自転車に乗ったまま落ちるって結構怖い
いつものように自転車に乗って坂を下る。今年の春に入学した高校はいくつも坂を越えたところにある。だから、入学祝いに両親に買ってもらった自転車は電動機つき自転車で、さほど苦もなく坂道を登れる。
ふと遠くの道のはしに見えたもの。それはあまりにこの場所に不釣り合いな黒い穴。深く深く底は知れない、そう思えた。
「なにあれ」
ぽっかりと口を開けたそれは徐々にこちらに向かって大きさを増しながら迫ってくる。恐怖感は薄いが、私は穴から背を向けて下ってきたばかりの坂道を登り始める。非日常から逃げる。
ああ、あれはなんだろう。何かはわからないが、良いものではなさそうだ。
本能的にそう判断した私は全速力で坂道を登り、頂上に着いた、そう思った瞬間。私の体は地面の感覚を失い、浮遊感に襲われる。暗い穴はいつの間にか場所を写し、私の下にぽっかりと口を開けていたらしい。私は電動自転車に乗ったまままっ逆さまに深い穴に落ちていった。
――――――
「すまない」
浮遊感は既になく、体に痛みはない。しかし、地面を感じることもない。ハンドルを必死に握っていた自転車は倒れることなく私を乗せていて、不安定さすらそこにはなかった。
私は閉じていた目を開いた。声が聞こえたから。その声は、痛ましげで、それでいてどこか安堵したようなもの。
目を開くとそこは暗い穴のなか。私の目の前には小さな丸く揺れる光があった。眩しさに目を細める。
「あなたを巻き込んで、本当にすまない。許してくれとは言えない。それでも、私はあなたをこちらに呼ぶしかなかった」
光は淡く輝きながら、宙に浮いていた。それは私も同様で、暗い穴の空中に浮いている。
言葉は理解できた。ならば私はこの光によって穴に落とされたということか。
そもそも光と話すってどういうこと?
「どういうこと?」
私は思ったまま口を開く。ひどく混乱しているのに、声は思ったよりも落ち着いて聞こえた。
「私はあなたをあなたの居た世界から、私の世界へと落とした。それはひとえに」
「あなたの世界ってなに?」
「私が管理している世界。あなたの居た世界と同様に人が暮らし、動植物が暮らす世界だ。今、私の世界は急速に光を失ってしまった」
「光ってなに?」
「世界の寿命、のようなもの。私の世界はまだ若い。決して光を失うような時期ではないんだ。理由はわかっていた。それを解決する方法も。だが、私はここを離れられない。離れれば光を失った世界は、あっという間に消えてしまうだろう。だから、私がこの世界を離れ、失った光を取り戻す間、私の代理として私の世界を安定させる存在が必要だった。私と同じ名と力の波動を持つ、それがあなただ」
夢か、夢なのだろうか。現実感の欠片もないやり取りにふとそう思った。だからか、少し落ち着いた。
淡い光は、身勝手に異世界へ私を呼びつけたようだが、だからといって夢の中で怒ったって仕方ない。
私は思ったことを口にする。今この瞬間を現実だとは思っていないが、気になるものは気になる。
「私は元の世界に帰れるの?」
「一時的にならば、帰れる。だが、もうあなたの居た世界では暮らすことはできない。あなたは既に私の世界に私の代理として認められてしまった。長く離れることはできない。本当にすまない。償いならばいくらでもする。だから、私の代理として立つと言ってくれないか?」
声は確かに震えていて、きっとこの光は仮の姿なのではないかと思った。すまないと何度も口にする光の言葉には、嘘はないように思えた。そして、それが意味するのは私は勝手に連れてこられたこの世界から逃れられないという絶望。
けれど現実でなければどうということはない。夢から覚めるまでの間ならば、この光の言葉に乗ってもいいかなと思う。小説のような不思議な展開に私は少しだけワクワクしていた。
「代理としている期間はどれくらい?私って何かしないといけないの?それと代理の期間が終わったあとも私は元の世界に戻れないの?」
私が前向きに検討しているとわかったからか、光はひどく嬉しそうに再び話し出した。