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見つけたくは、なかった




挿絵(By みてみん)






 あれから2年。僕がこの屋敷で働き始めて、その間にいろんな事を耳にした。



 この伯爵の屋敷には、二人の子供が居たらしい。御息女のアンジェリカ様は三年前に亡くなったそうだ。一番気落ちしていたのは、奥様だったと、これもおしゃべりな使用人たちから聞いた。お嬢様は歌うのが大好きな女性だった。いつも響き渡っていた楽しそうな歌声が屋敷から消え、静かになってしまい見かねた旦那様が、酷く衰弱した奥様に元気になって欲しいと願い、歌声の美しい娘を探し始めた。そんな経緯だ。

 


長くいる使用人も口を揃えて、お嬢様を賞賛している。彼女が歌うその様子は、毎日屋敷では楽しそうに。花が舞うように、美しい歌う声が響き渡る。本人が幸せそうにするからこそ、余計にその歌声は、聴いている人の心を動かすのだろう。


 ――そんな光景が、居合わせてないのに、不思議と脳裏に浮かんだ。お嬢様の歌声が今も、忘れ去られない存在になっている。その気持ちが分かる気がした。

 ライアの歌声も同じだ。心を込めて幸せそうに歌うからずっと聴いていたくなる。嫌なことを忘れていられんだ。僕も五年経った今でも、ライアの歌声をしっかり覚えている。



 そして第一子である兄のアルバート様は現在、海外へ。お嬢様が亡くなられた際に旦那様と言い合いになり、アルバート様の意思に反し欧州の別の国に送られてしまったらしい。近々、男爵のご令嬢と婚約を進めるために帰ってくると噂だ。

そして旦那様と奥様の不和。旦那様は奥様に対して、尽くしているようだけど、奥様は旦那様をあまり愛しては無いらしい。そう言った空気の悪さは働いていて、実感している。それから本当は、使用人を雇うのも困難な経済事情だとか。婚約の話もその困難を打開するための解決策。

……そう言った具合にあまり評判の良いものばかりじゃなかった。


 それで影で使用人たちは、

"今日も旦那様は朝早くでかけて行かれたのね?"

"また例の歌姫探しのためよ"

"まぁ、今度はどちらに? 北? それとも東?"

 と誰が歌姫と名前をつけたのかわからないけど、いつまでも見つからない探し物を、面白がって揶揄している。


 まるで、ガラスの靴の持ち主を探すお伽噺みたいだと、誰が言った。確かに、かの王子も舞踏会で会ったきりの女性を探していたんだっけ。見つかるかも分からないたった一人の女性を国中から探すなど、どのくらいの偉業だったのか。旦那様の探し者は、同じように空を掴むようなものに思えた。


女性の使用人は、雇われてから旦那様に「念の為、歌ってみせろ」と旦那様に言われたらしい。まだ慣れない職場で、突然言われるものだから、旦那様は変わり者なんじゃないかと思うのも無理はない。怒られない為にも僭越ながら歌うと、「やはり違うな」と言われてしまう始末。

"もし私が歌が上手かったなら"と、貧しい暮らしから一転するのを夢見、男の使用人たちは、それを軽く笑っていた。

そのくらい、庶民が貴族の旦那様の目に止まるなど考えられないことだった。




 

 だけど、ついに――。

 いつもの探しモノをしに外出した夜、帰って来るなり旦那様が興奮に満ち、興奮を抑えきれないように旦那様は声を上げた。


「見つけぞ! あの娘こそ探していたモノだ……っ! 三年の月日を経て、やっとだ!」


 僕はそれを耳にして思わず、自分の持ち場を忘れて手を止めて立ち尽くしてしまった。数秒して、我にかえる。




「これで旦那様も、少し落ち着けて良かったですね。奥様も、お元気になられると良いのですが」

「……」


 旦那様の姿が廊下から消えた後、同期であるメイドのサラが小さな声で僕に呟いた。歳も近く、サバサバしているせいか話しやすい性格をしている。最初に会ったのは僕が18歳でサラが16の時だ。でも、今回ばかりは話しかけられても正直、それどこじゃないんだ。


