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出迎えた少女の瞳は、澄んだ青空をしていた




 どのくらい馬車に揺られているのだろうか。

 小窓から眺めた風景は、次々に移り変わっていき、田舎道を走り抜け、街をゆっくりと通り過ぎ、また小さな町を通り過ぎた。


 とにかく、あの人は僕が自力で屋敷に戻ってくることを阻止してるんだろう。こんなに遠くへ飛ばられればさすがに、帰り道も分からない。もう居場所なんてないから、戻るつもりなんてないのに、用心深い人だ。


 油断をすると、最後に見た母さんの泣いていた顔を思い出してしまう。

 それが嫌で、気を張っている糸を休ませたくて、目を閉じた。余計なことを考えるくらいなら、寝てる方が良いと思った。


 ゴトゴト、ゴトゴト


 けれど、目を閉じれば今度は、耳が研ぎ澄まされる。それは、寝付けない真夜中に、時計の秒針の音が気になるのと似ていた。目を閉じても全く寝れないんだ。

 砂利道を走る馬と、揺れる馬車の振動が変わる。石畳の道路から、今度は舗装されてない道を走ってるのが分かった。思わず、ため息が出る。本当に、何処まで連れて行くつもりなんだろうって嘲笑してしまう。

 

ふいに、僕は閉じていた目を開いた。真上から少しだけ西に傾く太陽が、久しぶりに目に入って、よけいに眩しい。陽射しは御者を逆光にして照らすから、



「此処で、休憩にしない? 馬も休ませた方が良いんでしょ?」

「このような場所で……? 人気(ひとけ)もありませんし、此処は……その……」


 舗装されていない土の道が奥まで続く場所だった。道の幅は馬車が一台通れるくらいの狭さで、その道幅から外れると足首ほどの高さの草が茂っている。馬丁は、「まさか」と困惑した様にしながらも、僕の指示に従った。


 木々も道に沿い、馬の走行を邪魔しないように並び、陽は木漏れ日程度しか差さなくて、まるで木のトンネルのようになっている。つまりは、森とまでは言えないけど林の中みたいだ。



「本来ならフロンお坊ちゃんが、孤児院で暮らすようなお方でもないでしょうに……。何が間違ったのか……」

「良いんだ。もう……」

「行き先は東の方ですが、あまり端の地区では無いので、治安はましな方かと存じます」


 そう言われても正直に言えば、どんな生活が待っているのか想像ができなかった。

 比較的まだ和やかだった時に家族で出かけた日に、街を歩いているとストリートチルドレンを見たことがあった。幼い子や少年たちは、必死に食べ物を探して、または追いかけくる商店の主人から、決して捕まらないように走っていたのに遭遇してショックを受けたのを今も覚えている。

 あまり乗り気はしないけど孤児院なら、まだ雨嵐から守る屋根のある家と食べ物が用意されてるから、幾分ましなんだろう……。



「……そう言えば、先生は、……シン先生は、知ってるの?」

「まだご存じでないかと思われます。いずれ知らされるでしょう」


 シン先生が僕の実父だというのは、今朝確証したことだった。でも14年間、父と思って無かった相手に急に父さんと呼べるほど、まだ心の整理はついていない。

 だけど、会いたくないわけじゃなかった。

最後に、顔が見たかった。

 交わす言葉もお互いに、見つからないだろけど。なぜだろう、先生を憎むことはできない。


 先生は、今まで僕のことをどんな思いで、接してきたのか。

 例えば、僕の頭を撫でた時。

 幼いころに、高く持ち上げられて飛行機をしてくれた時。


 先生は、あの時……。



「少し、散歩して来て良いかな?」

「ですが……。私もお供させて下さい」

「……大丈夫。行かせて。僕は死ぬつもりは、ないから」

「畏まりました。ですが、あまり遠くへは行かれませんように」



 うん、と小さな返事をし、土の道から出て草を踏み歩き始めた。自分で言って驚いた。僕は死にたくないって思ってたなんてさ。

 少なくても、あの人は僕を死なせたいほど憎んでいるわけではない事に、安堵したのかもしれない。


 僕は林の真ん中に立ち、目を閉じて、静かに耳を澄ました。


 見なくてもわかる。

 風が身体を撫でいくこと、たくさんの音が命の動きを教えてくれている。

 真上で起こる木のざわめきや、鳥の会話、虫が草を這う音。何羽かが追いかけっこを始めたのか、木々に止まったり、また羽ばたき、飛び回る鳥の声を聴きながら、僕は考えても整理できない心を止めた。


 崩壊してしまったあの屋敷は、今頃どうなってしまったのか。

 母さんや先生のこと。

 これからからのこと。

 生まれてきてしまった由縁とか。


 考える程に、押しつぶされそうになる。僕にはもう、関係ない事だ。全部、この森に捨ててしまいたい。




**



 再び馬車に揺られること数時間。陽が完全に沈みかける空が茜色に染まる時、馬車はある建物の前で止まった。

「フロン坊ちゃん、お疲れ様でした。着きましたよ」



 小さい、とつい思ってしまったけど、そうだ。僕の家が大きかっただけで、一般的な家は小さいんだよなと、思い直す。この孤児院はも、人数が多いから収容するために、家は大きいのかもしれないけど。他の孤児院と比べるとこじんまりとしている。

