物語は僕に問いかける
「あとね、変わらないで欲しいのは、あの子達も。孤児院を出たあとだって、大変な生活の中で生きなきゃ行けないと思うから……」
「そうだな」
「ウィルがあの中で一番に、孤児院を出るでしょ。年頃になれば、きっと好きな女の子ができると思うの。その時に、あの男の人が口にした言葉を言う子にはなって欲しくないから。……あと……」
「ディナやニーナのことも?」
「……うん。ここで暮らしてたら守ってあげられるけど、出たらそうは行かないから。かと言って、ずっと残れるわけじゃないし……ディナとニーナは女の子だから心配でっ」
「ライアも女の子だけど」
「わ、私の事は今は良いのっ」
一応、ライアのことだって、もれなく心配してるんだけどな。とは言っても、ライアにはその光る歌声があるから、1人でも生きては行けそうだ。他の子たちも、それと同じように無事に生きていける方法とか、身を守る術とか何か持ってないと厳しいだろう。
「読み書きや計算ができれば、多少は良い仕事に就ける可能性は出てくる。身分証明とか紹介状がないのはネックだけど」
「フロン、やる事を増やしちゃうけど、みんなにも教えてくあげてくれる?」
「僕も先生じゃないから、上手くないけど、できることはしてあげたいって思ってるよ」
ライアは、ほっとしたように綻んだ。
「それから、ライアが絶対に自分の身を売らない断固とした態度で居れば、ディナもニーナも簡単には諦めないでいてくれるかもしれない」
「……うん」
「それに、僕もライアにそうさせないように守っているのを見せてたら、ウィルフレッドもちゃんと感じてくれるはず」
「私とフロンで、幼い子達にお手本を見せるってこと?」
「そういう事」
何かを築き上げる話し合いをするのは、不思議と気分が高揚する。すぐに表情に出る分かりやすいライアは、見る見るうちに笑顔を取り戻して、元気になった。
「なんか……っ、みたい」
「なに?」
肝心な所が極端に小さな声になるから聞き取れなかった。聞き返したけど口を閉じて首を振られただけで、教えてはくれない。その代わりではないけど、ライアの頬は精気を取り戻す以上に赤く染まっている。
そして、握りしめていた僕の袖口をぱっ、と離して無理をしてない自然な表情で、微笑まれた。
そう言えば、真剣な話をしていたからか僕も掴まれてる事を忘れてた。
僕らは翌日の朝、みんなを集めて昨日の夜の話をした。まだ幼いマイケルにも。
ライアはウィルに、あの言葉を言われたらどのくらい辛い気持ちになるかを、決まり悪くならずに誤魔化さず話していた。好きな人に言われたら、尚更、行き場をなくして、心が死んでしまう――と。
「分かった」
ちゃんと最後まで聞いていたウィルほ、真っ直ぐライアを見返した。答えたのは一言だけだったけど、心に届いてる。
「それでね。みんなには、もっと食べさせてあげられる方法もあるけど、それはしたくないから、今まで通り我慢させちゃうけど、良い?」
「大丈夫だよ、ライア姉。むしろ、ライア姉がオレ達のためにそういう事されたら、食事なんて美味しく食べれないと思うし。……胸糞悪い」
するとすかさずマイケルもいっぱい頷いて参戦する。
「ボクもいやだよ!もっと食べたいって思うけど、ライアお姉ちゃんがいやな思いするなら、そこまでして食べたくないもん! がまんできるよ!」
みんなを寝かしつけた後、やり残している縫い物に取り掛かる。僕は
「フロン?」
ふと、鏡を見て現実に引き戻された。
鏡の中には、まるで母さんと先生が居る見たいだった。幸せそうに笑っている母さんと、少し困りつつも愛おしそうな目線を送る先生の表情に、ライアと僕はよく似ている。
「……つっ」
嫌なほど目に焼くあの頃の光景と重なって、気が遠くなりそうだ。
どうして、僕がライアにそんな顔をしている?
