一人で死なせるものか
旦那様の部屋を出ると、少し離れた位置で気配を消し静かに佇むサラが居た。僕らが出てくるのに気づくき、駆け寄ってきた。
「フロン! アルバート様に一方的に殴られたって聞いて……私っ」
「こんな所で、待ってたのか?!」
流石に旦那様と内密な話をしている扉の向こうで、立っているなんて危険な行為だ。しかも、僕は今、謹慎中の身なのに、そんな奴に関わるのは良くない。
「トーマスさんからも、傷は良くなってきてると聞いてましたが……。旦那様にも呼ばれたら、フロンとライア様がどうなってしまうのかと、思ったら……」
そんなに心配されているとは、思っても見なかったからサラの様子に少し戸惑った。見ての通り大丈夫だって返すと、ほっとした顔をする。
「話すなら、場所を移せ」
どうしていいのか分からないで居ると、横にいたトーマスさんが、首をくいっと動かし、人気のない階段裏の場所へと促した。確かに、旦那様の部屋の側で話すべきじゃない……。僕とサラはそれに従い、トーマスさんの背中を追う。
**
「……旦那様に、フロンは何を言われたんですか?」
「ライアを手放す代わりに、昇進してやるってさ」
「そんな話、まさか! のむつもりありませんよね?」
「当たり前だ」
「それなら良いのですが」
「ただ、形状はーー。って、待て、サラ!!」
旦那様には承諾したように見せたと言いかけたけど、言い終わる前に早まったサラに、治りかけの身体に、容赦なく一発平手が危うく飛んでくるんじゃないか、思ったことは本人には黙っておく。
一応、経緯や僕の気持ちを説明すると、なんとか誤解は解けたみたいだった。
「サラも知ってると思うけど、このまま何もしなければライアは別の屋敷に連れていかれる。十九時にライアに会うんじゃ遅いくらいだ。その前にライアを見つけてみせる!」
「トーマスさん。悪いのですが、仕事の指示出されても、もう従いません」
きっと仕事に一人穴があれば埋めるのは、大変なことになるのは分かっていた。執事は屋敷でお客様を迎える時、段取り全てを任されているから。
それだけじゃない。僕を見張るように言われたトーマスさんが、みすみす僕の行動を自由にさせれば、咎められるのはトーマスさんなのも分かっている。それでもーー
「どうか見逃して下さい!」
申し訳ない気持ちで頭を下げると、ため息を付きながら微かに笑われた。例え見逃してもらえなくても、強行突破で好きに動かしてもらうけれど。それでも、とり逃したトーマスさんは、同じように旦那様に問われることにはかわりないはずだ。
「そう言うと思ってな。お前を今回、仕事に割り振っていない。仕事をさせたところで、今のフロンはライア様に気がいって、使い物にならん」
「……トーマスさん」
「ライア様を探すつもりなのだろう? 廊下に埃が落ちてないか見回る振りでもしておけ」
「はい!」
「それで、ライア様を見つけたらどうするつもりだ?」
「当てなどありませんが、南の田舎町で暮らせれば良いなと思ってます」
「そうか。まぁ、そうだろうな。ライア様がいる状態で別の屋敷に住み込みで働くわけにもいくまい……。ならば、これはお前には必要ないな」
内ポケットから、トーマスさんは白い封筒を取り出した。開かかないように印で封じられていて、それはとても
もしかしなくても、それは……。
「……紹介状ですか」
「そうだ」
「昨夜、書いて下さったんですか。僕のために」
「だが、必要なかったようだがな」
別の屋敷に務める際に、必ず必要となるのが紹介状だ。それをどんな思いでトーマスさんが書いたかと思うと、胸が熱くなる。
「まぁ、しばらく屋敷で仕えたいとは思わんだろうな。二人が静かに暮らせるなら、こんなもの使わないにこしたことはないだろ。しかし、本当に困ったらで良い。少しくらいブランクがあっても働き先は、お前ならすぐに見つかると、儂が保証する」
「ありがたく、頂きます」
「いや……。儂ができるのは此処までだ」
「そんな事ありません。十分です。……どうか、旦那様にトーマスが咎められないことを願ってます」
「こちらのことは、心配するな。自分の事を考えてろ」
「はいっ!」
「あの、私もライア様を探しますっ! 二人を見届けたいんです。これで最後なら、尚更。いいですよね、トーマスさん?」
「サラ! 何言ってるんだ?!」
必死のお願いを、僕にではなくサラはトーマスさんにした。いち早く止めに入ったのに、トーマスさんは真剣な目でサラを見る。断ってくれるかと思ったのに、少しの間の後、「分かった」と静かに言った。
「サラはライア様に付いてるものだと思っていたから、もともと頭数には入れておらんからな好きにしろ」
「待ってください! サラを巻き込むなって言ったのはトーマスさんじゃないですか! なのに、止めないなんてどういうつもりですか?!」
つい五日前に言ったことをトーマスさん自身も覚えているのか、困った顔を浮かべる。でもそれもすぐに切り替え、僕が言い返すことができない上司の目で威圧した。
「サラの決めたことだ。フロンがサラを利用してるなら止めさせるが、サラ自身が、覚悟した上で、尚望むなら仕方ない。目を瞑ろう」
多少、僕とライアの関係を知っていて、黙認してくれていること、力になってくれてるのに甘えて頼っていたのも、確かだった。でも、ライアを連れ去る僕と一緒に行動してたら、
「私は自分で責任を持ちます」
「そういう事だ。儂には止められん。止めたいなら、フロン、自分で止めるんだな」
「仕事がらいろんな筆跡を見てきたから言うが、お前の筆跡へ見るからに、卑しい身分には思えん。初めて会った時から妙だったが、フロン、お前は何者だ?」