「……さぁ? どうなるだろうね」

「あ、ちゃんと聞いてたんですね。気持ちがどこかに言ってましたけど」


 じっとサラは、何かを読み取ろうと僕の顔をのぞき込む。


「なにか、引っかかる言い方ですね。悪い話じゃないと思いますよ。今まで普通に暮らしていたなら、尚更。ここでは大切に扱われるってことですよね?」

「だったらサラは、自分の歌が旦那様の目に止まったら良かったのにと思う? 貴族のように暮らせるまたと無い機会だよ」

「まさか。それは、……困ります」


聞かれたサラは嫌そうに首を振った。お嬢様として迎え入れられることは、どんな意味を成すのか。自由は? 本当に心置き無く暮らせるのか? あの旦那様と奥様と暮らすのは、できれば避けたいと、男の僕でも思う。サラだって本当は分かってるんだ。多分、そんな暮らしに憧れを抱く彼女(メイド)たちも。

そもそもお嬢様として扱われるかも、定かじゃない。口ではそう約束されても、結局は旦那様に金で買った者と売られた者。貴族と庶民だ。


「この屋敷に、雇われてるくらいがちょうど良いです。そもそも私は黒髪なので、歌姫候補からは外れてるので」



ライアが来ると決まったわけじゃないから、今考えても仕方が無いことなのに。どうしても考えてしまう。


「やっぱり、なんだか変ですね」

「なにが?」

「貴方の態度です。いつもは落ち着いているのに。気が散っていると言うか……。顔色も悪いですし、何かありましたか」

「……別に。いつもと分からないだろ」


 再び僕に問いかける。いや、問いかけじゃなくて、問い詰めるわけでもない、呟きの様なものに近いかもしれない。責めるわけでもなく、心配そうにサラは僕を見つめている。

理由なんて、誰にも言えるはずがない。






 

 旦那様は従者を連れて、今朝早くに再びあの東の街へと出かけて行った。もう時期、陽も沈む。そろそろ馬車は屋敷に戻ってくる頃かなと、つい窓の外に目をやっていると――




「失礼します」


 突然、声がした。

此処に人が来るなんて思いもよらず、完全に気を抜いていた。驚いて指の力が緩み、バサバサと紙が床に落ちる。それで、やっと今の今まで考え事をしていた事に気づいた。


僕が仕事をしていたこの蔵書室は、離れにある。二階建ての建物は木に囲まれていて、窓から見える景色は森の中に居るような、本館と切り離された、静かな空間だった。


「大丈夫ですか」

「あ、まぁ……」

「トーマスさんが呼んでます。………にしても、仕事が進んでないようですね? 貴方にしては珍しく、手が止まっていますよ」

「……あぁ」


 資料を整理する筈が、机にばさっと出してすぐに考え事が始まってしまい、散らかったまま。そんな様子を見て、サラが紙を拾い集めながら不思議そうな目を向けた。


「そのままで良いので、行ってください。別の仕事を先にして欲しいそうですよ」

「困ったな。終わらないのに」

「終わらないのは、ぼんやり窓の外を見てたからだと思いますけど?」

「自業自得だよ、どうせね」


 そう言って、サラは抱えるだけの本を腕に持ち何十個も並ぶ本棚へと姿を消した。

 二年前から、割りと一緒に仕事をしたりするけれど、歳も近いし同期なのだから別に敬語を使わなくても良いと言ったけど、彼女は未だに僕に対してもそのままの口調でいる。一番最初の時は、大人しい子なのかと思っていたけど、最近はやけに、僕に対してはっきりと言うようになった。でも、それもわざとなんだろうな。楽しんでいるようにも見える。……サラは言わなくても必要以上に入り込んでこないし、適度な距離を保ってくれるから助かる。前の屋敷では、少し困ったことがあったから。悪気はなくても好意を向けられるのは、やっぱり苦手だ。