鏡を疑いたくなった。
「大丈夫? 青い顔をしてるよ……」
このままじゃ失敗してしまう。
簡単だ。好きだとか、お互いそんな関係になる前に止めてしまえば良いだけだ。
「前に、いつか話すって言ってた僕の生い立ちを今、話したいんだ。聞いてくれる? それから、僕がライアに触れられて苦手な理由も……知っていて欲しい」
真剣な顔をすると、ライアもまた僕のが伝染ったみたいに緊張しつつ、真剣な顔で見つめ返してくれた。
「フロンが、打ち明けてくれるなら、私はいつでも」
部屋にはみんなが居て賑やかだし、遊ぼうって誘われてしまう気もするから家には入らないことにした。少し寒いけど、玄関前にある段差に腰をかける。ライアは折った膝の上に借りた本を乗せて、僕の隣にちょこんと座った。
「……僕が貴族の出身なのは、知っていると思うけど。そのおかげで、僕の両親は自由に結婚が出来なかったんだ」
やっぱり、いざ話すのは閉じていた蓋を開けるような、掘り起こすようで苦痛になる。まだ入口も話してないのに、冷や汗が滲み出てきて、先が思いやられる気がした……。ライアもそれを察したのか、言いはしないけど「無理しないで」と、心配そうに僕の目を見ている。
「僕が父親だと思っていた人は、血の繋がりなんてなかった。本当の父親は、母さんが結婚する前からずっと愛してた人だったよ」
つい、ため息が零れる。
「父親側の血がせめて僕に流れているなら、落胤と呼ばれたかもしれないけど、あの家で母親の血しか受け継いでいないなら、僕は何者でもない」
だからと言って、落胤として生まれた方が良かったわけでもないけど。でも逆の場合なんて聞いたことがない。
「あの人が怒るのも、無理はないって思ってるよ。違和感がありながらも育てていたけど、本当に自分の子供じゃなかったんだからね」
「……フロンは、本当のお父さんの顔を見たことあるの?」
ライアは、傷つけないようにときにしてくれてるのか、慎重に問いかける。
「あぁ、あるよ。それもしょっちゅう。兄さんと僕の家庭教師をしていた人だったから」
「そんな近くに……?」
「だろ? あの2人もすごいことするよ。……おかげで僕は、先生のことを嫌いにはなれなかった」
深く関わりすぎた。会ったこともなく知らない父親なら、完全に憎めたかもしれないけど、勉強や遊んでもらった時間を長く一緒に過ごしてしまったら、忘れることなんて、できないじゃないか。
真実を伝えられない中で、本当の息子としてどのくらい気にかけられていたか。愛されていたのか。振り返ると嫌になるくらい、沢山のことを思い出してしまう。
「普通の夫婦と同じように"証し"が欲しくて、愛し合う2人の間に子供を授かりたかっとしても、そんな勝手な2人の想いなんて、僕には迷惑は話だ……。生まれてしまったこっちは、どうすればいいんだよ」
どうせ産まれるなら、正しい夫婦から産まれたかった。厄介者扱いはされたくない。遠巻きにされ、影で聞こえるか聞こえないかの声で囁かれ、疎まれたくなんかなかった。
こんなことは間違っていると分かってて、止めることができなかった2人は、愚かだったとしか言いようが無いよ。それでも、母さんなんて、たった一夜の幸せと、先生との子である僕を産めたことを、ずっと喜びとしているなんて、救いようもない。近くに居て勉強を教えてたくせに、大事なことは何も言ってくれなかった先生も。
この2人の事を、本気では恨むことができないから余計にイライラする。
「もし、お腹の中で意志があったら、産まれてこようなんて思わなかったよ」
生きてきた間に見てきた楽しい事もあったけど、それさえも知らないままでも別に良い。生まれて来なければ、楽しい思い出を味あわないと変わりに、押しつぶされそうな思いも感じずに済んだ。この世界に僕の存在が一秒たりとも無くても、別に悔しくもない。
やっぱりまだ、暗い気持ちになるのが治ってないみたいだ。此処での暮らしは落ち着くけど、こんな感情がふとした時にぶり返して、自分でも嫌になる。
「こんな言葉をフロンは、望んでないないと思うけど。……私はフロンに会えて嬉しかったよ。フロンがどんな形で生まれて来たとしても」
ライアは泣きそうな目で僕を見ていた。
そうだ。……こんな文句はライアを前にしたら、僕は贅沢なのかもしれない。ライアはこの歳まで不自由なく身の安全を、約束された場所で生きてきたのだから。
「私はのお母さんもお父さんは、誰かなんて分からないよ。私を産んですぐに死んでしまったのかもしれないし、お母さんは娼婦だったのかもしれない。きっとお父さんが誰かなんて、もっと分からない人なんだと思うの」
