この命、僕に下さい
"ライアを渡せ"と凄まれたけど、アルバート様の目を見て、トーマスさんが上手く諭したのか、口で言うほど以前と比べ、ギラギラしてる感じは薄くなったように思えた。無理やり力づくで、奪いに来る気迫も無い。
「これで最後にしようか」
できれば、そうして頂きたいと思うのは僕も一緒だ。トーマスさんの矯正に従い、敬意を込め、冷静で居られるように心がける。地面に片膝を着き、もう片膝は立て、頭を下げる。
「お願いします、アルバート様。ライアを僕に頂けませんか!!」
認めてもらえるまで、頭を上げるつもりは毛頭無い。恥ずかしいとかプライドとか僕には関係なかった。この姿が滑稽でも構わない。もうこれしか方法は見つからないから、すがりつくだけだしかできない。
「どうか、見逃して下さい。ライアをください!!!」
アルバート様が歩き出したのか、こちらに近づく足音がした。繋いでいたライアの手からは力が更にこもり、腕を振って僕を起こそうとした。“立って逃げようよ”と急かすように。
その手は一度僕の腕からアルバート様に渡ってしまったトラウマからか、不安そうに震えている。
それでも僕は微動だにぜずに地面に額が着くほど頭下げ続けた。怪我をしてる身体を庇いながら下手に逃げても、追い付かれ、また捕まるだけだ。逃げるのはもうしたくない。正々堂々でいたい。じゃなきゃ今逃れても、一生追われるんじゃないかと怯えて暮らす事になる。
「フロン、また殴られたら……」
「大丈夫だから」
安心させるよう僕は伏せながらライアの顔を見れないままに言う。その代わり、手を堅く握り返した。
「驚いたな。お前はこの俺に頭を下げるのか」
「なんでしたら、その靴で踏んずけて下っても構いませんよ」
半分冗談混じりに、挑発してみたけど思った通り乗っては来なかった。
「力で奪っても、奪えないのはわかった。だがな、生憎、俺は諦めが悪いんだ。ライアが欲しければ、俺を打ち負かしてみろ」
「やっと見つけたんだ。ライアをっ! 俺はアンの時のように、二度と力の無い愚かな男には渡すものかと決めたんだ!」
痛みを思い出したかのように、アルバート様は顔を歪ました。もう殆ど屋敷では名を口にする者は居なかったその名を。
アルバート様がアンジェリカお嬢様を大事にしていたのは、メイドたちの噂話で聞いたことがあった。娘が決めた相手を、家柄も良かったのか旦那様が許し、婚約者と認めらしい。でもお嬢様は病気になり、婚約者に逃げられたまま亡くなってしまった。アルバート様は、それを目の当たりにし、幸せにして上げたかったと思ったと聞く。
「ライアは、俺のところにいれば何不自由なく暮らせるんだぞ? この男に何が出来る? せいぜい毎日を生き延びるのがやっとだろ」
アンジェリカお嬢様とライアを重ねてしまったのだろうか。今度こそ、幸せになって欲しい。自分がしてやると。
「私は、アンジェリカ様ではありません! フロンじゃなきゃダメなんです。お願いします!!」
「これこら先、どうする気だ。何も持たずどう生きていくんだ?」
「苦労したって構いません。それに、五年前からフロンは私や弟と妹たちのために、ずっと汗を流しながら働いてくれてました」
間を空けず、力強く返したライアの言葉に、アルバート様は息を飲んだ。
焦げた袖を捲りあげ、いつの間に火傷や切り傷を負ったのか、さっきからじゅくじゅくと悲鳴をあげる腕を、アルバート様に突きつけて見せた。痛いとは思ったけど、改めて傷口を見ると、余計に痛くなってきた。
それでも赤く染まり皮膚が場所によってら水膨れになり始めた格好悪い、でも自分にとっては勲章の腕だ。
僕が蔵書室に飛び込んだあとにアルバート様だって、ライアを助ける気持ちさえあれば、飛び込めたはず。でもそうしなかった人に、こんな傷をつけられやしない。それは、紛れもない事実だ。
こんな人に、僕は負けるわけにはいかない。
「ーーそれから」
ライアが僕の動きに呼応して、僕の傷だらけの腕に、触れないように近くを手で添え労りながら、瞳はアルバート様に向けて叫んだ。
「一番怖かった時に命懸けで守ってくれたのは、フロンです!貴方ではありません」
「ライアを助けたこの命、僕に下さい!」
本当に愛していたなら、大切な人が目の前で奪われるのを、許してはいけなかった。
母さんと先生が果たせなった願いを、僕まで手放すわけは行かない。先生が、母さんの婚約者に言えなかったなら、僕が言おう。
