ぼくの昔話をしてあげるね
僕の産まれた家は、男爵だった。
ジェントリーではあるけど、爵位もちの中では1番下のためか社交界に出れば、多少見下されるようなことは良くある。庶民が羨む上流階級に位置し、大きな屋敷と、馬がいて、いつも何が咲いている庭園、裕福で、なんの不自由もなく暮らしている。社交場に出て恥ずかしくないようにと、将来を見据えて幼いうちから"紳士"としての振る舞いも教育されていた。
両親は祖父達が決めた相手と結婚し、夫婦になったけど、父さんは母さんの事をとても良く愛していた。
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「あ! シン先生だっ!」
ぼくは音を聞いて、それと同時にすくっとイスから立ち上がる。
お客さまのほうもんを教えるチャイムがなり、それがシン先生だってすぐに分かった。だって、勉強が始まる予定の時間だったから。今日は、カテイキョウシがやってくる日だった。
「フロン、急がなくても俺らの部屋に来るんだから。座ってな」
「そうだけど。でも、ちょっ呼んでくる!」
だって、早く授業をしてほしいんだもん。早く見せたいものがあって、兄さんの言葉をむしして、へやを飛び出した。
「シン先生! シンフォード先生! テストが返ってきたよ! 見て!!」
先生はぼくが生まれてから少し後、兄さんが小さい時から勉強を見ているらしい。母さんのしんせきらしいから、その縁だとか。なんだっけ。あー、確か! ハトコだったかな。どのくらい血筋が遠いのか、説明してくれたけどよく分からなかった。とにかく、母さんが子供の時からの知り合いなんだって。
シン先生は、本当はシンフォードって名前らしい。でもお母さんが先生のことを"シン"と呼んでるから、ぼくも兄さんもそう呼んでる。その方が言いやすいし。
ちなみにシン先生は、ぼくのお母さんのことを"メリッサ"っと呼んでる。やっぱり二人とも仲が良いみたいだ。
「まってたよ! シン先生!」
こどもべやを飛び出して上から、下の階をのぞいて見ると、先生がメイドさんとお母さんにあいさつをして、階段に一歩足をかけた所が見えた。まだ階段を上りきらない先生を、二階の手すりから乗り出して、ぼくは早く、早くと呼びかける。手すりでぼくが隠れてしまいそうだったから、先生にもぼくが見えるように、背のびしたり、ぴょんと、はねたりしてみせた。
「あ、危ないぞ! フロン」
「だいじょーぶだよ!」
落ちるわけないよ、ってじまん気に返したら先生はやれやれと笑ってくれた。シン先生は、ぼくたちを名前で呼んでいる。ほかの人みたいに"様"とかケイショウをつけないのは、お母さんのしんせきだからだ。「家族みたいなもんだ」ってシン先生は言ってた。
兄さんより先にでむかえたぼくは、先生の手を引っ張ってへやまでつれて行った。
「シン先生、いつもありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
へやに入って、先生と顔を合わせると兄さんは、イスから立ち上がってれいぎ正しくあいさつを交わしている。
「それで? フロンはちゃんとシン先生に挨拶したのかな?」
「ま、まだ。…………えっと、シン先生、今日もよろしくおねがいします」
兄さんが、言った言葉をまねしてあいさつをすると2人はなぜか笑った。すこし前から"兄さん"、とか"父さん"、"母さん"って呼ぶのを覚えたばかりなのに、直さないといけないことが多くて大変なことばかりだ。
「改めて見ると背も伸びて、落ち着きも出てきたな」
「流石に来年は中等部ですよ。フロンと比べられても困ります」
「ははは、そうだったな」
「ねぇ! ぼくは? ぼくも背、のびた?」
「ああ。フロンも伸びたよ。前はすごく小さかったのにな」
笑いかけてくれたのは、くすぐったくなるくらいうれしかったのに、"小さかった"と言った時の先生の手つきは、親指と人さし指をちょっと広げたくらいのジェスチャーをする。それじゃ、豆粒サイズだよ。
「ぼくは、そんなに小さくない」
「まぁ、それほど感慨深いってことさ」
たまに先生は、ぼくのことを、なつかしそうに、でもちょっとだけ痛そうな顔をする。ぼくは、なんで先生がそんな顔するのか良くわからなかった。
