おかえり
最初に雇われた屋敷は、爵位のない裕福な家庭で、メイド二人と、男の使用人が一人いる程度だった。
四十を過ぎる男の使用人から、初めて屋敷で働く僕に、仕事の仕方を教えてもらった。実質、彼が他の使用人の中で上の立場だ。まずは、ペイジボーイとしての主人の身の回りや雑用など見習いとして与えられた。小さな屋敷だったけど、人がいない分、一人当たりの仕事量も多少はあった。でも、働き方を知らない僕がそれなりにできるのは、孤児院で多少培われたのかもしれない。
手紙を誰からか定期的にもらう女性は、半年経ってもこれまで手紙を送られて来ない僕に、聞いてきたことがあった。「あなたは、お金を実家に送ってるのよね。家の人は手紙を一度送ってくれないの?」と。彼女は、将来を約束した彼が居て、お金をお互いに貯めて、いつか暮らすのだと、夢を語っていた。
僕は、ライアや弟たちが今もそれなりに暮らしていけてるなら、手紙でやりとりしなくても、それで良いって思ってる。
そこを三年ほど経った十八のとき、主人のお供に外に出ると、義父の知人と偶然出会い、僕に気づいた。聞かされた主人は、僕がかつて貴族の子供だったことを知る。流石に爵位を持たない身分の主人は、僕を雇っているのは、いたたまれなくなったのか、紹介状を渡されて、出されることになった。
長く教えてくれてた上司からは、「いい機会じゃないか。お前なら、いずれ何処かで従僕になれる」って逆に励まされた。
それを手に持ち、今の伯爵家の屋敷に雇ってもらえた。歌の上手い女性を探してる話は、その日に聞いた。ライアが旦那様の目に止まる不安は、悪いことに的中してしまう。
可笑しな話だ。二度と会うつもりなんて、なかったくせに、逃げるように孤児院を出たくせに。一度会ったら戒めが無かったかのように、僕は自分からライアの元へ会いに行っている。
☆☆
予定通り旦那様は2週間ほどで、屋敷に帰って来た。相変わらず機嫌は悪く、従者を連れすぐに部屋へと戻って行った。姿は見てないが、ライアももちろん一緒に帰って来たと聞いて、少し安心した。馬車はたまに暴れ出す事もあるから出先で事故が起きないで済むようにと、心配していたんだ。もしかしたら、どこかに送り込まれていないかとか、悪い方へ、悪い方へ考えてしまっていたから。
良かった。ライアの身に何事も無くて。
本当は、真っ先に顔を見せたかった。でも、何度かいつもの蔵書室に行っても、ライアの姿は無い。サラが止めているのか、それとも旦那様の管理下が厳しくなったのか。
帰って来るならまた、屋敷に多少は歌声が響くのかと思ったのに、10日の時が経っても1度も聞こえて来なかったのは、予想以上に事態は悪いのかもしれない。旦那様のお怒りはまだ冷めないのだろか。
まるで、ライアがこの屋敷に居ないも同然の扱いだ。聞こえてくる歌声を楽しみにしていた他の使用人さえ、聞こえなければ聞こえないで、それほど気にしてるわけでは無かった。ただ、サラだけは、依然として通常業務ではなく、ライアの侍女をしている様子から、やっぱりライアが確かにこの屋敷に帰ってきてることだけは、分かっていた。
朝礼を終え、使用人たちがばらけて退出するタイミングで、サラに声かけた。
「サラ、ライアに何があったんだ?」
「……フロンのことだから、聞いてくる頃合だとは思ってました。ですが、私からは言えません。……お二人がまた会うことは、承諾できないんですっ」
「そんなこと、まだ言ってるのか!」
「言いたくありませんっ」
逃げるように立ち去ろうとするから、僕も必死になりつい腕を掴むと、怯んだようにサラは僕の顔を見る。ライアの手さえ、そうやすやすと触れない僕が、サラに触れたことなんてこの2年無かった。そのためか、サラ本人も驚いたように、結果的に足を止めてくれた。
「頼む。教えてくれないか」
「ライア様のこととなると、必死な目になるのは相変わらずですね。……何が起きてるのか、言わなくてもこうなんです。言えば、フロンがもっと冷静じゃいられなくなるのも、分かるから……言いたくなかったんです」
「どういうことだ?!」
きつくなった表情を緩ませ、サラは僕からふと目線を逸らした。
「……もう仕方ありませんね。私だって、本当はフロンに伝えたいって、思っていたんです」
「……もう、見ていられませんっ。ライア様に会ってあげてください。フロンが行ってあげなかったら、ライア様は、このままじゃ……!」
それから、サラは何があったのか話してくれた。
「歌なんて歌える状況ではありませんでした。この場でライア様の歌声を知らしめようと考えていた旦那様は、相当お怒りです」
「それで、ライアは今どこに?」
「西にある物置に、お叱りを受け閉じ込めてられています……。ランプの光も与えて下さらない部屋ですから、ただでさえ、衰弱してらっしゃるのに、明るい気持ちになんてなれるわけありません……。ここしばらく寝れていませんし、食も極端に細くなっています」
「……っ」
「ですけど、ある意味でライア様は歌わなくて、結果的に良かったと言えるんですよ」
「良い評価を得れば、あの場でライア様を売りに出すご予定だったそうですから。奥様が、早くライア様を手放して欲しいと、しきりに仰って居ましたから」
「予定が狂った腹の背にライアを?!」
「待て。ライアが歌えなくなった理由なんて、そうあることじゃない。何かあったのか……?」
「大会に行く途中で、ライア様の希望で孤児院に寄ったのですが、閉鎖され子供たちも誰も居なかったんです。私は、残念ながらあまり事情が分からないのですが……。ライア様は、あなたに"ごめんなさい"って謝ってましたよ」
「」
「私が、教えられるのはここまでです。ライア様が、孤児院を心の支えにしてきたことは、私にも見てわかります。フロンは尚更、ライア様の事が分かるんですよね? その支えを失ったライア様が、どんな思いかっ」
引き止めるために一度掴んでしまったサラの腕を今度は、逆に掴まれた。僕とライアが会うことを1番反対してたはずなのに、逆に懇願するように。むしろ、西側の物置に居るというライアの元に、今すぐ走り出しそうに僕を止めているのかもしれない。
「ですけど、だからって今日はライア様に会わないで下さいね。あと四日待って下さい。……旦那様が、帰国されるアルバート様を出先で迎えたあと、そのまま一泊されそうです。会いに行くなら、せめて旦那様がご不在のその日に」
「分かった。日中は人気があるから、行くなら夜中が都合が良いな」
「ええ。その日しかありません。ですが、会うと言っても、その時間はドアが閉まってるので扉越しなんですけどね。それで良ければ、です」
つまりは、サラと言えど夕食を終えると、物置の鍵は、誰かに返さないといけないらしい。直接顔を見たかったけど、叶わないならその条件で頷くしかなった。
「では、ご承知かと思いますが、くれぐれも他の人には、悟られないように……」




