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その歌声、僕は好きだよ










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 落下したのか、ガラスのようなものが割れた音と、男の怒鳴り声が響いた。まるで今まで築き上げた絆全てを一瞬で壊すかのようだった。


 その音で僕はベッドから跳ね起きた。何が起きているのか、直ぐには理解出来なかったが、鏡を見てハッとする。鏡に映った姿は、13、4歳くらいで、今日がいつなのかすぐに分かった。急いで自室を抜け出した。



『フロン様! フロン様っ!! いけません! お部屋にお戻り下さいっ!!』

「ほっといて!」

『良くないことが起こりますよ!』


 何が起こってるかなんて、言われなくても、もう十分に分かってる。メイドが廊下を走る僕を、追いかけて必死に叫ぶ。なにを言われても従う筋合は無い。


 一方的な怒鳴り声は、まだ続いている。

父さんの声だ。

 途切れて聞こえる話の内容を考えると、相手は母さんだろうか。



 走っている廊下が少しして暗闇になり、足元の道がぐにゃぐにゃと不安定に溶けて消える。よろけながらも走り続けると、"場所"は、僕を案内するかのように問題の部屋の前へと作り替えた。


『なんだ、フロンも来たのか』


 修羅場となっているドアの前で、兄さんが既に到着していた。心配そうに僕を見る。


『来ない方が良かったんじゃないか。コレ、お前の話だろ。部屋に戻ってろ。その方が良い』

「……知ってるよ。だからこそ、母さんの答えを自分の耳で聞きたいんだ…………っ」

『そうか。お前が決めたなら、俺は何も言わない』


 四つ上の兄は、黙って僕の頭を軽く小突いた。本当は、真実なんて聞きたくない。だけど、何が起こってるのか目を背けても何もならない。何よりもこれは、僕のことだから。

 何も喋らないまま静かにドアの隙間から両親をじっと見つめた。事の結末を見届けるために。


『さあぁ! 答えろ!! メリッサ!!』


 罵声を浴びせ続けた父さんは、更に声を荒らげて叫ぶ。覚悟していた筈なのに急に気持ちが決壊し、僕は母さんが言葉にする前に、廊下から遮る程の声で「言わないで、母さん」と口いっぱい広げて叫んだ。……叫んだはずだった。なぜが誰も、隣に居る兄さんさえも聞こえなかったかのように、冷え切った風景はまたぐにゃぐにゃと歪にうねり出す。


 そして。

 時間を止めることもできないまま、母さんが、耳を塞いでしまいたくなる、信じたくないあの言葉を、昔のまま言った。その言葉に激情したのは父さんだった。母さんの頬を叩いた直後ーー


 兄さんや家の間取り全てを消し去って、再び場面が切り替わっていく。それから突然、何頭もの馬を引き連れて、馬車の走る音が背中からした。それも街中ではありえない速さで、振り向く暇もなく真横を掠め走り去って行く。それと共に一緒に風が吹き抜けた。


 それから視界は一気に真っ暗になる。


 やがて、誰が指揮棒で制したかのようにぴたっと静けさを取り戻す。

 ライアが今の姿で現れ、その暗がりにぼやっと光を照らす。顔には甘さを含んだ薄気味悪い笑みを浮かべて、僕に問いかける。


『ねぇ? フロン』


 誘うように唇の端だけを上げる。何もかも見透かしたような表情を浮かべ、手を伸ばし僕の指先に触れる。思わず、ゾクッと寒気がした。振り解こうとした手を、女は離すまいと強くは握った。


