僕の言葉は届いているか
「ライア」
念の為、ドアノブに手をかけ回しても、やっぱり開かなかった。仕方なく、壁越しに話しかける。ガタッと音がしたかと思うと、駆け寄るような足音がした。
「フロン……なの?」
久しぶりに会った蔵書室でのあの日みたいに、驚いた声で僕の名前を呼び返す。でも今日の方が、声に張りがなくか細さがあった。姿が見えなくても、ライアが弱っているのは手に取るように分かった。
「……サラに聞いた。孤児院は閉鎖されてたって。それで、ライアがどんな思いでいるのかって思ったら……。大丈夫か、ライア」
「……フロ、ン………………っ」
知られたくなかったのか、消えそうな声に変わる。そして、そうかと思うと、堰を切るように声が吐き出された。
「ごめんなさいっ! 私のせいなの!」
「ライア」
「私がちゃんと、知ってたら……っ!!」
「何があったんだ?」
僕の声を聞いて安心してくれたのは一瞬で、まるで責められてる気にでもなってるのか、取り乱すように、ライアは声を悲痛に上げた。だけど、どうにも分からない。
「私はただ、旦那様に買われたそのお金があれば、みんなが安心して生活できるって思ってたのに……」
サラと話してて、ひかかった懸念。少し前から、孤児院にお金を送ろうとしても届かなかった理由。閉鎖して、もの家のカラだったなら納得できる。その瞬間、血の気が引くと共に、この屋敷の主への嫌悪感が湧いてきた。
「ライア、もしかして、取り引きした時って、現金でやりとりしたんじゃなかったのか……?」
「渡されたのは、紙だったよ。確か、"小切手"って旦那様は呼んでた気がする。今は持ち合わせがないけど、それを持っていけば、現金になるからって。お金となんら代わりはないって……そう言われて……。私は普段、見ない紙だったけど、貴族の人がそう言うなら、そうなのかなって思って……」
消えかけた声で、その日のことを辿るライアの声は、不安気に揺れている。
前々から嫌な予感がしてたけど、確かなことが言えない間は、余計なことを言って不安にさせるよりライアには話さない方が良いと判断したつもりだった。もしかしたら、東部に行くなら、ライアが孤児院に寄りたいとお願いする気もしてんだ。でも、それを「理由は言えないけど、今は行かない方がいい」なんて中途半端なことを言って、見送ったところで、逆に気にさせてしまうのは目に見えていた。
「その小切手をマイケルに託したの。あの子が、今は長男だから。あの子ね、フロンが知ってる時よりも、頼りになる面倒見の良いお兄ちゃんになったんだよ。マイケルに託せば、孤児院のことは大丈夫って思ってるから……私はそのまま旦那様に言われる通りに馬車に乗ったの……だけどっ」
「その小切手は、無効だったんだな?」
「……う、ん。幼い子達を気にかけて、フロンも知ってる良くしてくれたおばさんと話ができたんだけど。マイケルに一緒に来て欲しいってお願いされて行ったみたい。でも、"保護者の方が来られても同じです。これは扱えません"って断られたって……」
なんとか、そこまでライアは言い終わると、抑えていた焦りが再び、発作を起こす。
「私、貰った小切手が使えないなんて、知らなかった! お金なんて無くなちゃって、みんなあの孤児院に居られなくなったのは、私のせいだよ!」
「違う! 何も知らないのを知った上で、ライアを騙してんだ! 最初から、あいつは多額の量を払うと持ちかけながら、ちっとも払う気 気なんてなかったんだよ! 」
「……そんなの……騙される方がバカだったんだよ。なんの疑いもなく、あっさり返事した私が悪いの。私が、何も知らなかったから! 少しでもあの小切手が変だって、知ってたら……」
それに、ライアは最初に風邪を引かされたって言ってたじゃないか。それで、ライアの風邪が幼い子達にも感染ってしまって、どうしていいか分からない時に、従者がやってきたって。
第一、あそこの管理者である院長が、孤児院の生活が回らなくなる前に、手を打たなかったのが、最大の要因だ。僕らのいた時ですら、補助金を食いつぶして、そのくせに、ライアの稼いだものを、取り上げようとさえ、してたんだから。
吸い上げられなくなったと分かった途端、切り捨てたと、容易に察しがつく。
