花売りは路地裏の闇に消えた…
家に着くと、真っ暗らになっていた。みんなは寝ているみたいだ。こんな時間だから、無理もない。
「お帰りなさい。ライアお姉ちゃん、フロンお兄ちゃん」
寝室を過ぎ、さらに奥の部屋に行くと小さなロウソクの火で、ほんの少しだけ明るくしていた。起きいていたのは、"長女"のディナと"長男"のウィルフレッドの年長組の2人。帰って来たのに気づくと、すぐに2人は僕らの方に駆け寄って来た。
「おかえり。ライア姉、こいつに何にもされたかったか?」
「ウィルったら、待ってる間ずっとそんな事ばっかり気にしてるのよ! フロンお兄ちゃんを信用してないのかしら!」
「なんだよ! そう簡単に人を信用したら、痛い目に逢うんだからな!」
「あたしだって、別に大人の人を全員信用してるわけじゃないの! 余計なお世話ですぅー!」
あっという間にガヤガヤと盛り上がって行く。
「もー、静かになさい! 2人でみんなを寝かしつけてくれたんでしょ? 折角、"ご苦労さま。ありがとう"って言おうと思ったのに、これじゃみんなを起こしちゃうじゃないの」
ライアがそう叱ると、2人は静かになって「はーい」と小さな声で言った。それから2人は改めて小声に戻り、家で留守番をしていた時の報告をする。少しマイケルがくずっていたけど、それ以外は何にも無かったとのことだ。
「そう。なら良かった。院長も特に顔を出しに来てないのよね?」
「うん。きっとあいつは、自分の家で楽しんでいるだろう? ていうか、一生来なくて良い!」
心配そうに訊いたライアに、ウィルフレッドは悪態ついて答えた。そう言えば、あれから全く会っていない。最初の挨拶の時の1度しか会って無かったけど、アルコールを昼間から呑んでいる雰囲気だったし、孤児院を管理してるようには見えなかった。むしろ国から貰っている支援は懐にいれ、ライアご歌で稼いだものまで分捕ろうとしている。みんな警戒してるのも無理もない。
「なにかと厄介な人が院長なんだな」
「でも、その代わり自由にできるのは楽なものよ」
「ライア姉、楽じゃないって。ご飯は市場で買って作らないとないし、助成金だっけ? それもあいつがほとんど取っていくから、おかげでライア姉が働いてくれなきゃ、やっていけないし。オレたちも働きたいけど、縄とか縫い物をする変なものを国のためとか、孤児院に居させてるんだから、これくらいやるのは当たり前だ。とか言って押し付けやがって……」
それを聞いていたら、少し嫌な予感がした。
「だったら初日、馬丁があの人に、僕が此処に住むからってお金を預けてたのは。……もしかして、あのお金は……」
「……た、多分。私たちの元には返ってこないと思う」
言いづらそうにライアは、答える。そして、ウィルフレッドは横でさらに怒っていた。
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ライアと約束していた読み書きを教えることにした。その間、みんなは縫い物とかをしていたけど、遠巻きにウィルフレッドがじっとこちらを見てたから、参加するかと誘うと、「みんなのためになるなら、覚えたい」と、相変わらずムスッとした顔をしながらも、真面目に言った。
それをきっかけに、少しずつウィルフレッドとも、まともに話せるようになってきた。
とにかくこの孤児院は、もともと明るいけどギリギリの生活の中でも、ライアの歌でより一層、家を明るくしていた。誰かが落ち込みそうな時も、歌で元気を取り戻している。
そして、近所のおばさんも気にかけてくれている人の1人で、少しだけ生活に余裕があるのか、たまに野菜を分けてくれるた。
忙しくしていれば、嫌なことはあまり考えないで居られる。だから、夜はみんなが寝た後にライアと一緒に、縄を編んだり。朝はみんなで家事をやったり、市場に行って少し野菜を買ったりした。
街を歩いていると、花売りの少女や、料理をつくりそれを売っていたり、煙突掃除夫もいる。あまりやりたがれない仕事なら、多少は余ってるみたいめ河川の掃除や、文字が読めるのも活かして新聞を売る仕事も見つけることごできた。
ライアは酒場だけでなく、たまに日中は広場で歌っている姿もみた。その時間帯なら、僕も付き添わずに別行動をしている。だけど、やっぱりライアの歌声は、すぐに人を引き寄せるのか、あっという間に人盛りが出来ていた。そのうちの何人が気前よく払ってくれるかわからないけど、遊びに来ている貴族1人の目に止まれば、僕の稼ぎより上回る。貴族にとっては些細なそのお金が、僕らに取ってはとても貴重なものだった。
20日くらい経った夜。この前のようにライアは酒場で歌い、夜の道を歩いていた。田舎屋敷にいた時には、星も見えたけどロンドンではガス灯の眩しさで隠れている。僕の住んでいた場所の話をすると、それだけで楽しそうにライアは聞いていた。ライアはこの街から出ないから、西の地域は知らない世界なんだろう。羨ましそうにドレスを来た淑女たちを眺めていた。
「ライアには似合わないんじゃない?」
「ちょっと! ひどい」
もしライアがドレスを着たらどんな感じなのか、想像しようとしたけど、あまりでき無かった。少 なんだか可笑しくなって笑っていたら、隣でライアはむくれていた。でもあまりからかい過ぎると、悪いのでこの辺にしておこう。
「ライアは自由でいて欲しい」
真面目に言うとライアも、怒るのを止めてくれた。
同じ国の中だけど、まるで生き方が違う。あっちの世界はしがらみも、陰口も多いから、きっとライアには窮屈だ。もちろん生きることには、全く困らないし、不安もないけど。その分、好きなことは、あまりできないかもしれない。
