某国王族からの依頼ーストワル視点ー
ふわりと、目の前に現れた紙片に手を伸ばす。
その間だけ、周囲の怒号も、爆撃音も遠退いていく。炎で燃やされぬように、灰で汚れてしまわぬように、そっとそれを懐に入れた。
「悪いが、遊んでいる暇はなくなった」
目の前に立つ巨大な竜種の王の咆哮が、俺に向かって浴びせられる。周囲の手練れの冒険者達が尻込みする中、俺は大剣一本を手にソイツの前に躍り出た。竜種は空を飛ばれると厄介だ。それ故に翼は先に魔法で削ぎ落とされている。手傷を負ったソイツは当然ながら怒りも露わにその鋭い牙を見せつけていた。開かれたその口から高純度の炎が吹き出される。魔法障壁を展開しながら、俺はそれを受け止める。当初の計画での俺の役目はコイツの気を引きつけることだったが、しかし、どう考えても咆哮だけで戦意を消失させている者共にコイツの隙をつけるとは思えない。先程までは一旦は待とうかとも思っていたが、もはや今となってはその猶予はない。
俺は高純度の炎にすら押し負けぬ高威力の風魔法を送り込む。風に煽られた炎は爆発的に威力を増してソイツの周囲を燃やした。炎魔法に耐性のある硬い鱗を持つ竜種の王を傷つけることなど不可能だが、その炎に紛れさせた細かな鎌鼬のような風の刃がその身を確かに削っていく。鬱陶しそうに地団駄を踏む竜種の足元に炎に紛れさせた風の刃を集中させていく。空を飛ぶことが主な移動手段の竜種にとって、地に足を付けて戦う事などほとんど経験が無いだろう。俺は大きく助走を付け、人々の住まいを遥かに超える巨大な竜種の王の視線よりも更に高く飛び上がった。細い瞳孔を持つ紅色の視線を釘付けにしたところで己の身に纏う魔法障壁を解放した。そんな俺を竜種の王が見逃すはずもない。仰反るようにして反動をつけ、竜種は再び豪炎を吐こうとした。次の瞬間、当然のことながら疎かになったその足元で、細かな風の魔法が炎を巻き込んで大きな爆発を起こす。
グラリとその巨体が後ろへと傾ぐ。その好機を逃さず、俺は空から落ちる力を利用して、無防備に晒された竜種の王の喉元へ大剣を叩き付けた。
ズドンと切断されたその首が鈍い音を立てて地面を転がっていく。首を失ったその身は激しい爆炎と土煙を上げながら仰向けに倒れ、地に叩きつけられた。未だ激しく燃え盛る炎を潜り、竜種討伐の証である竜の逆鱗を剥がして自らのマジックボックスへと入れた。
事後処理は、何の戦果も挙げられなかった他の冒険者共に任せ、その場を後にする。他の冒険者共がもしも今回の依頼主に虚偽の報告を行おうとも、討伐の証を持たない奴等の発言には何の説得力もありはしない。
ようやく、落ち着ける場所に移動して、俺は懐から小さな紙片を取り出した。それは、御零に預けた物だ。誰でもない彼女からのそれを開く指には知らず力が篭る。彼女の字が見えてそれだけで喜びが溢れそうになる。以前彼女から送られた紙片に書かれた文字はもう何度見返しただろうか。癖の少ないその文字にさえ御零らしさを見つけて脳裏に刻み付けた。紙を破かぬように慎重に折り曲げられたそれを開く。
『ストワルさんへ。
御零です。もしも、お仕事中だったらすみません。
お願いがあってこの手紙を書いています。もし、お仕事が一段落したら、どうか私に魔法を教えて欲しいです。ストワルさんの都合の良い日を教えてください。…出来れば早めに来て貰えたら嬉しいです。
わがままばかりですみません。体に気をつけてお仕事頑張ってくださいね。』
その手紙の内容は、先日御零に会った時に話していた内容だった。けれど、その後に添えられた一文に軽く目を瞠る。
もしや、何か、あったのか?