この先、どんな後悔が待っているのか僕には身に染みてわかる。だからこそ、僕はライアの手を離すわけにはいかない。
何があっても、アルバート様には決してーー
頭を下げてまで、お前にプライドは無いのかと人は笑うだろう。だけど、僕は捨てたわけじゃない。アルバート様に負けてる気なんて少しもしない。
「あなたに、自分の命を捨てでもライアを助ける覚悟はありましたか?」
蔵書室を前に立ち尽くしたアルバート様に、覚悟なんてあるはずもない。それどころか、火傷一つ、負うことを惜しんでいた。
誰のためにここまで身体を張ったのか。
誰がライアを守ったのか。
答えはもう出ている。
唇を噛んだアルバート様は、それ以上言わなかった。あともうひと押しだろうか……。
そして、
「私と結婚したら、どんな生活か想像してみて下さい。その時は、幸せになんかさせるつもりは、ありません。それでも私と苦痛な生活を共に過ごしたいですか? 私と結婚したら死ぬまで呪い、後悔させます。ですが…私は、フロンとなら幸せになってみせますから」
普段ならここまで言わないライアに、僕も少し驚きつつ、必死に訴えた言葉は、僕の言うことより一層アルバート様にとっては効いているように思えた。
「今度は、私がフロンを助けたいんです」
「……全く。はっきり言ってくれるな。ライア」
これで、終わりだろうか。負けを認めたように
あとはもう此処まで来たら、アルバート様の許可を聞けなくても走って逃げようかと思った矢先、耳によく届く声がした。
「本当は、分かってるくせに。わざわざお断りされに行くなんて、物好きなのね。アルバート様ったら」
いつの間に僕らの間に入ってきたのか、ディアンヌ様は、くすくすと小さく笑いながら口を挟む。正直、彼女は未だに何を考えているのか掴めない。警戒して、ライアの腕を掴むとディアンヌ様は、その様子を微笑ましそうに微笑む。戸惑っていながら二人の会話を聞いていると、今度は僕にくるりと回って向き直った。
「さて、あなた方。もうお行きなさい。わたくしが許可するわ」
「僕たちを逃がして下ると?」
「困ることなんてないわ。勘違いなさってるようだけど、アルバート様からライアさんを離すために、わたくしの実家で預かる話になっただけよ。ライアさんを買い取ったわたくしが、どうしようが勝手なはずだわ」
ディアンヌ様が言い終わると、アルバート様は不服そうに「待て!」と叫ぶ。
」
「あら。もう仕方ないことなのよ」
「……っ」
「アルバート様、ソロモン王とシュラムの娘はご存知でしょ。あの虚しい恋の歌を」
目をそらさせない力と声の調子で言うディアンヌ様に、アルバート様はまた言葉を封じ込まれる。聖書の中に出てくるダビデ王の息子ソロモン。彼はとある村娘に惚れ込み、エルサレムへ連れて帰るが、娘は隠さずに村の羊飼いへの揺るぎない愛をソロモンに語った、とあった。
「結末の最後で、彼は二人の仲を認め、村娘を貧しい羊飼いに返してあげたわ」
「…………っ」
「貴方にも、きっとおできになります」
「その言い方は卑怯だな」
「えぇ。わかってて言ってますもの」
「父さんの思惑に従うのも、使用人にライアを譲るのも、癪ではあるが……」
優しい瞳を向けたディアンヌ様に、アルバート様は反論を口にはせず全てを諦めたように、深いため息を吐く。
「お前のようにあの男も、命をかけ、地位や家も全てをなげうつくらいにアンジェリカの事を想ってくれていたら良かったのにな……。だが、貴族に生まれた男には真似出来ないことなのかもしれない」
沈黙の末に、アルバート様が呟いた。その声は少し落ち着いたように聞こえる。
「顔を上げろ。立て」
「はい」
今の今まで膝を付けづけていた僕に、アルバート様は、許可を出す。それから、顔を守るためにライアの頭にかけた、白に近いテーブルクロスを眺め、彼は静かに言った。
「その姿。まるで、花嫁だな」
言われるがままに、僕もライアを見ると確かにそれは、ウェリングのベールを纏っているようにも見えた。とても不格好で褒められたものではないけど。それでも、言われたライアが嫌味にも関わらず、"花嫁"って言葉に、素直に嬉しそうに笑うから、なぜか緊張の糸が解けてしまう。
「焦げ跡や煤で汚れてるなんて、哀れな格好だな。……全く。お前らには、お似合いだよ」