「……今度、手が空いた時に、手伝いに来ましょうか?」

「指示されてないのに勝手に蔵書室に来て、家政婦長さんに叱られても、知らないからな」



 そしてサラは、こんな感じで根っから悪い人じゃないのも良く知ってるし。だけど、その申し出は遠慮しておく。



「ほら、また窓を見た」


 無意識にまた見てしまった。言い当てるようにサラは、じっと僕の目を見る。


「今日はずっと上の空ですよ。……そう言えば、あの日から1ヶ月、ずっとこうですね。でも今日は特に、浮かない様子で。まぁ、今日はジィーンさんがフロンとは逆に、妙に張り切ってますが」

「……まったくあの人は」

「女の人に目がないですからね。偶然廊下で会った拍子に、手、……出さないと良いですが」

「まさか、そこまで馬鹿じゃないだろ。彼女は旦那様の所有物なんだから」

「ジィーンさんなら驚きませんよ」


 はぁー、と呆れたような溜息をサラは漏らした。女の敵だという目つきで。もちろん、僕にはそんな目つきを向けられた事は今まで一度も無い。

 そもそも僕だってそう言うのは、心底嫌いだ。それにサラがジィーンに絡まれている所を助けたのは、僕だったから。懲りずにあの人は他のメイドや厨房にいる女性にも声をかけてるみたいだけど。中にはあいつの口説きで、その気にさせられて騙されている人もいるらしい。


「そう言えば、最近はちょっかい出されてないか?」

「はい。おかげさまで。ジィーンさん、言ってましたよ。君には優秀な番犬が付いてるなって」

「番犬って。あー、僕のことか……他に言い方あるだろうに」

「騎士か、護衛とか言われた方が良かったですか?」


 冗談混じりにくすくすと笑われた。さすがにそれは、買い被り過ぎだ。


「確かに、屋敷に来て早々先輩に噛み付いたのは認めるよ」

 そこが犬ぽいと言うなら、番犬だと例えたのも仕方ない。


「……いえ。フロンは私にとって騎士ですよ」

 聞き流しそうな小さな声がしたかと思ったらサラは呟くと下を向く。流石にそれは買い被り過ぎたと言いかける途中で、サラは「おしゃべりが過ぎました。急ぎましょ……」と小走りになった。

 その時、遠くから複数の軽快な足音が聞こえてきた。


「馬車の音……?」

「旦那様が戻って来られたのか」


 箱型の二頭立て馬車は、玄関の正面で止まったのか馬の足音は止まり、静かさが戻る。執事のトーマスさんが、手を差し伸べると女性が降り立つのは見えた。だけどやっぱり窓の外に目を向けても、此処からだとこれ以上はよく見えなかった。



 その日の夜。

 旦那様と奥様が夕食を済ませ、やっと僕らが休憩室で食事を取っていると、何処からとも無く声がした。自分の領域だと思わせるほどに、屋敷中を取り込んで、歌声が響き渡った。それは楽しそうに。まるで踊っているかのように歌っては、人々を魅力する。姿は見えず、声を聴いただけの僕ら使用人たちでさえ、唸らせるほどの歌声だった。思わず、誰もが食べる手を止めてしまう。それを聞いた使用人たちは口を揃え、名前も知らない彼女に"歌姫"と愛称を付けた。


「……っ」


 ただ僕だけは、別の意味で耳を疑った。知っている歌声よりも遥かに上手くなっている。昔、たくさん聴いたその歌声を、僕が間違えるはずもない。聞き覚えのあり過ぎる声の主は、紛れも無くライアだった。




 それでも信じたくはなくて、いや、旦那様の目を盗んで誰にも知られずにライアに会って確かめなきゃいけないと思った。問題はこの屋敷の中でどうやって、ライアを探すべきか。僕はルームメイキングの担当じゃないから、屋敷中の廊下や各部屋を回っているのは不審すぎるので、できない。かと言って深夜の寝静まった頃に自室を出て探し回るのは、もっと怪しい行動だ。そして、問題はまだある。鍵がかかっていたらどうするか。