「……生憎、僕はただの使用人ですよ」
「そうか。儂の勘は外れたようだな」
「教養のあるお前と、孤児院に住んでいたというライア様がどう出会ったのか、聞きたいところだが、もう時間は無いようだ」
何処までトーマスさんは感じ取っているのか、分からない。僕が貴族か、もしくは裕福な商家の息子ではないのか、という所までトーマスさんならたどり着いていそうだ。その上、アルバート様に言い捨てた僕の言動。読み取ろうとすれば、組み立てられてしまうだろうか。トーマスさんはなかなか鋭いから、油断できない人だ。
「儂から言わせれば、みな若い。フロンもサラも。アルバート様とて未だ坊ちゃんみたいなものだ」
僕からみれば、二十四、五のアルバート様は年上な分、それだけでも圧力があった。でもトーマスさんにかかれば、赤子の時から知っているため、いつまでも子供に対する目でいるあたり、ただものじゃないっなと改めて思う。
「若いからこそ、考えなしに愚かな事をするがーー」
「一緒になりたいと思った時に行動をしなければ、後悔することになるという事だ。そして、後悔しても彼女は戻って来ぬ」
「フロン、落ち着いたらで良い。手紙の一つでも、この老いぼれに寄越してくれるだろな?」
「……はい。その時は、トーマスさんの昔話も聞かせてくださいよ」
二年仕えた今になって、この一人の執事が過去にどんな経験をしてきたのか気になった。
多分、挨拶できるのはこれが最後だ。"今までお世話になりました"僕は深く頭を下げると、トーマスさんはその頭をくしゃっと撫でた。
「幸せになれよ」
**
「本当に僕に付き合って、ライアを探す気か?」
「先程も言いましたが、私はこの目でお二人が幸せになるのを見たいんです。そうじゃなきゃ、諦めなれない。……ですから、こんな所で別れ別れになってしまっては、私も困るんです」
「……どうしてサラがそこまで」
「フロンって恋愛方面、まるでダメですね。いい性格してます」
「今朝。食事が済んだ頃合で、奥様の侍女が来ました。ライア様の着替えを手伝うようにと、旦那様に言われたそうです。ドレスも新しいものですし、髪も巻き毛にしたりとてきぱきやってましたよ。彼女は流石ですよね」
「えらく気合が入ってるな」
「ライア様は、これからご親戚になるご両親に贈る、特別な品物だそうですからね。……着替えが済むと、すぐにライア様はどこかに連れていかれました」
話しつつ、トーマスさんから預かった鍵を使い、ひたすら屋敷内の部屋を開け回った。恐らく、綺麗に整えたライアを、厨房やランドリーの側には閉じ込めては置かないと考えられる。使用人たちの部屋はどうか? 無くはない。でも後回しにしよう。そうやって、少し選択肢から外してみるものの流石にそれでも、部屋数は多かった。
幾つか物置、客室、食堂と、あまり出入りの少ない部屋。かたっぱしから回っていく。
どのくらい経っただろうか。少し息をついていると、サラが窓を眺めながら呼んだ。
「フロン!! あれは……っ!」
「黒い煙?」
「どこが燃えてるのでしょう……?」
木で囲まれた枝と枝の隙間から、屋根が見えた。
「まさか、蔵書室?!」
蔵書室の側に行くと、燃え始めて少し経ったほどで、さらに炎は音を立てながら飲み込もうとしている。周りの木々と建物内にある書物、燃える材料は揃いすぎている。
そして、その建物から少し離れた所で、アルバート様がドレスを着こなし整えられた女性と話している様子が見えた。一触即発の雰囲気が漂っている。
あの人は確か……アルバート様の婚約者だったような。
「ーーこれは君がやったのか?!」
「 まぁ。失礼な方ね。わたくしがアルバート様に不満があるからと言って、何かすると思ってますの?」
本来、使用人は話しかけられなければ、自分から貴族に声を書けないのが決まりであるけど、そんなことは今は言ってられない……。
「ディアンヌ様、よろしいですか」
「あら、使用人さんがわたくしに何のようかしら。まぁ良いわ。発言を許しましょ」
お淑やかに僕に笑い、彼女は扇子を広げて口元を隠した。
「ライアを見かけませんでしたか」
「いいえ、見てませんわ」
「では、蔵書室にライアが居るかも知らないのですね」
「あら。貴方も誤解なさってるようね。ライアさんが何処にいらっしゃるか分かりませんし、火を放ったのは別の誰かでしょうね」
あの子……、とそう言いかけてディアンヌ様は、思いた当たる人がいるのか独り言のようにぼやいた。
燃えそうな本ばかりある蔵書室を敢えて狙ったのか。偶然、暖炉にそれともーー
ディアンヌ様にライアが中にいるかの事実確認はできそうにない。でも、侍女がライアを部屋に入れ、鍵を閉めたのだから、ライアの居場所なんて知らないわけがない。まさか、知った上で蔵書室に火をつけたなんて、思いたくもないけれど。
「ライア」
ーーその中に居るのか……?
トーマスさんの過去話をちらっと
20代の時に、彼女と死別しまったのでした。
お金はあまりないので貯めてから、迎えに行くと約束をし、一時的に仕事に力を入れていた。2ヶ月ほど会えていない時に、彼女は街で流行病にかかる。医者を呼べるほどお金は無かった彼女は、あっという間に息を引き取ってしまった。
あの時、無理してでも一緒に暮らして入ればと後悔する。
そのためか恋愛は捨て去り、ひたすら仕事一筋縄に生き、執事へと登りつめた。
アンジェリカお嬢様も病気になり、婚約者に会えないまま亡くなったので、思うところもあり、アルバート様が妹の事やライアに対して固守する気持ちも、分かるみたい。




