行きたい場所は無いくせに
そして、あれから7日後。定期的に呼ばれている酒場に、歌いに行った時だった。
「ライア、帰るよ」
「やだぁ。帰りたくなぁーいぃ!」
"いーっ"と、写真を撮るときの顔。いや、それよりも強い拒否の表情を僕に向かってした。
ライアの顔は、すっかりアルコールで酔い赤く染まっている。宙に浮いてるようにふわふわっとしてる分、暴れないし、泣き上戸とか笑いだしたりしてないのは良いけど。多少の可愛げは残しつつ、なんとなく面倒くさそうな酔い方だ。
「がははははっ! ここは男らしくライアをしっかり送ってやるんだぞ! あ、そうそう。ライア、今日の歌声も良かったよ。また楽しみにしてるからなぁ」
「はぁいっ。ありがとうございます! また聴きに来てくださいね〜」
ライアが歌い終わって少しすると、家で待つ奥さんの機嫌を損ねまいと帰っていくお客も、ちらほらといた。そんな帰り際、僕とライアが座っている場所まで来て、この光景を面白がるようにわざわざ言いに来たのだった。全く、他人事だと思って……。
声をかけられたライアは、お客さんに向ける笑顔を作りつつも、アルコールのせいでふにゃっとなる。
「……でも珍しいな。ライアが呑むなんてなぁ!」
「誰のせいです。誰の」
僕はいつものように、後ろの席から眺めていたけど。ライアが歌い終わった後、お客さんと和やかに話してる様子を見ていると、勧められるままに、アルコールをライアは口にしていた。止めるべきか少し迷ったけど、ライアが呑むことで酒場の売り上げの貢献に繋がるなら、仕方ないと思った。気づいたら、色んな人が「俺のもやるよ!」と勧め出して、次第にライアは気持ちよくなって、何かあったわけでもないのに1人で、くすくすと笑い出す始末。
……どのくらいアルコールに強いのか知らなかったし、少しくらいならと思って止めなかった僕も悪いけど。いい加減そろそろ呑むのを止めさせないと不味いと、思った時には既に遅かった。
「いやぁ、ライアが面白いくらい呑むんでな。でもよ、あいつ、意外にいける口だな!」
「……まったく」
「まぁ、大丈夫だ坊主! 酔っても帰れっだろ」
酔った飲み仲間を家まで送り届けることに慣れているのか、さほど気にしてないように笑い飛ばされた。
「ほら、帰ろう。ライア」
「やぁーだ」
妙に楽しそうで、わざとただを捏ねて僕の反応を見て遊んでるみたいにも見えた。ため息をつくと、ライアは微笑んでくる。仕方が無いからライアのコートの裾を引っ張って、半強制的に店を出た。
僕はその……、触れたりすることは出来れば避けたいから、抱き抱えたりすれば簡単かもしれないけど、着衣の一部を引っ張るので精一杯だ。おかげで、肩も支えてあげられてないから、足がおぼつかないライアはヨタヨタと今にも倒れそうななっている。
「もぅ、勝手に連れていかないでよぉー。どこ行く気ぃー?」
「……人聞きの悪いこと言うなよ」
身体を動かすと酔いが回ると聞くし、休んだ方がいい気もする。少しだけ歩くと、丁度ベンチがあってそこに座る事にした。時間を置けば、少しは酔いも冷めてくれると良いんだけど。無理やり座らされたライアは、つまらなそうにしている。
「ったく、呑みすぎ」
「なぁに、お説教ーぉ?」
「どうしてそんなに呑んだんだよ?」
「……………だって」
唇を尖らして、抗議した。
「……そんなの、フロンのせいでしょ…………」
むくれたライアはまるで、ご機嫌斜めになった拗ねたマイケルとダニエルみたいになっている。1番下の子たちに似ていると言ったら、またむくれるんだろうな。
「僕の?」
「鈍感で、辛くなって、どうして良いのか分からなくなってっ。……前にお客さんたちが、どうにもならない時は、呑んで忘れてしまえば良いって言ってたのを思い出して……」
一度だけ短い息づきをすると、ライアは続けてまた喋った。
「呑まないと、なんか今にも、フロンが聞きたくないこと、言っちゃいけないことが口から出てきちゃいそうだったんだもんっ」
「……ライア」
何を言い出そうとしてたのか。言葉を続けようとしたライアは急に雲行きの怪しい顔になった。
「うッ。だけど、呑んでちょっと後悔してる。頭痛いし……なんかね、吐きそう……かも」
「えっっ」
そう言われた瞬間、触らないで運びたいなどと言ってる場合でもなくなり、諦めてライアを抱き上げ、公園のトイレを探した。調子に乗るライアは、腕を僕の首に巻き付ける。……吐きそうなくせに。
家に着くと着いたで、帰りを寝ないで待っている2人が出迎える。「何で、お前が付いていながらライア姉がこんなことになってるんだよ。しっかりしろよ」とウィルフレッドに睨まれた。
翌朝、ライアは僕を見るなり申し訳なさそうにした。
「昨日は、困らせてごめんなさい」
「記憶あるの?」
「……うん」
