耳が赤く染まっていることに気づく。目眩がした。
まさか、あの、噂は、御零の望むものでは、ないのか…?
「それ、嘘です。私、娼婦なんてやってません」
絞り出す様に告げられたそれに頭にガツンッと殴られた様な衝撃が襲い掛かった。その言葉の真意を理解するよりも前に、目の前が真っ赤に染まった。
それは紛れもない憤怒の感情。
「誰だ」
誰だ…、誰だ、誰だ…。
この、優しくいたいけな、御零が、娼婦だ等と、侮辱にも程がある不名誉な嘘を世の中に広めただと?
許されない。
その様なこと、許さない。
「その噂を流したのが誰か、知っているなら教えてくれ。今すぐ八つ裂きにして殺してやる」
そこまで声に出して、目の前の御零が呆然と目を見開いて黙ったままでいることに気づいた。怒りに眩んだ思考がわずかに正気ずく。ダダ漏れになった己の殺気を、御零に気取られぬ程度に必死に抑え込む。それでも、その嘘を流した人間への、怒りが抑え込める筈もない。煮え滾る怒りを俺は表に出さない分臓腑に溜め込んだ。
「すまない。御零を怯えさせるつもりなどなかった。だが、許せない。御零の名誉を傷つけ、数多の脅威に晒させるなど」
言葉を吐き出す度に、下衆な嘘に晒された御零の気持ちを思うと凄まじい吐き気に襲われる。心優しく、汚れを知らぬ御零の心が受けた苦痛を思うと、何も知らず、あまつさえその嘘を信じた己自身に怒り、いや殺意すら覚える。この小さな体にどれほどの苦痛を受けたのだろうか。許せない。殺した程度で、許せる筈がない。
(クソッ!なんで俺は…。そんな嘘を信じて、御零を不埒な目で見ていたんだ…)
あぁ。許されるとは思わない。それでも、今、御零は友であると信じている俺を頼ろうとしてくれている。今は己への咎の意識よりも、御零の気持ちを優先しなければならない。
あぁ、しかし…、頭がおかしくなりそうだ。
噂を広めた人間と、己への、怒りで。




