昔と変わらないな ※挿絵あり
ライアは本を手に持ったまま、椅子にも座ることを忘れて、立った状態で読みふっけている。最後に会った時よりも、髪は少し長くなり今では背中まで伸びていてる。顔にかかる部分は綺麗に結い上げられているから、耳に飾られた小さめの白いイヤリングが見えた。
黒いワンピースにエプロンをした、控えめな服をあてがわれているメイド達なら、羨むほどの綺麗で高価なワンピースを、ライアは着ている。どこから見ても貴族のお嬢様そのものだ。以前のライアを知ってるなら尚更思うはずだろう、こんなの似合わないってさ。
だって、そうだろ?
知っているのに、まるで知らない女性みたいだ。
ライアは、相変わらず細身で少しだけ心配になる。それに、不意に眉を下げて俯き、そうかと思うと口元を上げて笑う姿。油断するとどうしても零れてしまう嘆息を呑み込んで、明るい歌に変えるのを見たら、これ以上、彼女を責めることができなくなった。本当は、此処に来た事を怒ろうと思っていたのに。ライアはもう、十分に此処に来たことを悔いている。
「……変わらないな」
僕自身も驚くほど、心は落ち着いていた。
「ライア!」
改めて声を上げて呼ぶと、やっと自分以外に人が居ることに気づいたのか、首を縮め肩を震わせる。そして、目を合わせる事なく持っていた本で顔を隠した。
「きゃっ、あっ、あ、あの! 歌、聴かれてしまいましたよね!?? こ、この事は、旦那様には内緒にして下さいっ!」
慌ててるようで早口で言うし、その上、本で遮り、もう片手では口を抑えてるもんだから余計に声がこもって聞こえた。僕は更に数歩だけ、離れていたライアとの距離を詰める。
「私、旦那様と奥様以外の人に歌うのは許されてなくて……」
「それから?」
「許可なく他の人と話すことも、許されてなくて……」
訊くほどに、厳しい制限が科せられてることを改めて聞かされて、また腹が立つ。僕達ですら使用人同士はそこまで言われてないのに、ライアだけ孤立したような生活、窮屈だろうに。
サラ以外の使用人と会ってしまって、気が動転してるのか、話しちゃいけないと言ってるそばから、僕が促すと、素直にも答えている。ライアらしいといえば、らしいけど、どこかやっぱり抜けている。
「七時には部屋に戻らないと、行けなくて……って?……あっ!!! あの、今、何時ですか?!」
「七時前だよ」
「良かった。遅刻してなくて。……え、でも。し、ち…? え! この時間は誰も居ないはずじゃ、…どうして、ここに人がっ…」
一瞬安心したような声になったのも束の間、本を盾に顔を隠すライアは再び困惑した。だけど、見つかった時点で隠れてももう遅いんだよな。
それに今、二人きりだ。お互い、どちらが告げ口すれば叱られる立場にある。だから、この事を知っているのが二人だけなら、お互いに喋らない事を約束し合えば済むはずだ。
そう思いつつ、未だに僕だと気づいていないライアを、もう少しだけ、からかってみたくなってしまう。
「会ったこと、内緒にして欲しい?」
「も、もしかして、交換条件、……ですか?」
「どうしようかな」
「こ、困りますっ」
そんな意地悪な質問をすると、ライアは冷静になるどころか、ますます身を震わせた。この慌てよう……。ちょっとだけ、からかおうとしたけど、予想以上の反応につい面白くて吹きだしてしまう。
いや、ごめん悪かった。いじめ過ぎたって反省はするけど、……あぁ、だめだ。可笑しくて、我慢した口が耐えきれずに緩む。
「くっ、ははは…。何やってるの。僕だよ、ライア」
「……! え……? どうして、私の名前を……っ」
それでやっと、晴れた日の澄んだ青空色をした瞳が、ずらされた本から恐る恐る覗く。初めて会った時から変わらない、吸い込まれるような目だ。
そのライアの瞳が、僕を捉えた。やっと目が合ったね。次いで、持っていた本が手元からすり抜け、ボトン、と音を立てフローリングの床に落ちた。
「ふ、ろん……なの?」