「願ってただけなのに ……。みんなが幸せになれるようにって。せめてあの家にいる時だけは…っ。願ってたのに……っ、なのに、なのにどうして、……私が、…私が自分でっ、壊しちゃった……っ」
「ライア、落ち着いて! ちゃんと分かってるから。ライアが、弟たちを守りたかったことくらい」
「だけど! ダメだった。私が自分で、壊しちゃった。バカで、本当に嫌になる…っ」
「それは違う! 僕が傍に居たら、小切手の事は気づけたと思う。ライアが分からないのは、仕方が無いんだ」
「そんなの……言い訳だよ。私が、中を守るって……フロントが外から守るって、2人で約束したのにっ、なのに、……私がしなきゃいけなかったのに、壊しちゃった……どうして……っっ?」
「ライア……違う。僕の声を聞いてくれ」
「だめ! 言わないで! 私のせいじゃないなんて、……そんなの聞きたくないっ! 全部、私のせいなのっ」
見えなくたってわかる。ライアが今、どんな表情をしているかなんて。きっと、張り裂けそうなのに、ぐちゃぐちゃになって泣いているんだ。
そんなライアを、この手で抱きしめたいって強く思った。
「傍に居なかった僕にも、責任がある。ライアだけのせいじゃない……そうだろ?」
「違うっ。私のせい……っ」
「ライア!」
「だって……、私がっ! 私のせい……」
「ライア。……ライア、聞いてくれ。大丈夫だから」
お願いだ。ライアに届いてくれ。
もっと早く。
あの時に、覚悟を決めていたらこんなことにはならなかった。
傍にいれば、しっかり見抜いて騙されなかったはずだりこの手でみんなを守れたのに……。そうすれば、そもそもライアは此処に来なくて済んだ。
今さらあの日、逃げ出すように孤児院を後にした自分を、殴りたくなった。
僕は、あの時からライアの事をーー
「……ごめんなさいっ。守れなくて……っ。2人で孤児院を守ろうって、約束したのに。フロンはいっぱい私たちのこと、守ってくれたのに……なんでっ、……。フロンが、戻って帰って来れる場所を守りたかった。なのに、どうしてぇっ、こんなことしちゃったんだろ……」
今のライアには、言葉だけじゃ伝わらない。
隔てるドアが憎たらしくて堪らなくなる。
どうして指一本、ライアに触れることが出来ないのか。
本当は、抱きしめて大丈夫だよ言ってやりたいよ。たとえ何時間でも、ライアが落ち着くまで付き合うからさ……。
……この腕でライアを抱きしめたい。
愛おしくて、
愛おしくて、堪らない。
あぁ、そうだ。
……僕はずっと前から、ライアのことを愛していたんだ。
今なら素直に言える。
誰かを好きになることは、いつか、とんでもない過ちを犯すことに、繋がるものだって思っていた。父さんや母さんのようにはなりたくない。だから、僕は誰のことも愛しく想わないと、誓いを立ていた。
だけど、違う。
何よりも大事な人を守らなかったら、なんの意味もないじゃないか。
「……分かってるの。もう、戻ってこないっ。みんなが、どうなったかなんて、、……みんなが、無事なんて……、ちゃんと、生きててくれているか、……。急に放り出されたのにっっ無事でいてくれることなんてっそんな甘いこと……」
心配ない、って言ってやりたいのに。言葉が出なかった。皆がどうなったか、僕も分からない。考えると、息が詰まる。
「みんなの幸せを願ってたのに……っ。壊したくなんか、なかったのに。こんなつもりで、此処に来たわけじゃないのっ……っ。ぜんぶ、ぜんぶ、私のせいだよ。怖くてっ、怖くて怖くて、だけど、どうにもならなくて、助けなんて何処にもなくて、何も考えられなくて、守って欲しかった…。こんなはずじゃ無かったのにっ。……苦しぃっ」
「ライア」
「もうこんな私、だめだよね。叱ってよ? フロン。怒鳴って。どうして守れなかっただ?! って。バカじゃないのかって! ……私のこと、嫌いになって!」
「僕はライアのこと好きだ」
「うそ。だめ! 呆れてくれなきゃだめだよ。嫌いになって! 軽蔑してよ! 私はっ、みんなを……守れなかったのに……恨んでくれなきゃっ。フロンだって、ずっと、ずっとずっと、働いてくれてたお金をたくさん送ってくれてたのに、そうやって、守ってくれてたのに……それを全部、無駄にしたって、怒ってよ」
……聞こえやしない。
どうしたら良いんだ。
どうしたら、ライアを落ち着けられるんだ?