何か言わなきゃと思いつつ、お互いに言い出せない気まずい空気が流れている。酔いの冷めたライアに"どうして呑んだのか"って改めて訊こうと思ったけど、聞かない方が良いかもしれないと思い直して、口を閉じた。
原因はやっぱり、数日前に僕が釘を指したことなんだろう。なるべくなら、その話はしたくない……。
「ライアのこと、嫌いだって言ったわけじゃないからな」
「そ、それは分かってるよ!"大切な家族"だってフロンが言ってくれたのは、本心だって分かってるから。私も嬉しかったよ…… 」
「……」
「……」
お互い一定の線以上は踏み込まないで沈黙していると、吹っ切れるようにイタズラぽくライアは笑った。
「ねぇ、フロン」
「ん?」
「ごめんね。もうお酒、呑まないから」
「もう良いよ。僕も原因あるし」
「……ありがとう。十分伝わってるよ。もう満足するから。これからも普通で居てくれる?」
「普通でいいよ」
**
数日後。かねてからお願いされていた本の読み聞かせを今日、始めることになった。
寝る前にみんなを集めて、地べたに座らせる。座る順番はもちろん、小さい子順で僕の前にマイケルとダニエル、ニーナが最前列になった。みんなわくわくと目を輝かせて、耳を傾けたる。
「わーい! いよいよだね!」
こうして、準備ができると僕は本をめくった。
「あ。読む前に言っておくけど、ここに出てくる人の真似はしちゃ駄目だからな。とくに帽子屋と三月ウサギのことは」
「……帽子屋? うさぎ?」
みんなはキョトンと顔を合わせている。
「読めばこれから出てくる人たちだけど、あれはアリスがちょっと変な……普通じゃない世界だからできたわけで、ロンドンでやっても駄目なんだよ。ティーポットを落としたらどうなる……?」
「もちろん、割れちゃって使えないよ」
果たして、この部分を読んだ後にどう思うかな。一瞬でも、"もしかしたらカップを半分にしても注げるかも"って試してみたくなるものだから。
"アリスは姉が読み聞かせてくれている横で、うとうと眠くなってしまいました。ネコのダイナと遊びながら、耳半分"
「ねぇ、フロンお兄ちゃん。セリフはもっと感情込めて読んで?」
アリスが白ウサギを追って穴に落ちたところまで読んでいると、ニーナが突っ込んで来た。確かに、棒読みというか、単なる朗読みたいな感じだったかもしれないけど。
「この前ね、ちらっとだけ街で見かけたの! 劇ではないんだけど、声だけで物語を楽しく語ってる商人さんだったかなぁ」
簡単に言うけど、それは商売でしてるのであって、今日初めて誰かに聞かせるために読んでいる僕にいきなりハードルが高いんじゃないか……?
見渡すと、既に十分楽しんで家くれているマイケルとダニエル。それから、黙って座ってる事が不服なのかそれともやっぱり僕のしている事が気に食わないのか素っ気ないウィルフレッド。ニーナとそれに合わせて期待を弾ませるディナ。
ついには、その空気が伝染してか、末っ子組のマイケルまでも「やってやって!!」と目を輝かせて言う。
「……っ」
う。すっごく断りにくい。
まぁ、ロミオとジュリエットを感情込めて読んでと言われるよりは、ましか……。そう自分に言い聞かせて見た。
「……分かったよ」
その途端、みんなは「やったぁー!」と叫んだ。こんな事で本当に嬉しいそうに笑ってくれるなら、他のこともやって上げたくなってしまうあたり、僕もみんなに甘いなって思う。少しだけ、親心が分かってしまったような不思議な心境になった。
「頑張ってね。フロン」
にこにこと僕に笑いかけたライアは、気恥しい気持ちも子供たちのお願いにあえなく負けた葛藤も全部、見透かしている。"でも、小さい子たちが喜んでくれると悪い気持ちしないよね"って、言った具合に。
それから毎日、寝る前に僕とライアも巻き込んでアリスの物語を読んで聞かせた。
小さくなったアリスはビンにすっぽり収まり、海の波に流されていく。そしてドードー鳥達に踊らせれたのは それが昨日までの話だった。
「"どの道を歩けばいいかしら?"」
「"何処に行きたいのかが問題だ。じゃないと教えようがないね"」
「"どこでも良いの"」
「"何処でも? だったらどの道でも、君の好きにしたら良いよ。必ず何処かには、行き着くのだからね"」
チェシャ猫は、ニヤニヤと笑っている。楽しい観察対象を見つけたのか、愉しそうな雰囲気が文面から伝わって来た。普通を望むアリスの願いとは裏腹に、何処へ歩いても調子狂う世界しか広がってはいない。
何処へ行きたい? そう聞いておいて、三日月ウサギへの道も、いかれ帽子屋への道も、どちらを選んだって行き着く先は結局、同じだったじゃないか。なぜ、帰らしてくれないのに期待させる言葉を囁く?
だけど、アリス。
君は望んだはずだ。へんてこで退屈しない世界を。
それでも、やっぱり抜け出したいと望むのか?
だとしたら、君は僕と一緒だ。