「アルバート様、私はこれの方が好きです。素敵じゃないですか! どんなに輝く宝石よりも」
「あぁ、そうだったな。知ってるさ。ライアは俺がどんな物を与えても、決して喜ばなかった」
「飾る物なんて物はなくても良いんです。何も要りません! 今日、その日の食べ物があれば、それだけで十分です。私達は何かを持って産まれてきたわけじゃないのですから」
それから、最後にディアンヌ様が近づき、おもむろに自分の首の後ろに手をやると、ネックレスを外した。僕の手のひらを開かせ、その上に乗せる。
「これは……」
「使用人さん、なかなか見所ある方だから、わたくし楽しめたわ。餞別に差し上げてよろしくてよ。ライアさんがつけても良いけど、行くにしてもお金が無いのでしょ? これで少しの間はしのぎなさい」
「ありがとうございます」
「ただし、もうこの屋敷には顔を出さないで頂戴ね」
「僕もそうならないように、是非とも願いたいところです」
苦笑すると、ディアンヌ様はくすりと笑い、
アルバート様には、悔しそうに睨まれた。その二人に全ての気持ちを込めて僕は、また頭を下げた。
補足。
ソロモン王と村娘の話…ソロモンの歌 全章
閉じ姫の本編では、ご子息アルバート様が出てきたので、今回は似ているソロモン王の話をします〜。
ソロモンの歌
『シュラムの娘(シュネムもしくはシュレムの田舎娘)の抱く羊飼いの若者に対する揺らぐことのない愛と,彼女の愛を得ようとするソロモン王のむなしい試みを歌った書』(JW 洞察2巻)
ソロモン王は兵を引き連れて、シュラムという村に宿営を張ります。その時に、そこの村娘に会い、美し女性だったので、連れていきました。娘の恋人である羊飼いの青年は、その宿営で、娘と変わらない愛を誓い合う。
「美しい。金銀、あらゆるたくさんのものを、あなたに与えよう」と王に言い寄られる娘は、揺るぎない瞳で「私には愛する人がいます。彼も私のことを愛しているのです」ときっぱり言います。
そしてさらに、都市エルサレムにある城に帰る時も、王は娘を連れていきます。
娘の恋人である羊飼いの青年は、王たちの行列を追いかけてエルサレムに向かう。
シュラムの娘と王は、そのやりとりを何度も何度もしても、どうしても去らせたくないソロモン王。
ついにやっと諦め、村に帰らしてもらうことができた。」
という流れです。(他にも登場人物いますが、ざっくり)
この話を知った時、追いかける羊飼いの青年がかっこいいと、真っ先に思いましたw私の頭の中で映像化された。心配で気が気じゃない青年とか、壁越しとかで話すとかとか。
そして、変わらない愛で想い続けるシュラムの娘と羊飼いの青年も素敵。ソロモン王どんまい!!でも60人の王妃と80人のそばめが既にいるから、村娘を取ろうとするなよ!!
あとシュラムの娘と羊飼いは、結婚はまだしてないので貞潔を保っているのも好感度高いです。
と言うわけで、閉じ姫ではアルバート様=ソロモン王みたいな位置づけです。権力を持っていて、羊飼いの青年をねじ伏せることだってできる。フロンでは適わないような相手です。それでも立ち向かって欲しい。
シュラムの娘の取った態度みたいに、ソロモン王にはその気がある素振りはしてしまっては、いけないなと思います。断固とした態度だったから帰してもらえたのかもしれません。でも、王相手に、怒られる覚悟で自分の気持ちをはっきり言えた娘は、勇気ある人です。死んでも好きな人以外とは結婚してたまるかっ!って感じですねw
ソロモンの歌は、小説にできそうな展開なので好きです(〃∀〃)
ソロモン王がってわけではないんですけど、お伽話の王子は、簡単に姫をかっさらっていくのに対して、私はアンチ気味だったりしますw
王子と姫が結ばれる話じゃなくて、泥臭くかっこ悪くみえても必死になるヒーローが私は好きです。「王子になれない青年」はそんな意味でもあります。
庶民が王からヒロインを連れ戻す話が、もっと増えればいいのに…!
(ついでに言うと、アラジン好きです)
補足ですが、ソロモン王は他にも「箴言」も書きました。格言集みたいな感じです。生涯の前半は本当に神が喜ぶ生き方をしていたのですが、後半は、さらに妻とそばめが増え計1000人に。(この中の一人にシュラムの娘が居なくて本当に良かった!)彼女らは、異教の神を信じていて、ソロモン王は自分の神と妻たちの神をどちらも崇拝し始めて、心が離れていってしまった人です。