なぁ、頼むから。早く笑ってくれ。
もう自分のことを責めるなよ。
ライアに責任があるというなら、僕にもある。
許さないでとか、怒ってとお願いしてたのに、今のライアは謝り初めて、本当に心が乱れてる。繰り返し、繰り返し、ライアは謝り続けた。
「フロン……。フロン、助けてっ。横に居て。お願い、フロン……」
静かな、消えそうな声で今度は、僕を呼んでいる。
あぁ、本当なら応えてあげたいよ。横に居て、抱きしめたいのに。
「僕だって、行けるものならっ」
1枚のドアなんて、壊してやりたいのに。
どうにもならない。
何もしてやれない。
「ライア。僕は此処に居るよ」
「フロン、本当はっ。本当はね、すごく怖かった。あの家がなくなってて、誰もいなくなっちゃって、それを見た瞬間、足元から崩れ落ちそうなくらい。息が止まるかと思った。苦して苦して、怖くて……。もう、何が起きてるのか分からなかった。こんなこと、信じたくなかった。今だって、信じられないよ……だけど、どうしたって、これが本当にあったことなの。怖い……っ……フロン、ごめんなさいっ。……どこにも行かないで。ここにいてフロン。お願いっ。フロン……」
旦那様からみれば、こんな状態のライアは"使い物にならない"だろ。歌の競い合いをしようが、ライアは舞台に立つことすらままならなかったはずだ。それでも、無理やり立たせて、歌えと急き立てて、見物人や審査員からは、笑いものだ。それは、歌姫の持ち主である旦那様が笑われたのも同然。
旦那様の怒りと、奥様のライアに対する嫌悪。物置に閉じ込められても、使用人が止めることなんてできない。誰も味方なんていないも同然だ。
だけど、こんなの酷いだろ。
通常の精神状態でさえ、こんな所に入れられては、徐々に不安になると言うのに。まして、壊れかけている精神状態のライアを薄暗い物置に、数日も閉じ込めているなんて、狂ってる。
このままライアが壊れてしまったら、どう償ってくれるって言うんだよ?
どうせ、気にもとめないんだろ。
「こんな声があったからっ! ……歌なんて、歌っていなきゃ……良かったの」
「そんなことあるか! ライアの歌声があったから、今までみんなを守ってこれたじゃないか」
「だけど! 結局、その歌声が原因で、壊しちゃったよ。それなら同じこと。……私のせいだよ。もう、戻らないーー」
「ねぇ、フロン。私が歌えなくても、嫌いにならないでいてくれる……?」
「あぁ。好きだよ」
「……」
「歌えなくてたって、ライアはライアだよ。価値なんて下がってたまるか」
掠れて、絞り出す喉からは、ライアのあの綺麗な歌声は出そうにない。
だから、今は僕が、代わりに歌った。
誰にも聞こえない、小さな声をライアだけに。
歌には力があるから。
たくさんもらった、あの歌を。
なぁ、ライア。
大丈夫だよな。
今は気が正気には保てないだけで、壊れてしまわないよな。
歌い終わり、僕は呟いた。
「ライア、愛してるよ」
そして、ライアはぽつりと何かを呟いたかと思うと、突然、低い位置から倒れる音だけがした。ドアの外に居る僕に、ライアを抱きとめるすべは無かった。音からすると、尻をつけた座った状態から、肩から床に落ちたくらいだろう。
でも、やっとライアは、眠れたみたいだ。




