お願い、会わせて (挿絵あり
それで、通りかかった使用人の人が私たちの前で足を止めた。メイドさんたちの服装ではない彼女は、確か奥様の侍女をしている人だ。
「どうした? 何か用かな?」
「は、はい。実は、ライア様のお相手を少し知っているかもしれません。と言っても、顔を見たわけでもなく確かな事は言えないのですが……」
「それでも構わない。話してくれ」
顔を見ていないと彼女が言うなら、どうか特定されませんように……!
そう祈ったのも束の間に、小さく呼吸を整えーーアルバート様がちょうど帰って来られる前日の夜中のことです、と彼女は話し始めた。
「奥様が体調が優れないと私をお呼びになったので、薬をお持ちしたのです。その帰り、廊下を歩いていたら、廊下の先の物置の前でぼんやりと人影が見えました。確か、そこはライア様が閉じ込められていた場所だったかと……」
「その物置はライアが居るって知っていたのか?」
「はい。奥様の指示で、私がその物置の鍵を閉めてましたから。確かにあそこは、ライア様がいらっしゃる場所でした」
私の知らない裏で起きていたことを、こんな形で知ってしまい、モヤモヤとしてしまう。彼女は緊張が解けていくように、はきはきと話し始めた。
「ライアの居るその物置の前に、人が居たって言ったな?」
「はい。物色しようとしている様子もなく、扉の前にただ立っているだけに見えました。何をしていたのか、不思議には思ったのですが……。追いかけてみたものの、逃してしまいました……。今思うと、その人はライア様に会いに来てたのかもしれません」
「母さんには話さなかったのか?」
「もちろん、報告致しました。ですが何も取られていないなら、ほっときなさいと仰られて……。奥様はあまりライア様のことを気にしていないご様子で、この件はずっとそのままになり、今に至ります」
頭を下げた侍女さんに、アルバート様は「助かるよ」と笑顔を向ける。
「これでこの屋敷にいるのは、確かみたいだな。他に気づいたことはないか。なんでもいい」
「そうですね……。背丈からすると、女性ではないのは確かです。足の速さは……、機敏でしたので、若い男性使用人だと思います。それに……あっ! あの日は! 旦那様は外出なさっている日です。身の回りのお世話の従者と接待をする従僕、馬の操縦をする御者も旦那様と共に居ません」
「屋敷に残っていたのは?」
「はい。執事のトーマスさんや庭師もライア様の歳とかなり離れているので、選択から外しますと……ジィーンと、フロンかと。そうです! その二人の他に居ません!」
「二人か。なかなか良い数字だ」
アルバート様は、目を細めた。顎に手を置き、考え込む。もうここまで推測されたら、フロンに辿り着くのは時間の問題だった。
「……ジィーンは違うな。あいつの噂はかねがね、こっちにも届いてるよ。メイドたちにちょっかいを出しているそうじゃないか。ライアがあいつを好きになるとは思えない」
「では、フロンということに?」
「……他に居ないならな。仕事をしていれば、他のメイドと遊んでても俺は別に構わないが、ライアが絡めば話は別だ」
「ですが、彼はとても女性に興味あるような感じではなく、むしろ距離を置くような人ですよ」
アルバート様は侍女さんから目線を私に変える。見つめながら、可笑しそうに笑う。
「案外、そう言う男ほど、腹の底で何を考えてるか分からないものさ。なぁ、ライア?」
「……っ」
「フロン……。まさかあの人が? でも、……そう言えば。この前、話しをする機会があったのですが、ライア様に対する奥様の接し方を良く思っていないのは、彼だけだったかもしれません。他の使用人たちは、そこまでライア様を気にしてる様子ではなかったのに……って、違和感がありました。私、奥様が悪く言われてしまうのが、嫌で……」
「なるほど。ライアがただの歌姫だと思う以上の想いが、その男にはあるわけだ」
はっとするように、侍女さんはさらに言う。
