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力が無い者は、この手で守れない

 それからライアは、手を伸ばすと遠慮がちに僕のコートの袖口を掴んだ。


「フロンの指には触れないようにするから、少しだけこのままでいて……」


 一瞬だけ戸惑ったけど、気を遣ってくれるのは素直に有難かった。本当は、指先が震えてるライアに"大丈夫だよ"って言って、手ぐらい握ってあげるくらいの甲斐性あっても良いんじゃないかと、自分でも思うけど、申し訳ないことにやっぱり出来なかった。袖口を掴まれてることを許す事が、僕には精一杯だ。

 それに、震えるライアの手の甲が、僕の手首に少し当たるだけで、緊張が走って怯んでしまう。ライアはこうしてるだけで、僕が何もしてやれなくても、気休め程度には安心してくれてるみたいだけど。



 





***


「本を探してるのよね?」


 朝のうちに終わらせてしまおうと、申し訳程度の小さな庭でゴミを履いている時、僕らの事をいつも気にかけてくれている近所のおばさんが、塀から顔を出した。



「こんにちは。……ライア、こっち来て。お客さん」

「あら。フロン、あなたにも用よ。本を読めるのはフロンだけなのでしょう?」


 包容力のある中年の女性は、まるで孫の喜ぶ顔を見たくて甘やかしてしまう祖母のようだった。みんなが懐いてるのも、良くわかる。この前、あの子達に読み聞かせをしてあげたいって立ち話した時の事を覚えていてくれたらしい。


「あの後、すぐに本棚を探したらちょうど良いのがあって、持ってきたのよ」

「わぁ! 良いんですか? ありがとうございますっ!」


 ライアは3冊本を渡させれて、受け取ると、大事そうに胸に抱える。まるで、少女みたいだって思ったけど、ライアは"お母さん役"をしてるけど、まだ女の子なんだよなって思い直す。


 少し前に、寝る前に本を読んでほしいって言われたものの、肝心の本がこの家には無かった。本屋を覗いてみたけど、娯楽品はなかなか手が出せない。みんなには、買えない理由を説明したら、納得してくれたけど。なにかしてあげたいと思っていた……。そんな時、こうして支えてもらえるのは、有難い。


「ええ。もう随分前に読み終わったから。返すのはいつでも良いわ。あの子達によろしくね」

「本当に、助かります」


 頭を下げると、おばさんは僕とライアを見て微笑んで去っていった。それを手を振って見送る。今度、ちゃんとみんなで改めてお礼を言いに行かなくちゃな。



「ねぇ。どんな物語なの? フロンは知ってる?」


 本の表紙を見つめて、ライアは僕に聞いた。

貸してもらった本は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』と、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』で、どちらも人気な物語だ。僕も教養のために読んだことがある。


「こっちの物語は、激しい対立をしている両家の間に生まれた2人の男女が、舞踏会で出会いお互い一目で恋に落ちる話」

「なんか素敵な話だね! それで? それでどうなるの?」

「あぁ。ライアが好きそうな気がしてた」

「2人は、それからも会ったりできるの?」

「ロミオはジュリエットの住む屋敷に忍び込んで、塀を飛び越え、大人に気づかれないように会いに行ったり……だったかな」


 前のめりになって、ライアは続きをせがんできた。きっと、ハッピーエンドを期待されているんだろうな。そんなライアに実は、結末で2人が死んでしまうなんて、言えそうに無い。


「うー……ん。ライアが自分で読めるようになったら、確かめてみなよ」

「そうだよね。どうなるか知ってたら楽しくないもんね。字が読めるように頑張るね!」


 目標を持つことはいい事だけど。自力で読んだ記念すべき本で、トラウマにならきゃいいんだけど。


「それで、こっちは? どんな話なの?」

「これは、アリスって少女が白いウサギを追いかけて、不思議の国に迷い込んで冒険する話だ」

「へぇー! 面白そうだね」

「マイケルたちが楽しんで聞いてくれるのは、アリスの方かもな」

「じゃ、それをフロンに読んでもらおうかな」


 『ロミオとジュリエット』の方は、あれを声に出して読み聞かせるのは流石に、恥ずかしくなりそうだったから、少し助かった。


 それに、この物語は少し苦手だ。

 愛し合っている2人が、家柄の都合で結ばれないのを読んでいると、誰かと誰かを思い出されて純粋には感動できなかった。全て当てはまるわけでもないのに、良い気がしないのは、2人の愛の語らいが甘すぎるのと、最後まで諦めなかった所が、僕の両親とはまるで違うからかもしれない。



 



**




 それからまた1ヶ月くらい経ったころ、同じ時間帯にライアと歩いて帰っていると、男がライアにぶつかって来た。それほど狭い歩道でもないから、避けて走ることはできただろうに。後ろから、しかも僕じゃなくライアにぶつかって来たあたり、明らかにわざとだ。


