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歌声が歯車を回してしまう




 こうして数日が過ぎた。

 アルバート様は、私のために何度もピアノを弾いた。そして、今日も。




「ライア、君は何をすれば笑ってくれるんだい? 何を望む?」



 ピアノを弾き、語りかける。きっとなんだってくれるのだろう。それだけの力を彼は持っている。

 でもただ一つだけは、アルバート様には叶えられない。


 蔵書室に行きたい。フロンに会いたい。

 誰にも見つからず、自由に。




 では、お願いを訊いて頂けますか。

と、私は言葉にできるなら言葉にしたい。でも言ったらきっとフロンがアルバート様に酷いことをされそうで、言い出せなかった。



 蔵書室に行けないなら、せめてそこに一番近い場所に居たい。


「花壇や温室を観に行きたいです」

「まだ行ってなかったのか?」

「あまり外へは出れなかったので……」

「そうか。ならば、思う存分」


 アルバート様は、快く承諾してくれた。

 


「サラは、俺とライアが出かけてる間に部屋の掃除を済ませておくように」

「……はい。アルバート様」


 アルバート様と二人で行くのは、あまりしたくなかったからサラさんにも付き添ってもらおうと思ったのに、それは砕かれてしまった。


「いってらっしゃいませ。ライア様……」


 サラさんは私のそう言った視線に気づいたのか、申し訳なさそうに頭を下げる。




 秋も終わりに近づくこの時期だけど、花壇にはいくつかの種類の花がまだ残っていた。少しだけほっとする。久しぶりだった。外の空気も、こんなに広々とした景色も、空も。


 目の先に見えるのは、ほかの建物から離れた位置にある蔵書室。取り囲むように木々が覆われていて、室内から見るとまるで森の中に居る気がした。


 私が歌うとフロンも微笑んでくれる、そんな囁やかで柔らかい笑顔が何よりも好きだよ。

 歌うと思い浮かぶ。屋敷のどこかで、きっとフロンは私の歌声を聴いてくれていて、ほっと笑ってくれているのを。


 少し前のことなのに、ずっと昔のことに思えた。懐かしくて、なんだか思い出に変わってしまったようで、どうしても歌いたくなった。

 


 できれは、フロンの前で。でもそれを果たせないなら、今ここで。

 今できる一番近い場所で、フロンに歌を届けたい。

 

 これ以上、何も失うものなんて無いから。

 もう一度、歌いたい。


 私にはやっぱり、これしかないから。

 



 

 ーー大きく息を吸いこんで、声を出した。

 久しぶり過ぎて歌い方を忘れかけてしまったけど、それも束の間に、すぐに勘を取り戻せた。


 あぁ。そうだったね。

 歌うのはこんなに素敵なもの。


 伸びる自分の声に、自分で気持ちが良くなって酔いしれる。

 私以外誰も歌っていないはずなのに、聴こえてくるのは孤児院のみんなと歌った声。

 それがまた、楽しくなって、私はまた歌に酔う。


 あの蔵書室まで、この歌声が届きますように。

 私は大丈夫。

 元気だよ。


 会えないから、想いを歌に変えて、私は歌い続けた。







 思う存分歌い、やっと息をつくと、急に腕を掴まれ何かに身体を覆われた。


 歌に夢中で、すっかり一人の世界だった。なにが起きたのか分かったのは、アルバート様の腕の中で抱きしめられている後だった。

 身体を持ち上げられて、足が地面から浮く。興奮しているようで、嬉しそうに声を上げる。


「やっと! やっとライアの歌声が聴けた!」

「……あ、アルバート様っ! 離して下さいっっ!!」

「やっぱり思った通りだ! ライアの声は綺麗だ! むしろ、アンよりも上手い。それ以上だ! なるほどな、母さんが怒るわけだ」

「……私、そんなつもりはっ……」




 アルバート様に抱きしまれて、泣きそうになるのは、誰かさんが、もたもたと何もしないから……。期待してもしょうがないのに、つい思ってしまう。


 フロンの、ばか。



「あぁ。本当にーー。その声だ。その歌声を俺は待っていた。なんて、綺麗なんだ」


目が合っているのに、まるで合ってない感覚。こんなにも、アルバート様は私のことを見つめているのに、どうして……。

私の奥にいるアンジェリカ様が見ているようだった。





「ーーアルバート様、お取り込み中と存じますが、お客様がお見えです」


 その声が、私にとって助け舟に思えた。顔を上げると、その人は確か執事のトーマスさんだったと思う。


「なんだ? 今日は何もないはずだが?」

「旦那様がお招きしたようです。てっきりアルバート様も知っていらっしゃるのかと」

「……っ! 父さんめ、勝手に取り付けたな!」

「ディアンヌ様は、すぐそこで待って頂いてます。お呼びしてきます」


 トーマスさんがその場を離れ、私が首を傾げていると、アルバート様は"俺の婚約者という事になっている"とそっと教えてくれた。ひょっとして、私が横にいたら不味いんじゃないかって思ったのも束の間に……。