 とにかくこの場所は、全て、小さかった。

敷地を囲む柵も低いし、門は僕の肩にも届かない高さ。こんなんじゃ、閉まってても乗り越えられてしまうんじゃないかと思う。それに、庭だって、申し訳程度にあるだけで、とても子供たちが走り回れそうにはない。

 色褪せた赤いレンガ造りの二階建てではあるだけど、やっぱり大人数で住むには小さいんだろう。


 そんな事を、ひとしきり値踏みをしていると、此処まで送ってきてくれた御者が、孤児院のドアをノックした。



 少しして、バタバタと足音をたて、ドアが開いた。



「はーい。今でますー!」


 そう言って愛想の良い声と表情で顔を覗かせたのは、僕と年の近そうな少女だった。見僕と同い年か1つ下くらいだ。だとすると13か14歳か。

 服装はドレスとは言えないシンプルなワンピース姿だった。令嬢が着てるようなフリルが付いた洒落たものではなく、なんの飾りっ気もない質素なもの。その上にちょっとした上着を羽織っている。


 彼女は、近所の人が訪ねて来たと思ったのか、親しい相手に見せる笑顔をしたものの、僕らを見た瞬間に、顔が固まった。多分、整えられた身なりを見て、緊張したのかもしれない。

 御者はともかく、放り出される僕もネクタイを締め、上質なジャケットを羽織っているだ。2人揃って浮いてる感じがする。


「あの、どう言ったご用件でしょうか?」


 知らない人が尋ねてきて、少しだけ戸惑っていた彼女が僕と目があって、その途端、"酷い顔をしている"と言いたげに目を曇らした。


「……大丈夫、ですか?」

「単刀直入に言うよ。此処でお世話になれるか?」



 絶句したように、女の子は開いたままの口に手を置いて隠した。僕は無言で肯定の意を示したけど、まだ信じられなそうに眺めている。でも孤児院に来る子は、それなりの理由があることを、君も分かってるはずだ。


 開いたドアの玄関口からも、賑やかな声が聞こえてきて、遠くの方から僕ら客人の様子を伺っている。奥の部屋のドアから顔を覗かせていた。ざっと5人くらいがこっちを見ていて、「お前が行けよ!」とか、小突きながら、小声で言い合っている。

「ねぇねぇ! だれ、だれ? おきゃくさん?」

 その中で1人、3歳くらいの幼い少年が警戒心よりも好奇心が勝ったのか、こっちに走ってきた。


「ライアおねえちゃん、そのひとだぁれ? ひょっとして、あたらしいおにいちゃん?!」

「んー? そうかもね。今、このお兄ちゃんと大事な話してるから、向こうでみんなと遊んでてね」

「そっか! おにいちゃん、またあとでね!」


 小さな身体で、全身を使って手を振った。当たり障りなく適当な事情を話すと、少女は静かに頷いた。


「分かりました。……後で院長にあいさつするとして。どうぞ、こちらに」

(わたくし)は此処で帰ります。お嬢さん、どうか……、フロン坊ちゃんをくれぐれもよろしくお願い致します」


最後に引き止めるように、頭を深く下げた使用人を少女は瞳を大きくしながら静かに、「はい」と言った。

送り届けた馬丁が後ろ髪を引かれながら帰って行くと、少女はパっと明るい顔になりながら"ライア"だと名乗った。ライアはこの孤児院の中では年長だと言う。



「ここでは、私とフロンくらいしか大きな子が居ないの。だから、フロンは、みんなのお兄さんだね。妹と弟たちの面倒を見るのは、大変だから覚悟して。ね? 悩んでる暇なんて無いから、きっと幸せだと思うの」


 そんな苦労も楽しそうに言うから、なんでも無さそうに錯覚するけど、さらりと凄いことを言ったきがする。

 でも、まぁ。

 忙しい生活なら、嫌なことを吹き飛してくれるだろうから、今の僕にはちょうど良かった。



「さぁ! 開けるね」


 ライアは、僕の不安を取り除くように、飛びっきりの笑顔を向けた。開けたドアから光が差して、余計にそう見えたのかもしれない。

 改めてよく見ると、彼女は何にも染まってない事が分かった。貴族の華やかさと高慢さがあるわけないけど、地を這って生きるような黒い貪欲さもなければ、ロンドンの白い濃霧の闇に溶けて消えそうな人たちとも違う。

 田舎町で見える、澄んだ青空と同じ瞳をしていた。髪は、金雀枝(エニシダ)を少しだけ薄めたようなブロンド色をしている。ライアなら夜の闇の中でも、負けない輝きを放つのかな。


「今日から、ここがフロンの本当の家だと思ってね」



 そんなライアを見て、僕は何故か救われた気がした。




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