「また、ぼーっとして! 執事や旦那様に見つかったら叱られますよ」


 蔵書室に向かう途中、なんとなく立ち止まって何処かの部屋のドアを眺めていると、後ろから声がした。振り向くと、サラがティーセットを手に持ち、立っていた。カップの底に残る紅茶を見て、今から洗い物をするのが分かる。最近サラはやたらと僕に目を光らしてる気がする。


「サラこそ、給仕なんて初めて見たけど。奥様に? でもそれは侍女の仕事だと思ったけど」

「……今日から配属が変わったので。私は、奥様の侍女ではなく……」

「じゃ…ラ、……っ」


 まさか仕えて二年そこらのサラが旦那様の給仕を任されるとは思えない。……じゃ、ライアの? 危うく口走りそうになって、止めた。


「歌姫さんのです」


 思った通り、サラはライアの名前は口にしなかった。意図的に隠したのなら、僕が歌姫の名前なんて知っていたら可笑しな話だ。


「廊下で歌姫を見かけても話しかけてはいけませんよ。旦那様の意向ですから 」


 さらっと釘を刺されて、内心苦笑する。侍女であるサラを除いて、使用人は歌姫と接点を持つことは許されないわけだ。サラになら、部屋の在り処を聞き出すことができると思ったけど、それも軽はずみな行為だろうな。


「そういう訳で、フロンの預かりしれぬことです。お仕事頑張って下さいね。この所、心ここにあらずで貴方らしくないですこら。また、ぼーっとしてたら、終わる仕事も終わらないですからね?」

「……っ、これから気をつけるよ。その分、勤務外にでもやって終わらせれば問題ない」


 昨日の様子から見て、僕の仕事がやや溜まっていることはサラもお見通しだった。朝早めに取りかかかってなんとかすれば、終わらない程でもないだろう。


「もしかして、明日の朝から蔵書室で仕事始めるつもりですか?」

「そのつもりだけど」

「でしたら、七時過ぎに入室して下さい」

「突然、取り締まられても困るな」

「……その。……それも旦那様の意向ですから」


 それ以上は聞かれたくないように、お茶を濁しながらサラは目を逸らした。「絶対ですからね」と去り際にまた念を押す。そんなに行くと困ることがあるのだろうか。




**


 次の日の朝。日が昇るのが遅くなったこの時期の、六時半前に僕は人目を避けつつ蔵書室へ向かった。サラには駄目と言われてたけど、そんなの守っていたら仕事が遅れてしまう。……と言う建前を用意しつつ、本当は七時前の蔵書室に何があるのか確かめたかった。




 慎重にドアノブを回し静かに室内に入ってみると、昨日消したはずの電球がついていた。蔵書室の鍵を持っているのは、執事と家政婦長と、管理を任されている僕だけ。他に開けられる人なんて居ないのに。中に居るのは、ライアか。それとも他の者か。人の身長より高い本棚を一つ一つ注意深く覗き込み、犯人が潜んでいないかを確かめながら、ゆっくり歩く。幾つか過ぎた頃、鼻歌混じりの微かな音程が途切れ途切れに聞こえてきた。


 風に乗るような歌声が、耳を掠める。

 どこか懐かしく、安心する声。


 曲、その声色、空気、暖かさ。

 それら全部、僕は知ってる。姿は見なくても、確かにライアはこの部屋に居るのが分かった。

 

 心臓の鼓動が、早く打つ。

 足は、小走りになる。

 声のする本棚に駆け寄ると、人影が見えた。


 あぁ、……やっぱり。

 間違えない。



 "歌姫"は、ライアだった。

 今度こそ、はっきりした。


 この目で見るまで信じたくはなかった。できれば、ライアじゃない、別の歌姫が選ばれれば、どんなに良かったか。そんな事、願うのも他の女性に悪いけど。


 



「……どうして……ライアなんだっ!」



 別れ際、約束しただろ?

 絶対にこんな事するな、ってさ。



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