「ーーそれに、彼は蔵書室で仕事をしています。ライア様が唯一許されていた自由に動けた場所は、早朝の蔵書室でした……。鍵を持っている彼にならライア様と接点を持つ可能性は、ゼロではありません……!」
信じられなそうに言いつつ、それを聞いたアルバート様は確かに不敵に笑った。私は自分でも、顔が青くなっているのを感じた。
「そこまで情報が揃うとはな。よくここまで導き出した!」
「いえ。そんなことっ! アルバート様のお役に立てるなんて、光栄です」
彼女は、ぱぁあっと嬉しそうな顔をして、目を輝かせる。アルバート様は突き止めるとすぐに、私に向き直った。
「フロン、なんだろ?」
「ち、違います! 彼なんかじゃありませんっ!」
「無駄だ。ライアを見てれば分かる。顔に書いてあるよ。"気づかれた"ってね」
「……っっ」
「俺が本気を出して、手に入らなかったものは、今まで一度も」
ーーない。その言葉を言い終わらないうちに、私の手の平へ。指先のキスとなって消えていく。
それから逃げられないように、手首をアルバート様の握力だけで締め上げられると、最後に首筋へキスを落とす。始めこそ、優しさがあったかもしれない。だけど私が嫌がると、痛みが加わって、肌に歯を立たる。
痛くて、痛くて、こんなのは、愛なんかじゃない。苛立ちをぶつけられてるだけ……。
「あの男とだって、このくらいはやってたんじゃないのか?」
「……な! なにも……っ、なにも知らないくせに。 フロンはそんな人じゃ……、んんっっ! ん!!」
「可愛げの無い口だね。アンはそんな風な口は利かなかったよ」
フロンのことをそんな風に言われたくなくて、言い返そうと叫ぶと、空いている片方の手で私の口を塞ぎ、言葉を封じ込められてしまった。
「 誰もいない蔵書室で、二人が何をしてたかなんて、誰が証明できるんだ?」
フロンが悪く言われるのが、どうしても許せない。力に屈したくなくてアルバート様を睨みつけた。それでもやっぱり、相手は少しも怯まないけれど……。
負けたくない。
怖さよりも、今は悔しい気持ちが上回った。
"ライアは、気安く触られ過ぎだ"
そんなフロンの声がした。
酒場の常連客のおじさんに、手を触れられるくらいなら仕方ないことだって思ってたら、フロンは眉間に皺を寄せていたっけ。酒屋の帰り道で、もっと用心しろって叱られた。あの時、フロンは何を言ってたの……?
"もし、身の危険を感じたら、思いっきり噛みつけ。あとはアキレス腱も蹴っ飛ばしてやれ"
脳裏に直接聞こえてきた声の通りに、私の口を塞ぐアルバート様の手ーー人差し指と親指の間ーーを思い切っり噛み付いてた。痛そうだったけど、躊躇ってる場合じゃない。
「っつぅ! やりやがったな!」
塞がられていた口と、掴まれていた手が解けた。
身体が自由になり、ついでにアキレス腱めがけて蹴り上げて、それから、もう一撃を。
ハイヒールの踵でアルバート様の靴を踏みつけると、アルバート様は痛そうにしゃがみ込みむ。ちらりと横を見ると、侍女さんの殺気がこっちに飛んできた。それさえも、今はどうでも良かった。
「フロンは、アルバート様みたいに最低じゃないっ! 馬鹿にしないでっ!!!」
私は見下ろしながら叫んで、気づいたら、走ってた。
「クソっ、追え! いや、……行く場所は分かってる。どうせ、蔵書室だろ。執事か家政婦長を探してこい!」
少し痛そうに、声を詰まらしつつアルバート様が指示を出す声が、振り向かえらなくても聞こえてきた。侍女は鍵を頼みに、反対の方向に走っていく音がする。
「逃げ切れると思うなッ!!」
……今はまだ、追いかけては、来られてない。
だけど、アルバート様が蔵書室に来てしまうのは時間の問題。
それでも、私は走った。
ドレスは重くて、走りづらくていやになる。慣れないハイヒールで足がもつれながらも私は、階段を無我夢中で駆け下りた。
お願い。フロンに会わせてーー。