 更に詰め寄り、僕に問う。



『ねぇ。何があったの?』


 口では心配してる振りをして、何が可笑しいのか、くすくすと媚びた声を混ぜ合わせ、場違いに笑うから、それが嫌味さを増す。この女は、分かってて感情を逆撫でてくる。


『なぁんてね。本当は知ってるわ。貴方のお母様はーー』

「言うなよ!」


聞きたくものない言葉を言われそうになり、ライアらしき女を睨みつけた。


「もう、手を離してくれ!」

『嫌よ。だって』

「止めてくれ……。ライアはそんな事しないっ!」

『そうね。でも、そうさせたのは、だぁれ?』

「っ! 僕は、ただ……」

『私から逃げた今の気持ちはどう? まさか本当に逃げ切れると思ってたの? 』

「頼むから、…………もう……っっ」


ーー辞めてくれ。

心の底から拒否をすると、仮面が取れたように、可笑しそうに笑ってい顔が溶け、最後に別れた日のライアに戻る。泣きそうな顔を必死に堪えてる顔だ。


「ライア……」

『あの日から少しも変わらないね。フロンは、今も過去に怯えてる。それに、私のことも……避けてる』



そして、人の姿がさらさら粉のように変わり、風に舞って消えていった。


違うんだ、と叫んだけどもう遅かった。






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:







 そこまで見て、跳ね起きると、部屋は昨日と変わらない朝の風景な事を確認して、やっと安堵した。


「……夢か」


 ――にしても。

違う、って僕は何を言おうとしていたのか。


 ロクでもない過去を掘り起こされた。寝てる時にまで出て来なくなって、あの日のことは忘れてなんか居ないのに。

 母さんと"あの人"が喧嘩をした六年前の事は、今でもはっきり覚えている。



 二度寝できるような時間でもなく、諦めて僕は起きてることにした。同室の奴を起こさないように慎重に着替えを済ませ、部屋を出る。

 僕が自然と向かったのは、蔵書室だった。





**




「ねぇ! フロン! あの奥にあるのって、もしかして! 温室!?」


 部屋に入ると朝からすっかり元気なライアが、人を巻き込むほどの笑顔で出迎えた。今日はいつもより早い時間だったけど、既に蔵書室は空いていた。ライアは早朝しか蔵書室の使用は許されていないが、その分朝の七時までなら自由に使える。だからこそ、この時間はライアにとって特別なんだ。


 二階に上がったライアは、カーテンから顔だけ少し出しては外の景色を眺めている。孤児院の玄関先にある花壇を毎日手入れをしていたライアにとって、温室は興味津々そうだった。


 当たり前だけど、夢に出てきた薄気味悪い笑みを浮かべたライアとは全く違う。純粋に嬉しそうに笑うのを見て、やっぱりそうだよなと安心したら、喉に詰まって息苦しくなっていのがすっきりした。


「どんな花が咲いてるの?」

「……温室のことか? うーん、あまり名前もしらないからなぁ。観葉植物とかもあったかな……」

「もうフロンたら!」


 植物のことは無頓着なんだから、と怒ったようにライアは頬を少し膨らました。そもそも僕だって温室の外は見るけど、仕事があって中までは入る時間が無い。よって今、何が咲いてるのかも知らないけど。それはライアから言わせれば、言い訳だって言われてしまうだろうな。ライアがもしメイドだったなら、時間をつくり、その上庭師とも仲良くなってこっそり温室に通うに違いない。


「バラ園もあるよ」

「そっか。今度、観てみたいなぁ……」


 ポツリ。温室を見つめたまま独り言のようにライアは呟いた。連れ出して欲しいと、僕にお願いしたいわけでもなく、つい思った事を口に出してしまったみたいで、慌てて口を噤んだ。


「……叶えてあげられないけど、気休め程度になるかな」

「なに?」

「サラに、鉢植えか切り花を部屋に置いて貰えるか頼んでみたら、手配してくれるかもしれないよ」

「"サラ"、さんに?」

「ライアの侍女なんだろ。この前、サラから聞いたけど」

「……あー、うん。そうだね。頼んでみる」


 いい案だと思ったのに、嬉しくないのか。少しだけ歯切れの悪い反応だ。おまけに少しむくれている。


「そう言えば、サラはどう? ライアに対して何か、疑ってるとか、怪しまれてないか?」

「親切にしてくれてるよ。……どういう事?」

「それは……」


ライアが来る日から、普通では居られなかった僕の不甲斐ない奇行をサラは気づいている。表に出さずに居られれば良かったのに、格好悪い。そんな落ち度をライアに話すのも、なんか格好悪い気がした。顔色を覗き込んだと思ったら、何かを読み取ったのかライアは、目線を下げる。


「そう。……サラさんはフロンのこと、よく見てるんだね」

「なんだよ。その反応は」

「んー……ただ。ちょっと、羨ましいって思っただけ」

「今の会話で、羨ましく感じることあったか?」

「フロンは分からなくて良いの」


 聞かれると困ることなのか、ライアは目線を浮かす。でもその表情は少し落ち込んだように見えた。とは言っても、僕もあまり突っ込まれたくなくて、部屋に妙な空気が漂う。


「私は、フロンがこうして来てくれるだけで幸せだから」


 そう言ったライアの表情は、上手く口では説明できないものだった。嬉しさと悲しさ。他にも何かあるだろうか。言葉以上の意味が含まれている気がする。

なぁライア、僕とサラ以外に、会話できているか?