「2人とも優秀だよ。飲み込みも早い」
「そう! お兄ちゃんなんか、学年で2位だってよ! 成績!」
兄さんがすごいと、ぼくも、いっぱいじまんしたくなる。
「ほう。学年2位か。それは凄い!」
「父さんが、目を光らせてるんで手が抜けないだけですよ」
それから「さてと」とシン先生が場を切りかえて、マンツーマンの授業が始まった。ぼくは、算数の教科書を開いて、「うー」と、難しくてうなってしまう。でも、横目でチラリと見た兄さんの教科書は、暗号のような文字が並んでて、4年後にぼくもそれを解かないといけないのかと思うと、ぞっとした。
勉強を始めて、1時間になったと思う。ぼくの集中が切れかけていた。
シン先生が兄さんに教えて、ぼくから目を離してるすきに、消しゴムを倒したり起き上がらせたり、転がしたりちょっとだけ遊ぶことにした。
ーーそんなとき。
「どうかしら? 調子は。進んでるの?」
ティーセットを持って、母さんがへやに入って来た。いつも母さんは授業の真ん中くらいの時間に、こうしておうえんしに来てくれる。
今日もなんてたって、この時間を待っていた。
「メリッサ、丁度良い時だったよ。フロンの集中が切れてたからね」
「遊んでたわけじゃ、ないよ?」
「あら。フロンったら」
くすくすと笑って母さんは、「まぁ、いいわ。2人ともこっちにいらっしゃい。休憩しましょう」と丸テーブルにティーセットを置いて、手招きした。ティーポットからは、ゆげがほんのり出ている。
「シン。あなたも」
「あぁ、言葉に甘えてそうさせてもらうよ」
本当なら、お茶を出したりするのはメイドさんの仕事なんだ。でも、母さんはメイドさんにはまかせずに、「子供のためにしたいの」と言って必ず顔を出していた。紅茶に合うクッキーを一口かじり、シン先生味うように食べる。
「もしかして、メリッサの手作りなのか?」
「ええ、そうよ。味はどうかしら」
「美味しいよ。メリッサは昔からお菓子作りは好きだったからな」
シン先生の言葉に、うれしそうに母さんは笑ってた。もしかしたら、シン先生は子供の時にも母さんのクッキーを食べたのかもしれないって、そんな気がした。
「ええ。今も好きよ」
「そうか」
ふふと笑い合う2人を見ていると、なんでか分からないけど、ズキズキとした。だけど、合う言葉をさがしても見つからないでいると、兄さんが小さな声で、ぼくに耳うちをした。
(なぁ、フロン。あの2人見てどう思う?)
「どうって? ……んぅぐぎゅうっ」
聞かれたままに、声に出してしゃべると口をむぎゅっとふさがられてしまった。それでやっと口に出しちゃいけない、ないしょ話だって事に気づいて、ぼくも兄さんの耳だけに聞こえるように返した。
(仲が、いいと思うよ)
(どのくらい? 変だと思わないか?)
兄さんはさらに聞いた。
え、えっと……それは。何とくらべてなのか。ぼくの思った変なかんじがするのと同じなのか、わからないけど。言っていいのかな?
(……父さんよりも)
兄さんのコショコショ声は、ぼくの耳からはなれて、はぁー、と言葉にならないものが床にこぼれる。その声は、深いため息にも似ていた。
「それに、お前の顔も」
「ぼくの?」
「いや、なんでもない。そんなわけないもんな」
勝手になっとくして、なんかズルイ。ぼくにはわからないことだらけだ。
それから兄さんは言った。
"お前が悪いわけじゃない"って。
"父さんには、母さん達が仲良い事は内緒だぞ"
言われなくても、こんなことは父さんに言っちゃいけないことくらいは、なんとなく分かる。
「……うん。分かったよ」
ぼくは、"母親似"らしい。目とか笑った感じとかがよく似てるって父さんが言ってた。「メリッサの良い所を、フロンは受け継いでいるのかもな」って。その時、父さんは笑ってくれた。
逆に兄さんは、父さんに似ていた。ぱっと見でもやっぱり似ている。もちろん、母さんに似てるところもあるけど。
そして、ぼくら兄弟で顔をならべると、似ているような似ていないようなそんな顔だ。
ぼくは、きびしいけど、たまにほめてくれる父さんも、いつも優しい母さんも、困っていると助けてくれる兄さんも、たくさん教えてくれたり、頭をなでてくれるシン先生が大好きだった。