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生まれてきたことを今、感謝します ……蛇足①

 赤ん坊の首が据わってきたころ、フロンとライアは子供を抱え、2匹の羊たちを近所の人に任せ、汽車に乗った。




 屋敷とは言えないが、一般よりは大きめの一戸建ての家に着くと、若い夫婦はそこで立ち止まる。ドアに備え付けられた呼び鈴を鳴らすと、ひょっこり顔を出したのは12歳くらいになるかどうかの少年だった。


「どちら様ですか」


 礼儀正しくお辞儀をし頭を上げた直後、少年は訪問者を見て驚いたように目を丸くする。


「こちらは、シンフォードさんの家で合ってますか」

「は、はい。そうですけど……」

「家の主に繋いで下さい。"フロン"と言えばわかると思います」

「ぇ、あっ!!」


 少年はバタバタと慌てて駆け出すと、玄関まで聞こえる声で「シンさん、お客様ですっ! 写真で見た人! シンさんにすごく似てる男の人!! あと見たことない女の人も一緒に来てます」と叫ぶ。先程名前を名乗ったフロンは、少しだけ吹き出した。こらこら、ドアボーイ。いくら予想外の来客だからってその応対は良くないぞ。


 とは言え、少年が取り乱すのも無理は無いようで、シンフォードと呼ばれた男も血相を変えて、ドアの前に現れた。


「フロン……。本当に、フロンか?!」

「シン先生、お久しぶりです」


 最後に会ったのはいつだったか。あれから10年は経つだろう。思わず、シンフォードはフロンを抱きしめた。知らない間にフロンは、自分と変わらない背丈にまで成長していて、会わないでいたその年月を思い知らされる。


「良く来てくれたな、フロン。……お前に顔を会わす資格など、もう無いと思っていた……っ」


 泣きそうなくらい、締め付けられた声で父親は言った。


「先生に、どうしても報告したいことがあって来ました」

「なんだ?」

「僕ら夫婦になりました」


 そう言ってフロンは、ライアの背中に手を回す。その時の何気ないお互いの視線を見てシンフォードは、息子が自分で選んだ相手と夫婦になったことを見て取れ、目を細めた。


「ライアと言います。お会いできて光栄です」


 赤ん坊を抱き抱え直して、彼女はちょっとだけ緊張してるものの親しみのある笑顔で握手を交わした。シンフォードとフロンが似ているのは、やっぱり親子なんだなとライアは改めて思う。それなのに、フロンが彼のことを「先生」と呼ぶのが余計に歯がゆかった。


「あの、レティシアを抱っこしませんか?」

「良いのか」

「是非」


 ライアの提案にシンフォードは不安になりながら、フロンの顔を伺う。フロンはそれに対して綻んで「そのために来たんですから」と促した。ライアから赤ん坊を受け取ると、おぼつかない手つきでシンフォードは抱きかかえる。


「首は据わってるので、そんなにガチガチにならなくても大丈夫ですよ」

「……君たち2人の子か……」


 赤ん坊の温かさに感動するシンフォードに、フロンとライアは顔を見合わせながら笑った。腕の中に包まれた赤ん坊はと言うと、さっきまで母親に抱っこされていたのに、急に知らない人の腕の中におさまり、しかも不慣れのせいか居心地が悪いので、とうとう泣き出してしまう。慌てて、母親に返すと赤ん坊は憎たらしいほどすぐに泣き止んだ。


「気にしないで良いですよ。この子、フロンが抱っこを代わってくれても、泣いちゃう時あるんですもん」

「失礼しちゃいますよね。まったく、こいつは」

「お腹の中にいた時から守ってきた母親には、父親なんて適わないものさ」


 くすくす笑うライアに、フロンは不貞腐れながら赤ん坊の頬を指先でつつっいた。それをあやされてると思ったのか、子供はご機嫌できゃきゃと笑うから、フロンもついつい許してしまう。






 客間に案内されると、綺麗に整えられたテーブルクロスと、花瓶が飾られていて、先程の少年より少しだけ小さい少女が子供のメイド服を来て姿を現した。


「紅茶をお持ちするので、少々お待ちください」

「部屋は君が掃除を? 隅々までよく綺麗にされてるね」

「あっ、ありがとうございます!」


 フロンが笑うと少女はぱっと明るい顔になり、客人に褒められたことを主であるシンフォードにも喜びを伝える顔を向け、裏に下がっていく。



「あの子達は、兄妹でコリンとハンナ。仕事がなくて街で困っているのを見つけたんだ。小さいけれど、よく働いてくれる」


 フロンが産まれたころ、年の離れたシンフォードの兄が家督を継ぐと、彼は屋敷を出て一人で暮らし始めた。幼い頃からお世話をしていた乳母兼身の回りをしていた年配の使用人が、後を追って来てくれたが、彼女もまた2年前ほどに引退した。


「シン先生のことだから、あの2人のこと甘やかしてるんじゃないですか。例えば、一緒に食事するとか」

「まいったな」

「見ていれば分かりますよ。主人と使用人との距離が近いです。可愛いでしょうけど、でももし他の屋敷で働くことになれば、規則の違いに苦労するのは彼らです」


 少し前まで、使用人として働いてきたフロンは少しだけ目を伏せた。普通は主人と使用人の間にはとてつもない壁があるものだから。屋敷が大きくなれば、尚のこと。


「フロン。孤児院に行ったと聞いたけど、それからどこに居たんだ?」

「最初は小さな屋敷で働いてましたが、次は伯爵家で仕えてました」

「…………そうか。苦労させてしまったな」


 彼は心を痛めるように、口を閉じた。仮にも男爵家の次男として生まれたフロンが、使用人になってしまうとは。本当なら、雇う側になるはずだったのにと。


「どのくらい僕ら下層の者が苦しいのか、生きて見なければ知りませんでした。貴族はそんなこと知ることは一生無いでしょうね。だからこそ、蔑むことができる。……ですが僕は、貴族に戻りたいとは思いません」