 一分経つかくらいで、女性は侍女を横に連れて現れる。その人は、日傘をさしながら淑女(レディ)の身のこなしで佇んでいた。髪の毛はふんわりとゆるめのウェーブがかかり、綺麗に整えられている。年頃はアルバート様より若そうだけど、貴族として劣らず堂々としている方。私は場にふさらしくないと、数歩、アルバート様から距離を取った。



「アルバート様ったら酷い方ですね。先日お会いするお約束してたのに、急にキャンセルなさるなんて。ですから貴方のお父様に、アルバート様にお会いできる日を聞いて、こうしてわたくし自ら再度お伺いさせて頂きましたのよ」


 それでいて、声も怒った様子もなくて、お淑やかに響く。


「それは申し訳なかったと思っているよ。ライアが高い熱を出してね。心配で付き添うことにしたと、書き送ったはずだと思うが」

「そう。そのライアさんって方。先に約束していたわたくしの事を断るほど、それ程までに親身になる相手は、どんな方なのかと思いまして。……貴方は本当に何をお考えなのかしらね」


 ディアンヌ様の笑顔は、崩れない。


「この前にお会いした時は、アルバート様は何も仰らなかったのに、今になって反対なさる気? 」

「それを言うなら、君もそこまで、俺との婚約に対して乗り気に見えなかったが? ディアンヌ嬢はこのまま話が進んでも宜しいので?」

「えぇ。悪い話では無いでしょう。わたくしは貴方の妻に。そして、わたくしのお父様は晴れて伯爵のご親戚に。あなた方は、我が家の資産の一部を得るのですから。そもそも、婚約を申し出たのは貴方のお父様ですのに、わたくしを破棄なさるのは、可笑しな話ですわね」



くすくすと、控えめに笑う。本当に怒ってる口調ではないのに、滑らかな言葉で


「それについては、正式に婚約した覚えはないが……。もう少し待って貰えるかな」

「いいえ。もう遅いのです。ゴシップとは早いものですから。アルバート様がつれない態度をお取りになると、何かと困りますの。あまりわたくしを、辱めないで下さる?」


 はっきりと告げる言葉は、少なからずトゲのあるにも関わらず、柔らかい口調に落ち着きと余裕を感じさせる。


 

「アルバートのお心に、どんな心情の変化があったのか……。お聞きしたい所ですが、今日は辞めときましょう。"今度のお誘いには必ず、来て下さいね"今日はそれだけ言いに来ましたの」


 帰り際に、礼儀正しく綺麗なお辞儀をすると、不意にさっきまで一切見なかったディアンヌ様が私の方に向き直る。「是非わたくしも、ライアさんの歌声を改めて聴きたいわ」と、微笑んでその場をあとにした。

 



「……良く喋る女性だ。こちらの話を聞きもしない」

 

 ディアンヌ様と侍女が去っていくのを見届けると、アルバート様は疲れたように、深く息を吐く。


「良いのですか? 怒ってましたけど……」

「どうも、俺には好まないタイプでね。それに、彼女を妻にしたら、この屋敷を乗っ取られてしまいそうな勢いだ」

 

 アルバート様の意思とは別に旦那様がこの話を進めているみたいだから、ディアンヌ様との婚約に気が進まないのも分かるけれど……。ディアンヌ様の言いたくなる気持ちも分かる気がした。

 それに、私はこの場に全く関係ない気がするのに、巻き込まれてる気がしなくもない。


「でも彼女に言われて気づかされたよ」

「……何をです……か?」

「俺が望むものが何かを」


 じっと見つめられて、嫌な予感がした。


「俺が妻にしたいのは、ライア。君だよ」



 美しい、綺麗だ。そう言って頬に触れる。それでもなぜか、嬉しい気持ちにはならなかった。


 フロンはそんな言葉を言わない。言って欲しかった訳でも無いから良いの。美しいと心にすら思わなくても良いよ。

「良かった。元気そうで」と私の姿を見て本当にほっとしたように笑ってくれるだけで嬉しかった。ただそれだけのために、危険を顧みず、少しの時間のために会いに来てくれる。指一本触りもさず、気休めの期待や約束も、今この瞬間だけの弄ぶことも無い。

 私に有ったのは、口にはできないけど、心に秘めて想いを笑顔に込めることだけ。あと一歩。あと一言が言えそうで、いつまで経っても言えなかった。そんな短い、小さな時間だけが何よりも好きだった。


「……本気……なん、ですか?」

「本気さ」

「そ、そんなの、困ります」


 妹の幸せを願うように私にも優しくしてくれた時の純粋な瞳はもう無い。怖くて、ぞわぞわして、ただ力が入らない。


「その声もーー」


 頬に触れていたアルバート様の指先が、頬にかかり、私の唇へと移り、なぞる。唇を奪われそうで怖いのに、逃げなきゃいけないって思ってるのに、動けなくなってしまった。


「全て、俺だけの物にしたくなくなった」




 アルバート様は、私の腕を掴むと歩き始めた。振りほどこうとしても男の人の力の前には何もできなくて、旦那様の居る部屋にとうとう着いてしまう。


 旦那様が怒鳴るのも当然のことだった。

 

 

 






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