「ライアの歌は、自由だからこそ歌えるんだろうね」
それは、僕にとって眩しく思えた。ずっとそのままでいて欲しい。
少しだけ、お互いに喋らずに顔を見合わせていると――
「行かないで!! お願い!!」
僕らの会話以外無かった静かな街で、女性の叫ぶ声が響いた。
思わず見渡すと、前方の少し路地に入る場所でうっすらと男女の人影が見えた。
縋り付くように16歳頃の女性が男の腕を離すまいと掴んでいるが、男は振りほどこうと必死だ。
「ふざけるなっ! そのカゴの中身、売り切るまで帰ってくんな! 良いな?」
「無理よ! もう、こんな夜じゃ売れるわけ…っ」
「だったら他に稼げ方法は、あるだろ? 裕福そうな人からスって来いよ。それとも、もっと一晩で金になる方を選んだって良いんだぜ?」
「……っ! それだけは嫌っ……」
「じゃ、これで終わりだ」
「待って……、お願い。聞いてっ」
男は聞き耳なんて持っていない。女性は手に力が入らなくなったのか、今はもう抵抗することも無く簡単に振りほどかれて、男は走り去って行った。
そうかと思うと、何かを喋るよりも先に真横で影が走り出し出す。
「……ライアっ」
取り残された女性の元にライアは駆け寄った。とても怯えているように見える。
「あの……、大丈夫ですか」
「ど、どなた?」
「ごめんなさい。見るつもりは無かったんですけど、さっきの見てしまって……」
「あぁ、あれね。お嬢ちゃんが気にすることないのよ」
「でも、あんまりです。貴女にだけあんな事、させようなんて」
「違うのっ!」
それでも、あいつを庇うのかライアの言葉を遮るように叫んだ。女性は疲れたように虚ろに笑う。
「誤解しないでっ。彼もちゃんと働いてるから。……それでも見ての通り、足りてないから2人で暮らしていくには、少し無理しなきゃ駄目なのかもね」
「無理って、あなたはそれでいいんですか?! 救貧院とか他にも……」
「当然、救貧院にもお世話になったわ。そこで彼に出会って一緒に暮らそうって言ってくれて、出てきたの。……あそこにはもう戻りたくない!」
「それでも……」
「嫌よ! あそこに居れば、死なずには済むけど耐えられない。本当に嫌になる場所だった……」
たしか、救貧院も居心地が良かったら居座ってしまうから、わざと環境を悪くしているって聞いた事がある。それこそ、誰が"救貧院に行くなら死んだ方がましだ"と言う人も居るくらい。
「今日、どうするつもりですか……」
「お嬢ちゃんの気にすることじゃないの」
「あの、今日寝る場所がないのでしたら、1日くらい来ませんか。うちも孤児院なので大したものありませんけど……」
ライアは咄嗟に申し出た。冬の夜に外で過ごすのを知ってて、ほっとけない。僕も反対はしないけど。誘ったものの、この女性が寝るベッドなんてないしな、とふと考える。
「ソファで良かったら、あります」
1日くらい床で寝ても良いかなと思って、僕も口添えをすると、女性は僕とライアを見比べながら少し眉を下げて、ゆっくりと首を横に振と微笑んだ。
「良いの。有難いけど、今晩の寝床が見つかってもお金を稼がないといけないと、状況は変わらないわ。それに、成果もないのに呑気に休んでたのを知られたら、あの人に叱られちゃう……」
しゃがみこんでいた体制から女性は、立ち上がった。やわらかく彼女は僕らに笑いかける。まるで、自分では叶わなかったことを託すように。
「あなた達は、私みたいにバカなことしちゃ駄目よ。君は、守ってあげてね。それでももし何か起こってもお嬢ちゃんは、彼の事を恨まないであげてね」
そして、それだけ言うと、薄暗い路地裏に走っていく。ライアは必死にその後ろ姿に向かって、止めるように叫んだけど、彼女には届かないまま、闇に消えて行った。
しばらく僕らはその後ろ姿を眺めて、立ち尽くしていた。
「……止められなかったっ」
「……ライア、帰ろ」
「……」
「風邪を引いたら、みんなに伝染ると行けないんだろう」
「……………………う、ん」
できれば何かしてあげたいけど、何も出来なかった。それはライアも一緒で、泣きそうな目をしている。実際、僕が助けられるものなんて、ほとんどない。無力だ。
堕ちたら、何処まで堕ちるのか。
「……産まれた子は、孤児にならないよね」
踏み出す足が重くて、ゆっくり歩いていると、聞こえるギリギリのか細い声でライアは言った。とうとう、また足を止めて立ち尽くしてしまっている。躊躇いながら僕に何か問おうとしてるみたいだ。ライアが訊こうとしてる内容も、言われなくても分かった。
……そんなこと、僕だって嫌な気分になる。弟妹のためだとか言って、隣でそんなことされて平気なわけがない。まして、ライアに強いたくなんかない。
「ライアは、何があっても自分の身を売るなんて真似はするなよ。絶対に」
「……好きでする人なんて居ないと思う。私だって、したくない。……怖い、よ」
そう言ったライアの目は、不安気に眉をひそめ、肩が震えていた。その想いがどこまで通用するか、分からない。しなければ生きていけない世界があまりにも身近で、それがまた僕らを不安にさせた。
そんな事しないで済むようにように、僕が守らなきゃ。
不思議なもので、"守る"ってライアに言ったあの時よりも。昨日よりも今日、その気持ちが強くなっている。
「僕はライアに、そんな事させない。して欲しくなんかないから」
「ロンドン路地裏生活誌」
過酷でショックもありますが、とても興味深い本でした。