いてもたってもいられず、即座に通信魔法を繋ぐ。魔法の使えない御零には通信遮断をされている可能性は限り無く低いだろう。本当ならば、今すぐにでもここを離れて御零に会いに行きたいが、腹立たしい事に己に課されている依頼はまだ完了していない。
「御零」
そっと御零の名を呼んだ。通信は何の抵抗もなく開かれ、御零に繋げることができた。通信の魔法はある程度魔法に精通している者ならば誰でも使用できるが、彼我の距離により必要とされる魔力量が変わってくる。今己のいる場所から御零の宿まではかなりの距離があるが、魔力量には自信がある。特に問題はないだろう。
『ストワルさん?』
ほんの少し驚いたような御零の声が耳朶をうつ。あぁ、この声がずっと聞きたかった。
「あぁ。突然通信を繋げてすまない。今、時間はあるか?」
『大丈夫です』
突然の通信にも関わらず、迷惑そうなそぶりすら見せず、御零は言葉を返してくれた。しかし、いつもよりも覇気のない声に戸惑う。
「ありがとう。メッセージ受け取ったんだが…」
『はい…』
次の言葉を口に出す事をほんの少し躊躇った。本心を言えば、依頼など投げ出して御零のそばに駆け付けてやりたい。けれど、それでは、俺の仕事など無くなってしまうだろう。どれほど有名になろうと、冒険者稼業は信頼が命だ。俺のような嫌われ者は特に。一度でも仕事を途中で投げ出せばこの仕事の依頼主からは二度と仕事など来なくなる。もちろん、御零が望むならば何を捨てでもすぐに駆け付けるが、今はそうではない。
『あ、あの』
不安げな御零の声にハッとする。俺の沈黙でこれ以上御零を不安にさせてはならない。
『御零の願いだ。今すぐに駆け付けたいのは山々なのだが、仕事でどうしても今日は御零のもとに向かえそうにない。すまないが、明日の午前中には御零の家に行くようにするから、少し待っていてくれないか?』
俺を頼ってくれた御零に応えられないことが申し訳なくてたまらない。俺に出来る事などたかが知れているだろうが、それでも、少しでも御零の助けとなりたかった。
『ありがとうございます。でも、そんなに急がないでください。ストワルさんの体が心配です』
平静を装ったその声が僅かに揺れている事に気付く。まるで泣くことを堪えているようで、顔を見て話せないことにもどかしさが募る。
「御零…、どうした。泣いているのか?」
『ストワルさんがあんまり優しいから。安心しただけです』
焦って尋ねればわざと作ったような明るい声音でそう返される。真偽を確かめる術など無く俺は馬鹿みたいに問うことしかできない。
「本当か?」
『ふふ。本当です』
可愛らしく笑う声が聞こえて俺はもうそれ以上問いを重ねることは出来なくなった。御零が隠そうとしたのならばそれを暴くような行為はきっと御零を傷つける。
「わかった。明日、必ず行くから、待ってろ」
『はい』
何があろうと明日必ず御零の元へ行く。それを決めた俺は通信を切るとすぐ様、転移魔法を使い依頼主の元へ向かう。今回の依頼は二つの達成条件があった。まず一点目は竜種の王の討伐、二点目は、依頼主が国へと帰るまでの護衛だ。この護衛任務には少なくとも1日かかる。今から出立したとしても、かの国への到着は明日になるだろう。時間を無駄にしている暇など無かった。依頼主の居座っている天幕の中へと入る。自身には隠蔽の魔法をかけマントを深く被っている。依頼主とてさっさとこの場から離れたいだろう。普段は王城でぬくぬくと暮らしている高貴な身分の人間なのだから。俺は竜種討伐の証を交渉材料に即座の帰還を命じさせた。