拾うおうともせず、いや落ちたことにも気づいてないのか、本に目もくれないままライアは、僕をただ見つめている。瞬きを忘れ、大きく見開いた目は、まるで信じられないものを見たかのようだ。
「フロン!! どうして、ここに? 居るはずないのに……っ」
「それはこっちのセリフだよ。ライアがまさか、よりにもよって選ばれるとはね。……本当にっ」
やりきれない。
数年かけても見つからないなら、いっそのこと、どうかこのまま見つかりませんように。僕はそう願っていたのにさ。寄りにもよってどうして、ライアが。
「孤児院で何かあったのか」
ライアは眼に涙を溜めていた。だけどまだ、泣きはしなかった。必死に耐えているように見える。近づいて、頭をポンと撫でると、ライアの瞳は張り詰めた糸が切れたように、耐えきれずに涙を押し流した。19歳頃になったはずのライアが変わらず小さく見えてしまう。背の差が出たのか五年前よりも余計に思う。
いつだって、そうだった。ライアは幼い子たちの前では、泣かないように我慢している。それで弟たちを寝かしつけた夜遅くに、僕が促してやっと泣くことが何度かあった。そう言ったところも、昔から変わらない。
「フロン……」
「ん」
「ごめん、なさい。約束、破ってしまって……っ、絶対、最後までっ、フロンとした約束、守りたかったけど、でも、っ、それしかっ方法がなくてっ」
弱々しく言葉を紡ぐ。嗚咽が、言葉を邪魔している。
一番最初にライアの口から出たのは、『約束』だった。別れ際に、無理やり取り付けたのを、まだ覚えていてくれたとは。それも一番に出るほどに。孤児院を出たあの日から、本当は会うつもりなんて、一切無かった。手紙だって書いてなかった。それでもライアは、約束を守ろうとしてくれていたけど、僕はライアがどこかで元気だったら、それでいいと思っていた。
「だけど、だけどねっ……こんな事言ったら、フロンは怒ると、思うけど」
そう言ってライアは、僕の手首をぎゅっと掴んだ。触れられたライアの指先の感触に、少し怯む。先に頭に手をやったのは僕なのに、この感覚は良く分からないが、相手から触れられる事は、まだ苦手みたいだ。むず痒さよりも気持ちの悪さを感じてしまう。
「この屋敷にフロンが居て、……良かった」
放たれた声は、安堵が混じった消えそうなほど弱いものだった。心細かったことが痛いほど伝わってくる。いつだって会いに行けるのに、五年も会わずにいた僕を責めようともせずに、ライアはただ純粋に思ってる。
会いたかった。とは、こんな状況下でライアは口にはしなかったけど、強く握りしめ触れられた手からそんな想いが伝わって来た気がした。
約束を破ってでも、孤児院を出なければならない状況が、ライアにはあった。きっと、ライアをそこまでさせたのは、自分の事よりも弟や妹たちを守るためだったはずだ。
どうあっても、その選択をせざるを得ない日が来るなら……。
もしくは、僕の知らないどこか別の場所に、買われてしまうくらいなら……。ライアの行方が、僕の目の届くところで良かった。
「僕も」
落ち着きを取り戻したライアは、「ごめんっ。勝手に」と短く言って、握っていた僕の硬直していた手首を解いた。離れた手に、ライアの温度が無くなって、やっと緊張が自然と溶けた。触るな! と声を上げるほど拒否はしなかったけど、それでも触れられると違和感が走る。僕が好まないのを、ライアは昔からよく知っていた。
「背、伸びたね」
「そうかな。ライアが縮んだんじゃないの?」
そう言うと、やっぱりライアは思った通りの反応を見せた。こんな他愛の会話をしてるだけなのに、何故か楽しい。
からかった時と今。孤児院から出て以来、久しぶりに僕は心から、笑えた気がした。
どりむきゅさん(http://mypage.syosetu.com/990666/)
に挿絵を描いて頂きました!
本当にありがとうございます(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)