 

 貴族は何かと窮屈で、周りの目を極端に気にする場所だと痛感する。自由に生きてそうで自由じゃない。


「孤児院に行ったからこそ、ライアに会えました」


 フロンが微笑んで言った。


「その子の名前はレティシアって言ったな。確か、ラテン語で"喜び""幸せ"って意味だな。お前が付けたのか?」

「はい」

「……フロン、お前は今幸せなんだな」

「絶対にその名前しかないと思って」


 自分たちの過ちを息子にも負わせたシンフォードにとって、そ 息子の幸せが何よりも救いとなる。それに、生まれてきた娘を見てレティシアとつけたいと言われ、その意味を知った時、ライアもまた感動したのだった。



「お前の母親、メリッサが妊娠したって聞いた時は、反対したんだ。メリッサには"実の子を殺せなんて、そんな酷いことよく言えるわね"っと言われたけど、承諾なんて出来るわけがなかった。産まれてくる子供が父親似だったら、言い訳のしようもない。話し合いは解決しないまま、とうとう堕ろす時期も過ぎてしまい……ね」

「母さんはそれでも僕を産んだんですね」

「……でもな、自分の子供に会いたかったのは、僕もメリッサと同じ気持ちだったよ。メリッサには言えないけどな」


 言葉では反対してたものの、シンフォードは心の中では産まれてくるのを待っていた。それは、フロンにもよく分かっている。家庭教師としてシンフォードは屋敷に来ていたけど、長男よりも次男のフロンに対して特別な想いが向けられていたのは、眼差しから感じ取れていた。



「あの日からずっと考えていたんだ。フロンを産むことが本当に正しい事なのか」


 メリッサとシンフォードは一緒にならないことを選んだのに、結局諦めきれずに最悪の結果をもたらした。自分たちで苦しみを負うならいくらでも負うが、罪のない息子にまで苦しみを負わせてしまうのは、耐え難いものだ。

 それを痛いほど分かっていたのに、お腹の子に会いたいと思ってしまうのは、こうして赤ん坊だった息子が父親になり、成長する様を見れるのが嬉しいと思ってしまうのはエゴなのだろうか。

 ただただ息子の幸せだけを願い続けていた。


「僕らのしたことは、許されるものじゃない」


 

 それでも……。シンフォードはそこまで言ってその先は言葉に出来なくなった。


「シン先生、もう過ぎたことです」

「シンフォードさんとメリッサさんは、いろいろあったかもしれません。ですけど、フロンが生まれてきてくれたこと、私は感謝してます」


 若い夫婦も此処に至るまでにいろいろあったけど、それも懐かしく思った。

 ライアがゆっくり笑うとフロンもまた、微笑みを返す。母親の腕に抱かれるレティシアは、いつの間にかうとうとし始め、ライアは慣れた素振りであやしながら、優しく子守唄を聴かせた。

 


「この子が出来たとき、シン先生を思い出したんです。自分が父親だと名乗れなかった時の気持ちとか。そしたら、どうしても先生に、レティシアを会わせたくなって……あ、あの、自慢とか当てつけとかじゃなくて……!」


 慌ててフロンが言葉を探すと、シンフォードは少し笑った。


「分かってるさ。孫を見せに来てくれたんだろ。遠かっただろうに」

「はい……っ」

「父親だと、認めてくれるのか?」

 


 孫を見せたかった。つまりは、フロンはシンフォードを父親だと認めている表れだった。その事を改めて実感すると、彼の目に涙が滲む。

両親を恨んで無かった、と言えば嘘になる。だけど今は、生まれてきた事を感謝できる。過去のことは全部、許せるとフロンは思った。


 ライアはちらりとフロンを見て、咳払いをし「言わないの?」とひそひそと呟いた。「そんなんじゃ私が先に言っちゃうからね」なんて言われたら、男として、夫としても言わないわけにはかなくなった。まして、口のきけるようになったら、娘にまで先を越されてしまっては、情けない。



「ーーと、……父さん」



 24歳にして、初めて目の前の実父に呼ぶフロンは照れ臭そうにした。


「私も呼んでいいですか。お義父さんって」


 続いてライアも言う。ライアもまた父と呼べる人が居なかったから、言えることを嬉しそうに笑った。



「まいったな。……こんな幸せで良いのかな」





 



 それから、突然の来客に振る舞うための料理を大慌てで買い、ハンナは夕食の準備をした。裏では客人のベットの用意をコリンが周到に済ませ、夫婦は帰るタイミングを逃し泊めてもらうことにする。



「シンさんが今までにないくらい嬉しそうなんです。是非泊まって下さい」


 と、帰らないでと使用人が主人のために、客人に懇願をするのを、フロンは少しだけ笑ってしまう。本当に、仲良く暮らしているらしい。




帰り際




「メリッサには会いに行かないのか」

「あの家には、顔を出す勇気ありませんし。きっとあの人も僕の顔なんて見たくないでしょうし」


 フロンはあの人……血の繋がらないかつての父のことを言った。お互いにぎくしゃくしたまま過ごしいたので、まだ苦手意識が消えない。


「だったら、こちらでこっそりお前の兄貴の方に手紙を出しておこう。メリッサにもフロンは元気だって伝えて欲しいと」

「お願いします」


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