「…………ねぇ。 フロンは私が娼婦の娘だったら、軽蔑する?」
「……軽蔑なんかしないっ。そんなの、ライアのせいじゃないだろ」
答えると、張り詰めていた表情をしたライアは、ほっとしたように小さなため息を着いた。
「良かった……。でも、私に言ってくれたのと同じだよ。フロンのこと、軽蔑なんてしないから」
「……っ」
吐き出したいことはまだあったけど、でもそれをライアにぶつけるのは、違うから言葉を飲み込むことにした。ありがとう、と言ってるそばから僕はまだ、ライアに嫌な話をしようとしている。
「――それで、ライアに言っておきたいことがあるんだ。どっちかというと、……本題は、こっちかな」
息を吐き、改めて口を開く。言いづらくても、こういうのは、はっきり言ってしまうしかない。
「僕は、誰も好きになるつもりはない。それに好意を向けられるのも、嫌になる。恋愛だとか、そういうの億劫でしかないんだ」
「……どうして、……私に言う……の?」
歌を自在に操るライアの潤いのある声が、掠れた声に変わった。殆ど、声が出ていない。
「どうしてって……。ライアは僕と歳が近いから、かな」
ディナとニーナは女の子ではあるけど、流石に可愛い妹にしか思えない。ライアとは歳が近い分、幾らでも嫌な予感がするんだ。手に触れられて落ち着かなくなるのは、ライアだけだから。
「周りはさ、僕とライアが一緒に歩いてると"恋人か? "って軽くからかってくるけど、ライアまでその気にならないで欲しいんだ……。僕は誰であっても好きなれないし、結婚だとか考えたくない。多分誰の気持ちにも応えられない」
誰かを好きになってしまったら、冷静じゃいられなくなる。そしていつか、間違ったことだと分かっていながら、止められなくなるんだろう。そんな風にはなりたくない。
「別れ際、母さんは僕にたくさん謝ってたよ。いっぱい泣いて、苦しそうで……自分を責めていた」
母親に泣かれるのは、どんな理由でも胸が痛くなる。あの光景は、まだはっきりと焼き付いている。考え過ぎだって思うけど、僕は2人の血が流れてるから、同じように馬鹿なことを簡単にしてしまいそうだ。娼婦の子供はやっぱり、生きる術がなくて娼婦になりがちだし、僕もまたシン先生もそうだったように次男として生まれ、拙いながらも幼い子に勉強を教えて、真似をするつもりはなかったのに同じことをしてる。
……やっぱりどう足掻いても、父親に似てしまうのだろうか。だとしたら、僕もいつかライアを後悔させてしまうんじゃないか。
「ライアには、母さんみたいな思いをさせたくないんだ」
「……私が、泣かないように……?」
泣かせない努力を必死に考えてるのに、その横でライアは目に涙を溜めて、堪えてた。僕の話を聞いた同情とあと複雑そうな表情を浮かべている。
此処に来て、たくさんみんなの元気さに救われて、本当に感謝してる。だからこそ、失いたくないし、守りたい。そのためなら、全力を尽くすよ。
だけど今は全く、好きだとそんな感情は重荷でしかない。この奥までは、入り込んでは欲しくない。
「ライアは大切な家族だよ」
「……う、ん」
「守るって約束したのも、今も本気で思ってる。それにライアだって、弟と妹たちを守る方が恋愛なんかより大事なんじゃないのか?」
「……っ」
釘を刺すために、わざと言った。普通には接せられるけど、恋愛感情は絡ませたくない。好きだとかそんな感情がお互いの心に根付く前に、はっきりと言っておきたかった。
「フロンは、心を止めることはできるの?」
「あぁ」
目を閉じて、ゆっくりともう1度開くとライアはいつものように微笑んだ。それでも少しだけ、元気が落ちてるのが分かる。突き放したみたいな、ふったようなささくれるような気持ちがした。
僕がライアに「誰も好きにはならない」と話したのは、寒さも落ち着き春が間近に迫った時だった。少しだけ僕らの間は上手く言えないけどギスギスしているというか、距離感を図りかねている感じだ。
本の表紙を見つめていると、『主人公』が問いかけてくる気がした。行き違いでジュリエットを死なせてしまったロミオを責めると、
"愚かだと言うが、だったら、お前はもっと上手く立ち回れるのか"
"本気で誰も愛したことがないくせに"
"ジュリエットを好きにならなけれは良かった、なんて僕は思わない"
"いつか人を愛するなら、お前だって冷静ではいられない。心を狂わされてしまうはずさ"
と。
あぁ、分かるものか。分かりたくもない。




