信じる?
「……泣くな」
私たちの間に数秒の沈黙が落ちる。その後、涙を流す私の目元に触れた彼の手は優しかった。拘束されていた手は離れ、私を見る彼の目に剣呑な色はもうなかった。ただあるのは後悔、だろうか。唐突な態度の変化に付いていけず戸惑う。
「悪かった。もう二度と私は貴女を傷つけない。ラシュエル・リ・アイリュストは万物を統べる創世の神名に誓う」
言の葉に宿る力が溢れ場に金色の光が舞い散った。創世神の名の下それは決して違えてはならない誓約。それは祝福であり呪いなのだとミレイが言っていたことを思い出した。
苦しそうな表情を浮かべる青年は、すっとベッドから下りて、起き上がろうとした私に手を差し伸べる。しばらく悩んでから私はその手を取って起き上がった。恐怖は簡単には無くならないが、それでもなんとか震えは収まってきた。
「…貴女は容姿で人を判断しないのだな。今までそのような者に会ったことなどなかった」
青年はどこか自嘲気味に笑う。その表情があんまり寂しげで虚を突かれた。
「私が愛したところでそれが喜ばれるなど思ったこともなかった」
「あなたの立場なんて知らないけど、自分を愛してもくれず、ただ目的のために利用されるだけだと分かっている人と誰が結婚したいと思うの?あなたは愛のない結婚をしないといけないのかもしれない。でも、そこに情がないのは、辛いよ。大事にしてもらえなきゃ、あなただって嫌でしょう?」
「そのように考えたことも、なかったな…。いや、昔はそのように考えていたかもしれない。だが、今はそのように考えること自体出来なくなってしまっていた。私は、私を受け入れてくれた者を大事にしたかった…」
「うん」
「だが、私のこの見た目では受け入れられなかったのだ。誰も、私を見ることすら、しなかった。この国を守るために、私には妃が必要だ…」
「うん。でも、なら余計、あなたはあなたの心で勝負しないといけないんじゃないの」
正直、この人の容姿で王子という身分で、受け入れない人がいるっていうのは、この人の性格にものすごい難があるとしか思えないのだけれど。小説の中では王子様と結婚することって貴族女性のステータスだった気がするし。
さすがにそこまでは言えない。さっきの仕返しに言ってしまおうかとも思ったけれど、心に留めておくことにする。そもそも、彼に私を害する気持ちはなかったのだろう。押さえつけられていた手に痛みはない。むしろ先に手をあげようとしたのは私だ。
多少の傲慢さとか、偉そうな感じとかはあるけど、実際偉い人なんだし、そこまで悪い人には見えないんだけど。まぁ、この短時間で分かるようなことではないかな。
「貴女はどうしてそこまで」
「…?」
「貴女のように私の内面を見て向き合ってくれる者など、いなかった。良くも悪くも私の外見しか見はしなかった。誓約は違えない。二度と貴女が怖がるようなことはしない。貴女の許しなく触れたりも決してしない。だから、どうか、私が貴女に会いに来ることを許してくれないか。もちろん貴女の客として代金は支払う。貴女が望むものは」
「それ、本気なら、私に拒否する理由無いんだけど」
彼の言葉を途中で遮った。身の危険がないならば、麗しい美貌の青年がやってきて宿にお金を落としていってくれるなんて、私には得しかないと思う。宿の経営ははっきり言って火の車だし。彼の甘く艶めくアメジストの瞳が丸くなった。
「私がここに来ても構わないのか?」
「うん。私、お客さんが全然来ないから困ってたの。あ、失礼な言葉遣いでしたね。すみません」
「やめてくれ。先程までのように楽に話してくれ。貴女にそのように話されると胸が苦しい」
「そういうことなら、わかったよ。そう言えば、私名乗ってもなかったね。私は御零」
「御零」
「あなたのことはなんて呼べばいいの」
「この場ではただラシュエルと。あなたの前でだけ私はただの男だ」
「ラシュエルだね。私のお店をどうぞご贔屓に」
「当然だ。私は貴女以外に興味はない」
まだ、口説かれるのか…。なんでこの人はこんなこと言うんだろう。平民の私が王子様の婚約者になんかなれるわけないのに。物珍しくて手を出そうとしたにしては、彼の態度はあまりそういう感じがない。
「ラシュエルってそういえばいくつなの」
「17だ」
「あ、1つしか違わないんだね。もっと年上なのかと思った。あれ、もうこんな時間なんだ。そろそろ、休まないとだよね」
ちょっとだけお話でもしようかと思ったけれど、時間を考えればもう深夜に近い。私は隣の部屋に移動することにする。部屋を分ける扉にはきちんと鍵も取り付けている。お客さんのプライバシーは守らないとね。
「御零、一緒には、寝てくれないのだな。私を信じてはくれぬか」
「え、いや、普通、一緒には寝ないよね」
信じるとか信じないとかの前に一緒に寝る前提があるのが不思議なのだけど。私にだってそれなりには警戒心はある。この家にいるとかなり低くはなるけど。
「わかった。貴女に信じてもらえるよう努力しよう」
そう言ったラシュエルに私は曖昧に笑うしかなかった。