「何も取られてないか?」

「だ……いじょうぶ。それに私は何も持ってないから。財布を持ってるのはフロンでしょ」

「あー、そうだった」


 こう言う時のために、一応僕が持つことにしている。膝を着いてしまったライアを起こし、走り去った男の後ろ姿をもう一度見直した。


「一瞬だったけど、あの時の男に見えた。ライアは見た?」

「見えなかったけど……本当?」



 顔を見合わせると、言葉にした訳じゃないけど僕らは同時に走り出した。あの男を追うためだ。"娼婦になれよ"と仄めかされていた女の人が、あれからどうなったのか、ライアは特に気にしていたから。




「待て!」


 次の獲物でも探しているのか、案外男は遠くに行っていなかった。路地の影に居るのを見つけると、すかさず僕は叫んだ。



「フン、ここまで追いかけて来て、ご苦労だな」

「スリをしたって、警察に突き出しても構わないですけど?」

「お前たちのは取ってないさ。証拠がないと、追い払われるのがオチだと思うけどね」


 やれやれと男は、降参するように両手を上げた。取ってないって、たんに取り損ねただけじゃないか。


「見た目で分かりませんか? 僕らが金目の物なんて持ってない事くらい」

「だから取ってねぇって言ってんだろ。お前らが貧相なのは、見れば分かる」

「じゃ、なんでぶつかって来たんです?」

「イラつくんだよ! お前」


男は被せ気味に台詞を吐き、睨みつける。僕にではなく、敵意をライアに向け始めた。なんで怒りを感じるのか分からない。僕らは同じようなものじゃないか。


ままらない生活をしてる横で、平気で贅沢をしているのは、あいつらだ。どのくらい平民の事をを虐げてるか、少し前まで身を置いていたから、良く分かる。


「怒るなら、貴族にしろよ。なんでライアに?」


生きるためにスリをする。そうせざるを得ない事も分かってる。そのために押し退けられたなら、多少は許せた。だけど、怪我はしなかったものの、憂さ晴らしに弱そうなライアを狙ったなら、許せるわけが無い。



「そこの女の事は、街で見かけるから良く知ってる。酒場だけでなく、俺らみたいな連中の間では特に、有名さ」

「ライアはスリとかそんなことは、した事なんてないよ」

「あぁ。だからだ!」


ライアを彼らとは同類にされたくないという思いが、男を余計に怒らしたのか、大きく反応した。


「お前。歌だけで稼げるなんて、良いご身分だな。俺たちは泥を食いながら生きているっていうのに」


ライアと彼らは同じようで同じじゃない。

それは、何に対しての怒りなのか。何と比べてなのか。

自分自身への?

それともーー


「あ、あの。女の人はどうしたんですかっ」



 彼女の話は禁句だったのか。いよいよ、男はライアを苦々しく睨んだ。勇気を出してライアは訊くも、男の態度に怯んで一歩下がってしまった。念のため、男が逆ギレをして手を出さないように、僕は背中に隠れるようにとライアを促す。


「あの時、見てたのかよ」

「す、すみません……。でも心配なんです。花売りさんが、……その、やりたくない仕事をしてしまってるじゃないか、って」

「捕まったんだとよ。あいつはスリが下手くそだからな」


 差し向けたのは自分なのに、どうも思ってないのか、微かに笑うように男は言った。口調に少しだけ、優しさが混じるのは気のせいだろうか。


「俺は直接は見てないから、よくは知らない。でもな、目撃した仲間が言ってたから、確かな情報さ」

「……会いに行ってあげないんですか」

「それは、ごめんだね。分かるだろ? 警察に顔を覚えられるのは、色々と厄介なんでね」

「後悔してるんですよね……?」


 飄々と笑っていた男は、ライアの言葉に少しだけ無言になる。仮面が剥がれたように、どこか寂しそうな表情になったのは、気のせいだろうか。


「……俺と暮らすよりも、牢にいる方が逆に安全なんじゃないか」



 その言葉が、あまりにも意外で、しばらく耳から離れなくなった。この男も本当は、「一緒に暮らそう」と淡い約束を交わしていたんだろうか。ギリギリまでもがいて、汚いことをしても、相手にもさせてしまっても、それでも一緒に暮らせるためにと言い聞かせ、それでも潰えた。今となってはその夢は……。


返す言葉が見つからないで居ると、男は自分の姿を影に溶かしながら、去り際に言う。


「俺はあいつに会う資格なんてない。だから、もしあいつに会ったら、伝えとけ。"俺はもっと安い宿舎に住む。そこの連中は男も女も酷い。巣窟みたいな場所だから、お前はもう来るな"って」





 できれば、ライアには見せたくなかった。僕だけで確かめて、言える部分を報告しようかと思ったのに、とんだ役立たずだ。男が酷く怒りや後悔を表しているのは、やっぱり彼女を娼婦に堕としてしまったからなのか、分からずじまい。ライアが横に居ては流石に確かめる度胸はなかった。


救えないものを目のあたりにして、ライアは落ち込んでいると思ったけど、悔しそうにしたものの、いち早く孤児院に帰るために、足取りはしっかりしていた。


ライアは、拳を作って言った。


「強くならなきゃ、ね」



みんなを守れるくらいの、安心して暮らせる力が欲しい、と。

それは僕も同じだ。


力が無ければ、大事な人を守れない。

いつかやらせたくない仕事を、させてしまわないためにも。


どうかこの手に、力を。






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