「ねぇ、フロン。……歌っても良い?」

「今?」

「聴いて欲しいの。フロンに」

「……何かあったのか?」


 手をパンと叩き突然、そんなお願いをしてくるから何かあったのかと聞いたけど、ライアは下を向いて勢い良くブンブンと首を振っただけだった。ライアは隠すが下手だ。やっぱり、あまり旦那様や奥様には歌声を求められていないのかもしれない。娘として迎え入れられたのに。


「疎まれているのか? 」

「私は、大丈夫だよ」


 歌声を買われたから、その声は旦那様のものだ。ライアに会って、話をして、それを何回も内緒で繰り返して、さんざん違反を犯してるのに今更何をって思われるだろうけど。流石に歌声を独り占めするのだけは、抵抗があった。その事は今までお互い、言い出さずに避けてきたのに。自分の良心が咎めてなければ、最初の日からこの部屋でライアの歌声を聴いてただろう。

昔はあんなに聴いていた歌声を、こんなに近くにるのに、聴けないのは悔しい。


「あぁ。僕も聴きたい」



 本当なら拒むべきなのに、何を言ってしまったのかと思う。それでも、変だ。後悔するならまだしも、むしろこの緊張感さえ楽しいと思えてしまうなんて、本当にどうかしてる。


「フロンの前まで歌うの、久しぶりだね」


 歌える喜びを思い出したように跳ねるライアを見たら、どれだけ押し込められて居たのだろうと、分かってしまって痛々しく感じた。


 ずっと続く、暗くて狭い箱から、この時間だけなら自由にさせてあげることくらい、誰も咎めないだろう?




 じゃあ、歌うね。

 と、緊張した素振りを見せたのも束の間、すぐに表情が変わり毅然とした。

 すーっとライアは息を吸い込み、観客である僕に微笑みかける余裕さえあった。


「……っ」


 これこそが、ライアの魔法だ。

 その瞳で捉えられたら、誰だって目が逸らせなくなる。


 そして、声が響き渡っていく。

 その歌声は、エネルギーを放ち、負けない強さがあって、思いが込められて、全身で歌っている。

 今まで、屋敷内で響いていたのよりも遥かに綺麗だった。


 歌声も、その姿も。




 僕には、地位も財産も、力も何もない。

あるのは、ちっぽけな命だけだ。

 それも間違って生まれてしまった、望まれない命だ。


 なんで生まれてしまったのか、と問いかけ続けても、まだ答えはでないけど。


 生きたい。

 と、強く思わせるものが、昔からライアの歌声にあった。

 ライアが、生きたいと叫んで歌っているから、僕も揺さぶられ、魂を焚き付けられる。

 いろんなものを吹き飛ばし、ライアは包み込むような優しい眼をしている。





 あの時から変わらない。いや、前よりも凄く上手くなってる。奥様や旦那様が何を思おうが、関係ない。


「ライアの歌声、僕は好きだよ」


 口に出すつもりは無かったけど、つい洩らすとライアの顔は一段と綻び、微笑みを向けた。そしてライアは僕の顔をもう一度見直して、ぽつりと言う。


「本当は、フロンこそ何かあってでしょ」


気づかれてた事に、胸の奥が熱く軋しむ。歌を聴きたかったのは、ライアの歌声で救われたのは、むしろ僕の方だ。


「今朝は、顔色が悪かったみたいだったから。……もしフロンが元気ない時は、また歌いたい。私の歌は力になれる?」



昔とは違う。もうその歌声は、この屋敷の主人のものなのに。それを分かっていながら、もっと聴きたいと望んでしまった。




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